『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』にみる、GACKTのプロフェッショナリズム
──GACKTさんが演じたマルタザール役を除いて、気に入ったキャラクターがいれば、教えて下さい。
GACKT:僕はセレニアみたいな、気が強くて、でも実はハートフルなキャラクターっていうのは好きだね。
──今回、マルタザールを演じられてみて、「ここが楽しかった」という所があれば教えて下さい。
GACKT:今回は2作目に当たるわけだけど、3作目への繋ぎになる2作目って非常に難しい立ち位置にあると思うんだ。そういった時、この映画でも言えることだと思うんだけど、キャラクターの魅力をどんどん押していくしかないんだ。そうでないと2作目から3作目へ繋がらない場合も多いから、尚更マルタザールのキャラクター性が大事になってくるんだよ。子供達が観た時に、「マルタザールってこんなにチャーミングなんだ!」とか、「こんな抜けてるキャラクターなの?」とか、「こんなにヒューマニックなの?」とかいうところを感じてくれたら嬉しいなって思いながら演じたんだ。
要は、マルタザールもまた子供のまま大きくなってしまったキャラクターじゃないのかなって思うんだ。だから、どこかアンバランスな感じがするし、言ってる事や振りとかは非常に大人っぽいんだけど、やっていることは非常に子供っぽかったり……そういうキャラクター性がマルタザールの面白さでもあるんじゃないかな。
──GACKTさんの中にも、「今も少年の心があるな」と、ご自分で感じられたりしますか?
GACKT:感じられるというか、子供のまんまだからね(笑)。「こうだ!」と思ったことは絶対にやるしね(笑)。例えば、「いや、それは無理ですよ」って言われて、「ああ、無理なのか」で終わってしまったら、何も面白いことができないでしょ?だけど自分が「これは面白いな。出来ればいいな」って思うものを提案したとき、みんなに「無理だ」って言われた瞬間、「何で?」って聞くからね(笑)。「だって、こういう理由で…」って言われても「何で?」。「でも、大人の事情で…」って言われても、「何で?」の繰り返し(笑)。そこで「じゃあ、こうしたら?こうしたら?」って、どんどん被せていくと、実はみんなが無理だと思っていることって、実際は無理ではないことも結構多かったりするんだ。それで、どんどん詰めていくとみんな出来る気になっていって、気がついたら出来ていたりするんだよ。
確かに、そこまで行くのはとても大変なことなんだけど、僕の中にあるのは、“大変か大変ではないか”ではなくて、“出来たら面白いよね”っていう部分が原動力になっているんだ。「それは大変ですから」っていうのはだいたい大人の都合だけの問題なんだから。
例えば、雪で雪だるまを作ったり、かまくらを作ったりして遊んだりするけど、大人は「作ったけど、だから何?」っていう話になってしまうということが多いよね(笑)。出来たら、「よかったよね」っていう気持ちにはなるけど、作っている最中は、崩れたりとかして、すごく大変じゃない。そこに、もし大人が関わってしまったら、子供と違って、しんどいからって途中で諦めたりするんだよ。
でも、子供ってそういうのがなくて、もう無我夢中で作って、作り終わったときに「わぁ!」っていう感動があって、もうそこで疲れて寝ちゃうみたいな所があるじゃない。そこが大人と子供の違いだよね。子供は出来上がることに対して、出来上がった後の喜びに目が行くけど、大人っていうのは、そのプロセスのしんどさに目が行くから、クリエイティブの幅が狭まる。
だから僕は、いつも自分のコンサートとか、色んなものを作るときには、「これ出来たらすごくない?」とか「これ出来たら面白いよね」とか、とにかく結果だけしか言わない。プロセスにあるしんどいことは言わないようにしてるんだ。言うとみんなやめちゃうから(笑)。
──今回の『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』でも、そういうことはあったんですか?(笑)
GACKT:今回は、録ってる最中に、台本に書いてある台詞を言わなかったり、逆に台詞のないところで、勝手に台詞を作ったりしてたね(笑)。そうすると、周りは驚いて「そう来ましたか!?」って感じになるんだけど、「この方が面白くない?」って、マルタザールがスクリーンに映っていない時や、後ろ向きになっている時で、オリジナルだと台詞が入っていないところに、台詞を入れてみたりしてね。
