『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』にみる、GACKTのプロフェッショナリズム
──声を録るときは、どういったイメージでやってらっしゃるんですか?
GACKT:声を録る時は、ブースの中に様々な映画制作陣がいるんだけど、まず、いつもしている僕の仕事のやり方っていうのがあって、だいたいみんなが持っている僕の声のイメージっていうのは、普段いつも喋ってる声だと思うから、幅が狭いわけなんだよ。僕は、それが面白くないと思うから、いつもブースに入った時に、自分が持ってる声を何パターンもやってみて、「好きな声はどれ?」って聞くんだ。そうやってイメージを膨らませてあげることで、「こっちの方がマルタザールに合ってると思う」とか、「ゲームのキャラクターだったらこっちの方が合ってる」とかみんなの意見を聞いて声を決めるんだよ。それぞれのキャラクターによって声も違うし、アプローチの仕方も違うし、更には対象も違うわけじゃない?例えば、子供に対してなのか?少年に対してなのか?もしくは、女性に対してなのか、男性に対してなのか?それによって全然違ってくるから、色々なパターンを出してみて、「この中からピックアップしていいよ」って提案するやり方を必ずやるようにしてるんだ。
──リュック・ベッソン監督はどんな方でしたか?
GACKT:リュックは非常に子供っぽい部分を持ってるんだ。それと、やらなくちゃいけない、たくさんある大人の仕事にうんざりしているなっていうのがよく窺えるよね(笑)。でも、そういった、やらざるを得ない大人の部分を感じながら仕事をしているからこそ、今の彼の地位があるんだと思う。だから、すごく気を遣う人でもあるし、気を遣うことに対して疲れることもあるから、撮影や取材の時には、ほとんどの人間をシャットアウトするんだ。僕もリュックと似てて、あんまり人がいるとイライラするというか、「落ち着かないな」と思ってしまうことがある。
──同じクリエイターとして、リュック・ベッソン監督に共感できることはありますか?
GACKT:彼の場合は完全に制作側の人間で、僕はどちらかというと半々っていう感じなんだよ。演者でもあるし、制作側の人間でもある。普通はこういう仕事をもらった時は、演者として、与えられた仕事をこなせばいいだけだと思うんだけど、僕は半分制作側の人間でもあるから、「対象が子供だとしたら、こういうアプローチの方がいい」とか、「この作品は3部作で、今回は2作目にあたるものだから、もっとこのキャラクターが立つように、こういうアプローチをした方がいいだろう」っていうのを考えながら、いつもやるようにしてるんだ。
僕は「作る側の意図を考えてやりたい」という気持ちがどうしてもある。だから、制作する側の立場に立って、受け取り手のことも含めて、客観視しながら仕事をするスタンスが癖になってるんだ。
でも、それは普段自分が制作側でもあるからこそ、そういうスタンスに自然になってしまうわけだけど、ただ単に来た仕事を「はい、やります」って仕事の仕方をしている人は、そんなことは面倒くさいから考えないだろうしね。
──『アーサー』シリーズは、子供達に対するメッセージがたくさん詰まっている映画だと思うのですが、GACKTさんは、この『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』を見る子供達に、どんなメッセージを受け取ってほしいですか?またどんな部分を見てほしいですか?
GACKT:直接的なメッセージはあまり言いたくないけど、『アーサー』の世界観は、僕らが子供の頃に「もしかしたら、こういう妖精がいるんじゃないか」と思っていた世界を表現してくれているじゃないかな?でも、実は地球上には、僕らが知らないことがたくさんあって、それで成り立ってることがたくさんある。そういう所をこの作品はふんだんに使っているよね。実際に僕ら人間は今、侵しちゃいけない世界の領域を、どんどん侵食してるじゃない?この映画のメッセージには、そういう事もたくさん含まれていると思うんだ。例えば、本来ならば僕らの入っちゃいけない領域なのに、既に僕らは入ってしまっていたり、更に、僕らはそれを守らなければいけない立場なのに、知らず知らずのうちに、それをどんどん壊してしまっていたり……。そういうことを、子供達が映画全体を通して、「何となく分かってくれればいいな」って思うよね。
でも、それをあまり前に出し過ぎちゃうと、作品って面白くなくなっちゃうんだよ。難しくなるし。だからこそ、「何となく感じてくれたらいいな」って思うし、映画を観た後、まず1番最初に「面白いな」って思ってくれるかどうかだと思うんだ。それで何回も何回も見ているうちに、それが子供の思考にテイストとして入っていく。そうしたら、「以前よりも少し優しくなれる」という結果になると思うんだよ。だから、メッセージが1番前に立っちゃいけないと思うんだ。やっぱりエンターテインメントって、そういうものだと思うしね。
それに、やりすぎてしまうと、「言いたいことは分かるけど、伝わらないよね」っていうことになってしまうし、逆に子供達が受け入れてくれなくなっちゃうと思うんだ。大人は観た後で「言いたいことは分かるよ」ってその一言で終わっちゃうけど、子供の場合は、もう分かるとか分からないとか以前に、拒絶して見なくなるからね。子供はそういう意味で分かりやすいよね。
GACKT:声を録る時は、ブースの中に様々な映画制作陣がいるんだけど、まず、いつもしている僕の仕事のやり方っていうのがあって、だいたいみんなが持っている僕の声のイメージっていうのは、普段いつも喋ってる声だと思うから、幅が狭いわけなんだよ。僕は、それが面白くないと思うから、いつもブースに入った時に、自分が持ってる声を何パターンもやってみて、「好きな声はどれ?」って聞くんだ。そうやってイメージを膨らませてあげることで、「こっちの方がマルタザールに合ってると思う」とか、「ゲームのキャラクターだったらこっちの方が合ってる」とかみんなの意見を聞いて声を決めるんだよ。それぞれのキャラクターによって声も違うし、アプローチの仕方も違うし、更には対象も違うわけじゃない?例えば、子供に対してなのか?少年に対してなのか?もしくは、女性に対してなのか、男性に対してなのか?それによって全然違ってくるから、色々なパターンを出してみて、「この中からピックアップしていいよ」って提案するやり方を必ずやるようにしてるんだ。
──リュック・ベッソン監督はどんな方でしたか?
