「東京ドームは強行突破」…YOSHIKIにまとわり付く過酷な現実を紐解く
「5月2、3日、東京ドームは強行突破だ」──YOSHIKI
その言葉の真意はどこにあるのか、何が強行突破なのか…それを理解するには、多少なりともX JAPANの歴史を紐解く必要がある。
YOSHIKIというアーティストは幾重にも屈折する多面性を持つ。スティックを持たせるとドラマーになり、鍵盤を与えればピアニストに、譜面を与えればプロデューサーになる。何も与えなければ自分に降りてくる曲をまとめる作曲者になる。そのときの環境や求められているものに応じてジャンルもまたぐ。サウンドを素材にした音楽という料理であれば、多国籍な調理をこなすスキルも持ちえている。映画音楽のプロデュースのオファーが絶えないのも、音の一流コックであることを、監督が嗅ぎ取っているからに過ぎない。
しかし、それは今だからこそ言えること。
自分のアイデンティティをX JAPANに映し出し、予定調和をぶち壊しながら突き進んできたYOSHIKIというミュージシャンは、単にロックバンドのリーダーであり、単にクレイジーなプレイヤーだった。ありえないドラムを叩き、そこに狂おしいほど美しい旋律を流す破滅的なロマンティストに過ぎなかった。
あまりにアンバランスな先鋭のプレイヤーだったが、類は友を呼ぶもの。5人集まって奇跡的なバランスが保たれた。奇跡は伝説を生んだ。一触即発の危うさを背中越しに感じながら、X JAPANは巨大なモンスターとなった。そこまでは皆さんご存知の通りだ。
1998年5月、X JAPANはHIDEを失った。この瞬間、X JAPANは死んだ。YOSHIKI、TOSHI、HIDE、PATA、HEATHというギリギリの5角形のパワーバランスは、HIDEという重要なピースを失った時点で、二度と再構成されなくなったのだ。そしてYOSHIKIというX JAPANのメンバーでありドラマーでありピアニストであるパフォーマーも、その時点でその役割を全うし、終焉を迎えた。
「HIDEが死んで、僕は何をしていいかわからなかった。言ってみれば僕はあの時点でミュージシャンを引退したんだと思う。プロデューサーとしての生活が始まった」
X JAPANは事実上解散し、プレイヤーYOSHIKIはその役目を終え、コンポーザー/プロデューサーとしてのYOSHIKIが目覚めた。YOSHIKIのミュージシャン魂の叫び場所として、音楽的/物理的/精神的制約を全て無くした100%自由な音楽制作ユニットを生み出した。それがVIOLET UKだ。
しかし、X JAPANを求める声は後を絶たない。無いものねだりとはまさにこのことだが、事実は小説より奇なり。X JAPANは奇跡の復活を遂げた。
HIDEを映像で再生しライヴで同期させるという革新的な技術的進歩が復活を可能にしたといえばそれまでだが、ステージの上では、X JAPANは完全復活できることを、さすがのYOSHIKIも予想することは出来なかったに違いない。X JAPAN復活という人生最大のサプライズは、コンポーザー/プロデューサーとして身を固めつつあったロッカーYOSHIKIに火をつけた。“X JAPANのYOSHIKI”の復活である。
「まして、ステージであのドラムを叩くなんて、それ自体がサプライズ。」──YOSHIKI
誤解を恐れずに言えば、X JAPANの復活とは“X JAPANのYOSHIKI”の復活のことなのだ。VIOLET UKのYOSHIKIではなく、一度終焉を迎えた“X JAPANのYOSHIKI”の再生は、ミュージックシーンにおいてもエポックな事件であり、その巨大なエネルギーは世を席巻した。東京ドーム3dayを成功させ、そのエナジーはワールドツアーにまで波及していった。
しかし、ひとつだけ忘れてはいけない現実がある、X JAPANは大事なピースを失ったままであるという過酷な現実だ。変幻自在/ショック&バイオレンス&パンキッシュなHIDEが及ぼす、バンド内エネルギーの交換や新陳代謝の刺激注入…X JAPANを走らせていたHIDEからの劇薬サプリメントはもう存在しない。X JAPANはバランスを失ったままだ。どれだけコンディションが整おうと、X JAPANは自然発生的に転がりだすような形態にない。それが過酷な現実なのだ。
再生X JAPANバンドが蠢き始める。X JAPANが不死鳥がごとく羽ばたく…YOSHIKIはそれを口にしないが、一度収束したバンドが再度羽ばたくには、痛みが伴う。バランスを欠いた再生X JAPANのリハビリテーションが始まった。リハビリによって新組織が再生し始めた証拠でもある痛み。強靭な筋肉が再生され、瞬発力が再現されていく。
VIOLET UKで育まれたプロデュース力を持って、プロデューサーYOSHIKIが、もうひとりの“X JAPANのYOSHIKI”を再生させ、ぽっかり空いたドデカイHIDEの穴に目を配りながら、TOSHI、PATA、HEATHをプロデュースさせている。人生最大のパフォーマンスと言い切る香港公演の大成功を得て、X JAPANのエンジンは最大出力までたたき出すまで復活を遂げているが、実は失った組織へのリハビリは終わってはいない。必要以上の負荷による別の痛みの発生も生じることも分かっている。しかもそこにHIDEはいない。X JAPANが背負った十字架は、一生癒えない傷として、しばらくはリハビリテーションと共に歩むことになるのだ。
痛みは癒えていない。X JAPANの組織は悲鳴を上げている。しかしそれは、全てはX JAPANが破滅に向かって爆走するための避けては通れぬ通過点なのだ。
それをYOSHIKIは表現した。「5月2、3日、東京ドームは強行突破だ」…と。
