マドンナ、初監督作品『ワンダーラスト』を語る
マドンナがメガフォンを持った初監督作品『ワンダーラスト』は、自らの下積み生活を投影したかの青春ストーリーだ。自分の生き様と生きるポリシー、そしてその清らかさと真っ直ぐに伸びる精神性は、これまでのマドンナの音楽作品となんら変わることのない、マドンナイズムにのっとったものだった。
◆映画『ワンダーラスト』予告編
── なぜマドンナ自身が映画を撮ることになったのか、教えて下さい。
マドンナ:きっかけは、H&Mの洋服のデザインをしたときに、そのプロモーション用のコマーシャルを監督したことなの。その制作会社の代表と一緒にCMを制作してから、映画も制作しようと意気投合したわ。私は常に映画の芸術性と素晴らしい物語を伝えられる能力に敬意を払ってきたし、30年近くカメラの前に立ち続けてきたけれど、今度は行動でそれを示したいと思うようになったの。ダンサーだった頃から映画にはいつもインスパイアされてきたし、以前から映画を撮りたいという願望は秘かにあったけど、「監督したい」とは恐れ多くて言い出せなかった。でもある日、ただ夢見るのはやめて、実際に作ろうと思い立ったの。もちろんそれは、エージェントが仕切るハリウッド方式の作品ではなくて、すべて私自身の中から生まれるものじゃなくちゃ意味がないわ。だから脚本を自分で書こうと決めたの。
── 監督としてデビューすることは夢だった?
マドンナ:ええ。でも夢じゃないわ。現実になっているから。
── 最初にベルリン国際映画祭に出品したのはどうしてですか?
マドンナ:この映画は密かに作ったものでヨーロッパ調の雰囲気の映画だから、ベルリン映画祭で上映したかったの。ベルリンは巨大で派手なお祭り騒ぎのような映画祭ではないでしょ?
── 実際に映画を監督してみた経験はいかがでしたか?
マドンナ:私にとって自己流で映画の制作を勉強する場になった。そして私自身、映画監督をするのが大好きだと気づいたわ。カメラの後ろに立ち、製作に携わるということがね。
── 自分が出演するのではなく、カメラの背後に立つのは簡単ですか?
マドンナ:実際には結構難しかったわ。私が自分のステージを監督するときは、私が実際に演じるし、より本能的な体験なの。けれど映画を監督することは、どちらかというと頭の中で生きているようで、ホリーがダンスをしたり、ユージンが演奏したりするのを見て嫉妬したわ。唯一不足していたのはその部分ね。心の底からの表現は、演じることによってしか得られないものだから、私は首から上の部分だけ、頭で関わることに対して、多少気持ちの調整が必要だった。とはいえ、監督することは大好き。ストーリーを語る仕事は私に合っていると思う。女優は他人のストーリーの一部でしかないけれど、監督はストーリーを自分自身の解釈で演出することができるでしょ?
── この映画のテーマは何ですか?
マドンナ:この映画で探求したテーマのひとつは“葛藤”よ。自分のキャリアの初期を振り返ると、まるで昨日のことのように葛藤の日々が思い出されて、登場人物の葛藤には、私自身完全に共感できる。だから自分の記憶にアクセスして、映画のストーリーに取り入れることにしたわ。もう30年以上も前のことだけど、私はバレリーナになる夢を抱いてミシガンからニューヨークに出てきて、ニューヨークにいる何千人もの若きバレリーナのひとりとして、貧しい暮らしを送っていたのよ。劇中でバレリーナのホリーが生活のためにストリップクラブで働き始めるのだって、生きる上での知恵のひとつを取り上げたに過ぎないのだけれど、“欲しいものを手に入れるためなら、どんな犠牲も払う”というシンプルな処世訓を私なりに表現したつもり。
── アーティストを描いたのはなぜですか?
マドンナ:それは、私が“クリエティブなアーティスト”に惹かれるから。この映画は、アーティストの葛藤、アーティストになるための旅路を描いているの。あの家に住んでいる人たちは、皆、アーティストなの。盲目の詩人も含め、皆、伝えたいことがあり、それを伝える、また表現する手段を見つけるために、必死にもがいている。それがこの映画のテーマだから。
── そこには、アーティスト“マドンナ”も投影されているのでしょうか。
マドンナ:私が好きなものすべてが映画に詰まっているの。登場人物には、マリア・カラスの「カスタ・ディーヴァ」を聴きながら執筆することを愛している作家がいる。私は文学もオペラも大好きなの。バレエダンサーも登場するけど、私はもともとダンサーを目指していたしね。パンクロッカーもいる、哲学者もいる、ジュリエットというキャラクターは、辛い子供時代を送り父親との関係で悩んでいて、すべてから逃れてアフリカの子供を救済したがっている。すべてのキャラクターは私とつながりがあるのよ。
── この映画の登場人物はどのようなキャラクターなのでしょうか。
マドンナ:私は、被害者意識や犠牲者意識を持つことに対して否定的なの。人生で起きることにはすべて必然性があると思っているわ。私たちは、与えられたレモンからレモネードを作るしかない…誰もがカードの手札を配られていて、そして、私たちは皆、天賦の資質(ギフト)を与えられている。時に人はそれをハンディキャップとして捉えるけれど、ハンディキャップも根本的にはギフトであって、自己憐憫に浸ったり、自分が辛いのを他人のせいにしたりするのは時間の無駄だと思うの。だから、この映画の登場人物たちが被害者ではないことはとても重要なことで、彼らに対し何ら審判が下されていないことにも意味があるのよ。なぜならば、本質的には彼らは間違っていないし不道徳でもないから。
── 主人公3人のうち、どのキャラクターに自分は一番近いと思いますか?