GACKT:リュックは非常に子供っぽい部分を持ってるんだ。それと、やらなくちゃいけない、たくさんある大人の仕事にうんざりしているなっていうのがよく窺えるよね(笑)。でも、そういった、やらざるを得ない大人の部分を感じながら仕事をしているからこそ、今の彼の地位があるんだと思う。だから、すごく気を遣う人でもあるし、気を遣うことに対して疲れることもあるから、撮影や取材の時には、ほとんどの人間をシャットアウトするんだ。僕もリュックと似てて、あんまり人がいるとイライラするというか、「落ち着かないな」と思ってしまうことがある。
──同じクリエイターとして、リュック・ベッソン監督に共感できることはありますか?
GACKT:彼の場合は完全に制作側の人間で、僕はどちらかというと半々っていう感じなんだよ。演者でもあるし、制作側の人間でもある。普通はこういう仕事をもらった時は、演者として、与えられた仕事をこなせばいいだけだと思うんだけど、僕は半分制作側の人間でもあるから、「対象が子供だとしたら、こういうアプローチの方がいい」とか、「この作品は3部作で、今回は2作目にあたるものだから、もっとこのキャラクターが立つように、こういうアプローチをした方がいいだろう」っていうのを考えながら、いつもやるようにしてるんだ。
僕は「作る側の意図を考えてやりたい」という気持ちがどうしてもある。だから、制作する側の立場に立って、受け取り手のことも含めて、客観視しながら仕事をするスタンスが癖になってるんだ。
でも、それは普段自分が制作側でもあるからこそ、そういうスタンスに自然になってしまうわけだけど、ただ単に来た仕事を「はい、やります」って仕事の仕方をしている人は、そんなことは面倒くさいから考えないだろうしね。
──『アーサー』シリーズは、子供達に対するメッセージがたくさん詰まっている映画だと思うのですが、GACKTさんは、この『アーサーと魔王マルタザールの逆襲』を見る子供達に、どんなメッセージを受け取ってほしいですか?またどんな部分を見てほしいですか?
GACKT:直接的なメッセージはあまり言いたくないけど、『アーサー』の世界観は、僕らが子供の頃に「もしかしたら、こういう妖精がいるんじゃないか」と思っていた世界を表現してくれているじゃないかな?でも、実は地球上には、僕らが知らないことがたくさんあって、それで成り立ってることがたくさんある。そういう所をこの作品はふんだんに使っているよね。実際に僕ら人間は今、侵しちゃいけない世界の領域を、どんどん侵食してるじゃない?この映画のメッセージには、そういう事もたくさん含まれていると思うんだ。例えば、本来ならば僕らの入っちゃいけない領域なのに、既に僕らは入ってしまっていたり、更に、僕らはそれを守らなければいけない立場なのに、知らず知らずのうちに、それをどんどん壊してしまっていたり……。そういうことを、子供達が映画全体を通して、「何となく分かってくれればいいな」って思うよね。
でも、それをあまり前に出し過ぎちゃうと、作品って面白くなくなっちゃうんだよ。難しくなるし。だからこそ、「何となく感じてくれたらいいな」って思うし、映画を観た後、まず1番最初に「面白いな」って思ってくれるかどうかだと思うんだ。それで何回も何回も見ているうちに、それが子供の思考にテイストとして入っていく。そうしたら、「以前よりも少し優しくなれる」という結果になると思うんだよ。だから、メッセージが1番前に立っちゃいけないと思うんだ。やっぱりエンターテインメントって、そういうものだと思うしね。
それに、やりすぎてしまうと、「言いたいことは分かるけど、伝わらないよね」っていうことになってしまうし、逆に子供達が受け入れてくれなくなっちゃうと思うんだ。大人は観た後で「言いたいことは分かるよ」ってその一言で終わっちゃうけど、子供の場合は、もう分かるとか分からないとか以前に、拒絶して見なくなるからね。子供はそういう意味で分かりやすいよね。