メジャー第2弾「Swimming Dancing」特集:キラキラ・エキセントリックなサワールドにようこそ
SAWA
SAWAの音楽的ルーツにある重要人物のひとり m-floの☆TAKU TAKAHASHIとのコラボが実現
メジャー第2弾ミニ・アルバム『Swimming Dancing』 2009.11.25 release
インタビュー Page1
反抗として、わざと電車のなかに
バイオリンを置いてきたりしてました(笑)。
――まず、最初に音楽との出会いからお伺いしたいのですが。
SAWA : いちばん最初は、機械にカードを通すと『apple』とかしゃべる、英語カードだと思いますね。すごく好きでよく聞いてて。その系列でいくと、中学生のときに英語の先生から授業で使ったリスニング・テープを借りたり。高校生のときは、お兄ちゃんが持っていた予備校の英語のCDを5枚入りのCDチェンジャーに入れて、ランダムで聞いたりしてて。英語の授業をサウンドとして楽しんでたと思うんですけど、そのあとに『ぜったい音読』っていう英語CD付きの本を買って、読むようになって。
――語学に興味があったんですか?
SAWA : いや、音的に好きだったと思うんですよ。だから、いちばん最初に音として好きだったのは、英語なんじゃないかと思うんですよね。
――4歳からはバイオリンを習い始めてますよね。
SAWA : すごい嫌々やってたんですけど、結局は14歳くらいまで続けて。最後のほうはもうやけっぱちでしたね。反抗として、わざと電車のなかにバイオリンを置いてきたりしてました(笑)。怒られないギリギリのラインで悪いことをしてて。それでもなんでそんなに続けてたかというと、弦楽団に入ってたからですね。やっぱり、ひとりじゃつまらないし、続けられなかったと思うんですけど、弦楽団のなかで弾くのは楽しかったし、大きいお姉さんと遊んだりするのも好きでした。
――その一方で、10歳からはピアノも始めてて。
SAWA : そうですね。ピアノは自分から習い始めたんですけど、ラジオ体操のピアノが弾きたいっていうのがそもそものきっかけだったんですよ。
――(笑)どういうことですか!?
SAWA : ラジオ体操に行ったときに、“素晴らしい、この展開!”って思ったんですよね。特に、第2の中盤あたりからすごい盛り上がりを見せるんですけど、これを弾けたらもう十分だろうっていうくらい感動的なんですよ。
――クラシックにはハマらなかった?
SAWA : そうですね。あとは、「心の瞳」とか「春に」とかの合唱曲が好きだったので、合唱コンクールの伴奏をやってたくらい。ピアノは5年間くらい続けてたんですけど、その頃、家の近くにカラオケボックスができて。中学生だったので、近所じゃないと行けないじゃないですか。しかも、1軒しかないので、すごい人気で。土曜日の13時から18時までのお得なフリータイムっていうのがあったんですけど、12時くらいから配る整理券をとって、6時間くらいカラオケして、たい焼きを食べて帰るっていう生活をしてましたね(笑)。
思春期でギラギラしてたので、
イベントに出るダンサーに選ばれるためにがんばっちゃったり。
――当時は、歌手になりたいっていう夢を持っていたんですか?
SAWA : その時は、SPEEDが流行ってたので、SPEEDになりたいって思ってたんですよね。でも、歌って踊ってなにかやりたいっていう漠然とした夢しかなかったと思いますね。そのあとでダンススクールに通うようになって。
――なかなか現在のSAWA像に結びつかないですが、好奇心の幅がすごく広いですよね。
SAWA : なにかしら、いろいろやりたかったんですよ。学校はすごく好きだったんですけど、昔から学校だけでは物足りなくて。ハマるものがもっと欲しいっていう気持ちからダンススクールに通うようになったんですけど、私も思春期でギラギラしてたので、イベントに出るダンサーに選ばれるためにがんばっちゃったりしてて。それと並行して、英語が好きだったので、英語を勉強して、大学にも行って、教員免許をとって。ま、1回、高校の非常勤講師になったんですけど……。
――元教師なんですか!?
SAWA : 3ヶ月だけですけどね。実際に赴任してみて、すごくやりがいがある仕事だし、楽しかったんですけど、10年後から始めても遅くないな、私はこのままでいいのかな? って思うようになって。きっと気がすんでなかったんですよね。それから、オーディションやイベントに出るようになって、いまの所属事務所に声をかけてもらったのがデビューのきっかけですね。
――どんなパフォーマンスをしてたんですか?
SAWA : 私が教師の格好をして、後ろのダンサー(女子)に男子生徒の格好をさせて。見た目は仮装なんですけど、やることは至ってシンプルで。私が普通のR&Bっぽいものを歌って、チャイムの合図でダンサーとハケるっていう(笑)。オリジナルは2曲しかなかったんですけど、その2曲を引っさげてのライヴ活動をやってました。
「どんな音楽をやってるの?」って聴かれたら、
「クラブっぽいJ-POP」って答えるかもしれない。
――高校生以降、リスナーとしてはどんな音楽を聴いてたんですか?
SAWA : 一時期はもうm-floしか聴かないってくらい、m-floばっかり聴いてましたね。でも、周りで共有できる友達もいなくて。大学に入ってから、もっと洋楽とJ-POPの中間くらいに位置する音楽が聴きたいって思ったときに、Jazztronikの『七色』とか、FreeEMPOの『Oriental Quaint.』と出会って。そういうCDを周りの友達に勧めてたときに、「SAWAちゃんは4つ打ちの和製ハウス・ミュージックが好きなんじゃない?」って言われて。そこで初めて、自分がそういうジャンルの音楽が好きなんだってことに気づいたんですけど。当時はどうやっていいのか分からなかったんですよね。でも、ソニーと契約するときに、『七色』みたいな曲が歌いたいですって言って。デモを作り始めてから、福富(幸宏)さんやFreeTEMPOの半沢(武志)さんに聴いてもらうようになって。
――2008年6月にインディーズからリリースしたデビュー・ミニ・アルバム『COLORS』は、半沢さんが初めて全面プロデュースした作品として話題になりました。
SAWA : ずっと好きなアーティストさんだったので、最初は一緒にやるっていうことが信じられなかったんですけど、「SAWAちゃんの声はいい。透明なんだけど色が見える」って言ってくれて。ストック曲ではなく、私の歌声からメロディを作ってくれたのも嬉しかったし、すごく爽快感があって、自然体なアルバムになってるなって思いますね。
――その後リリースした2ndミニ・アルバム『TIME&SPACE』ではRAM RIDER、福冨幸宏、中塚武(Qyptone)、A Hundred Birds、続く3rdミニ・アルバム(メジャー1作目)『I Can Fly』ではSound AroundやBREMEN、note nativeと、常に先鋭的なハウス・クリエイターを迎えた作品をリリースしていますが、ご自身ではクラブ系シンガーという意識が強いんでしょうか?
SAWA : いや、2作目以降は、エレクトロやハウスが好きな人が聴いても、ポップスを好きな人が聴いてもいいって思えるギリギリのところを目指していて。だから、もし「どんな音楽をやってるの?」って聴かれたら、「クラブっぽいJ-POP」って答えるかもしれないですね。クラブ・ミュージックではあるんですけど、もっと新しいものを求めたいし、歌声を尊重してもらえる曲もやりたいし、私のなかにある“サワールド”をどんどん歌にして、いろんな人に伝えていきたいっていう想いもあって。