その言葉の真意はどこにあるのか、何が強行突破なのか…それを理解するには、多少なりともX JAPANの歴史を紐解く必要がある。
YOSHIKIというアーティストは幾重にも屈折する多面性を持つ。スティックを持たせるとドラマーになり、鍵盤を与えればピアニストに、譜面を与えればプロデューサーになる。何も与えなければ自分に降りてくる曲をまとめる作曲者になる。そのときの環境や求められているものに応じてジャンルもまたぐ。サウンドを素材にした音楽という料理であれば、多国籍な調理をこなすスキルも持ちえている。映画音楽のプロデュースのオファーが絶えないのも、音の一流コックであることを、監督が嗅ぎ取っているからに過ぎない。
しかし、それは今だからこそ言えること。
自分のアイデンティティをX JAPANに映し出し、予定調和をぶち壊しながら突き進んできたYOSHIKIというミュージシャンは、単にロックバンドのリーダーであり、単にクレイジーなプレイヤーだった。ありえないドラムを叩き、そこに狂おしいほど美しい旋律を流す破滅的なロマンティストに過ぎなかった。
あまりにアンバランスな先鋭のプレイヤーだったが、類は友を呼ぶもの。5人集まって奇跡的なバランスが保たれた。奇跡は伝説を生んだ。一触即発の危うさを背中越しに感じながら、X JAPANは巨大なモンスターとなった。そこまでは皆さんご存知の通りだ。
1998年5月、X JAPANはHIDEを失った。この瞬間、X JAPANは死んだ。YOSHIKI、TOSHI、HIDE、PATA、HEATHというギリギリの5角形のパワーバランスは、HIDEという重要なピースを失った時点で、二度と再構成されなくなったのだ。そしてYOSHIKIというX JAPANのメンバーでありドラマーでありピアニストであるパフォーマーも、その時点でその役割を全うし、終焉を迎えた。
「HIDEが死んで、僕は何をしていいかわからなかった。言ってみれば僕はあの時点でミュージシャンを引退したんだと思う。プロデューサーとしての生活が始まった」
X JAPANは事実上解散し、プレイヤーYOSHIKIはその役目を終え、コンポーザー/プロデューサーとしてのYOSHIKIが目覚めた。YOSHIKIのミュージシャン魂の叫び場所として、音楽的/物理的/精神的制約を全て無くした100%自由な音楽制作ユニットを生み出した。それがVIOLET UKだ。
しかし、X JAPANを求める声は後を絶たない。無いものねだりとはまさにこのことだが、事実は小説より奇なり。X JAPANは奇跡の復活を遂げた。
HIDEを映像で再生しライヴで同期させるという革新的な技術的進歩が復活を可能にしたといえばそれまでだが、ステージの上では、X JAPANは完全復活できることを、さすがのYOSHIKIも予想することは出来なかったに違いない。X JAPAN復活という人生最大のサプライズは、コンポーザー/プロデューサーとして身を固めつつあったロッカーYOSHIKIに火をつけた。“X JAPANのYOSHIKI”の復活である。
「まして、ステージであのドラムを叩くなんて、それ自体がサプライズ。」──YOSHIKI
誤解を恐れずに言えば、X JAPANの復活とは“X JAPANのYOSHIKI”の復活のことなのだ。VIOLET UKのYOSHIKIではなく、一度終焉を迎えた“X JAPANのYOSHIKI”の再生は、ミュージックシーンにおいてもエポックな事件であり、その巨大なエネルギーは世を席巻した。東京ドーム3dayを成功させ、そのエナジーはワールドツアーにまで波及していった。
しかし、ひとつだけ忘れてはいけない現実がある、X JAPANは大事なピースを失ったままであるという過酷な現実だ。変幻自在/ショック&バイオレンス&パンキッシュなHIDEが及ぼす、バンド内エネルギーの交換や新陳代謝の刺激注入…X JAPANを走らせていたHIDEからの劇薬サプリメントはもう存在しない。X JAPANはバランスを失ったままだ。どれだけコンディションが整おうと、X JAPANは自然発生的に転がりだすような形態にない。それが過酷な現実なのだ。
再生X JAPANバンドが蠢き始める。X JAPANが不死鳥がごとく羽ばたく…YOSHIKIはそれを口にしないが、一度収束したバンドが再度羽ばたくには、痛みが伴う。バランスを欠いた再生X JAPANのリハビリテーションが始まった。リハビリによって新組織が再生し始めた証拠でもある痛み。強靭な筋肉が再生され、瞬発力が再現されていく。
VIOLET UKで育まれたプロデュース力を持って、プロデューサーYOSHIKIが、もうひとりの“X JAPANのYOSHIKI”を再生させ、ぽっかり空いたドデカイHIDEの穴に目を配りながら、TOSHI、PATA、HEATHをプロデュースさせている。人生最大のパフォーマンスと言い切る香港公演の大成功を得て、X JAPANのエンジンは最大出力までたたき出すまで復活を遂げているが、実は失った組織へのリハビリは終わってはいない。必要以上の負荷による別の痛みの発生も生じることも分かっている。しかもそこにHIDEはいない。X JAPANが背負った十字架は、一生癒えない傷として、しばらくはリハビリテーションと共に歩むことになるのだ。
痛みは癒えていない。X JAPANの組織は悲鳴を上げている。しかしそれは、全てはX JAPANが破滅に向かって爆走するための避けては通れぬ通過点なのだ。
それをYOSHIKIは表現した。「5月2、3日、東京ドームは強行突破だ」…と。
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