あとは、オリジナルでは、たくさん喋っていても、なるべく喋らないようにしてみたりして、「こっちの方が面白いんじゃないの?」というようなやり取りを常にしていたね。そして最終的に、それがブレてなければOKになる感じかな。
GACKT:僕はセレニアみたいな、気が強くて、でも実はハートフルなキャラクターっていうのは好きだね。
──今回、マルタザールを演じられてみて、「ここが楽しかった」という所があれば教えて下さい。
GACKT:今回は2作目に当たるわけだけど、3作目への繋ぎになる2作目って非常に難しい立ち位置にあると思うんだ。そういった時、この映画でも言えることだと思うんだけど、キャラクターの魅力をどんどん押していくしかないんだ。そうでないと2作目から3作目へ繋がらない場合も多いから、尚更マルタザールのキャラクター性が大事になってくるんだよ。子供達が観た時に、「マルタザールってこんなにチャーミングなんだ!」とか、「こんな抜けてるキャラクターなの?」とか、「こんなにヒューマニックなの?」とかいうところを感じてくれたら嬉しいなって思いながら演じたんだ。
要は、マルタザールもまた子供のまま大きくなってしまったキャラクターじゃないのかなって思うんだ。だから、どこかアンバランスな感じがするし、言ってる事や振りとかは非常に大人っぽいんだけど、やっていることは非常に子供っぽかったり……そういうキャラクター性がマルタザールの面白さでもあるんじゃないかな。
──GACKTさんの中にも、「今も少年の心があるな」と、ご自分で感じられたりしますか?
GACKT:感じられるというか、子供のまんまだからね(笑)。「こうだ!」と思ったことは絶対にやるしね(笑)。例えば、「いや、それは無理ですよ」って言われて、「ああ、無理なのか」で終わってしまったら、何も面白いことができないでしょ?だけど自分が「これは面白いな。出来ればいいな」って思うものを提案したとき、みんなに「無理だ」って言われた瞬間、「何で?」って聞くからね(笑)。「だって、こういう理由で…」って言われても「何で?」。「でも、大人の事情で…」って言われても、「何で?」の繰り返し(笑)。そこで「じゃあ、こうしたら?こうしたら?」って、どんどん被せていくと、実はみんなが無理だと思っていることって、実際は無理ではないことも結構多かったりするんだ。それで、どんどん詰めていくとみんな出来る気になっていって、気がついたら出来ていたりするんだよ。
確かに、そこまで行くのはとても大変なことなんだけど、僕の中にあるのは、“大変か大変ではないか”ではなくて、“出来たら面白いよね”っていう部分が原動力になっているんだ。「それは大変ですから」っていうのはだいたい大人の都合だけの問題なんだから。
例えば、雪で雪だるまを作ったり、かまくらを作ったりして遊んだりするけど、大人は「作ったけど、だから何?」っていう話になってしまうということが多いよね(笑)。出来たら、「よかったよね」っていう気持ちにはなるけど、作っている最中は、崩れたりとかして、すごく大変じゃない。そこに、もし大人が関わってしまったら、子供と違って、しんどいからって途中で諦めたりするんだよ。
でも、子供ってそういうのがなくて、もう無我夢中で作って、作り終わったときに「わぁ!」っていう感動があって、もうそこで疲れて寝ちゃうみたいな所があるじゃない。そこが大人と子供の違いだよね。子供は出来上がることに対して、出来上がった後の喜びに目が行くけど、大人っていうのは、そのプロセスのしんどさに目が行くから、クリエイティブの幅が狭まる。
だから僕は、いつも自分のコンサートとか、色んなものを作るときには、「これ出来たらすごくない?」とか「これ出来たら面白いよね」とか、とにかく結果だけしか言わない。プロセスにあるしんどいことは言わないようにしてるんだ。言うとみんなやめちゃうから(笑)。
──今回の『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』でも、そういうことはあったんですか?(笑)
GACKT:今回は、録ってる最中に、台本に書いてある台詞を言わなかったり、逆に台詞のないところで、勝手に台詞を作ったりしてたね(笑)。そうすると、周りは驚いて「そう来ましたか!?」って感じになるんだけど、「この方が面白くない?」って、マルタザールがスクリーンに映っていない時や、後ろ向きになっている時で、オリジナルだと台詞が入っていないところに、台詞を入れてみたりしてね。
あとは、オリジナルでは、たくさん喋っていても、なるべく喋らないようにしてみたりして、「こっちの方が面白いんじゃないの?」というようなやり取りを常にしていたね。そして最終的に、それがブレてなければOKになる感じかな。