マドンナ:あえていうなら、AK(ユージン)ね。彼のキャラクターは最後に大きな変化を遂げるから。ストーリーを振り返ると映画の冒頭では、彼は人を叩いて(SM)で生計を立てている。けれど、映画の最後の方では、彼は自分が言いたいことを言って、ステージでやりたいことをやって、他人の芸術「詩」から音楽を作り出し、そして恋にも落ちる。彼が私に一番近いと思うわ。
── 人生はパラドックス(逆説的)であるという点についてはどう考えますか?
マドンナ:人生はパラドックスだわ。だから映画のタイトルを“Filth and Wisdom(堕落と知恵)”にしたの。現実は堕落の中に知恵を見出し、知恵の中に堕落を見出すでしょ?ユージンが本編の最初に「救われたいならば、まず地獄に落ちなければならない」と言うように、本当に見識のある人になる為には悲観や暗闇を経験しなければならなくて、そうしないことには本当の達成感や幸福に達する事ができないわ。だからこの映画は希望を持たせるエンディングにする事が大切だったのよ。
── 幸せは人から人へ伝わると思いますか?
マドンナ:もちろん。私は悲しい結末は嫌なの。道のりは悲しくてもいいけれど、結末は幸せでないと嫌だわ。
── あなたはジプシーに対する格別な思いがあるように思いますが、それは何故ですか?
マドンナ:それは、ひそかに私はジプシーになりたいと思っているからだと思う。放浪の旅をして、音楽を奏で、自然で自由で開かれた生活を送るという考え方が私はすごく好きなの。私が世界中で出会ったジプシーたちには、情熱的で信頼性があって、敬愛しているし、私の作品の中にそういった側面を取り入れていきたいと思っているの。私の思い入れほどは無理だと思うけれど…。
── 性のイメージがもつダークな側面については、どのように考えていますか?
マドンナ:私たちが住む世界、社会、人々の関わり方、商品の売り方、他人との関連性において“性”は大きな役割を果たしていると思う。だから人々との関わりを伝えるにあたって性を無視する事は、実際の事実を話していないということになると思う。でも無意識なものでもあるから、脚本を書いて本編を見終わったときに、作品に暴力的な面もあり性的な面もあるし…私の頭の中はどうなっているのかしら、と思ったわ。
── この映画では何故有名なキャストを起用しなかったのでしょうか。
マドンナ:無名のキャストの方がスケジュールの心配を避けられるわよね。でもリチャード・E・グラントは、とても人気も実力のある俳優で、同時に何本もの作品に関わっていたからスケジュールを合わせるのが大変だった。そのようなキャストは私にとっては一人で精一杯よ。でもAKはユージンで当て書きしていたので、彼をストーカーのように追いかけまわして出演にこぎつけたの。これは彼でなければ成立しなかった映画だもの。
── 映画を作るうえで、一番大変だったことは何でしたか?
マドンナ:一番大変だったことは、自分が欲しているものを撮れたかどうかの判断ね。次に進んで問題無いのか、自信を持ってもう撮り直しは不要、と言えるか。最初はとてもナーバスになったのよ。スタッフの中には、有名な監督と仕事をしてきた人もいて、そういうプロの集団に初心者の私が相手にしてもらえるのかという不安もあった。たとえば、経験豊富なカメラマンなら、カメラの位置について私に指示されたくないでしょ? だからまず、私の意見を真剣に聞いてもらえるような関係を作る努力をしたわ。私は独裁者じゃないし、誰かが私よりもずっといいアイデアを持っていれば、それを受け入れることに何の問題もないもの。
── 劇中の音楽について教えて下さい
マドンナ:高い楽曲使用料をふっかけられないように、よく知っているミュージシャンの曲を借りたわ。ブリトニーもそのひとりでとても協力的だった(註:ブリトニー・スピアーズの「ベイビー・ワン・モア・タイム」がストリップクラブのシーンで流れる)。
── .これから映画とはどのように関わっていくと思いますか?
マドンナ:私がやることは私の半自伝的要素に結果的になることが多いから、きっと映画もそうね、そういう意味を持つことになると思うわ。『ワンダーラスト』は映画監督としてのキャリアの最初の一歩ね。
── この映画が商業的に成功することを望みますか、それとも批評家が評価することを望みますか?
マドンナ:何かそういったものを期待しているわけではなくて…、というのも、初めての作品だし、私は映画を純粋に作りたかっただけだから。でも、観てくれた人に何か響くものがあったら、そして私が映画製作に真剣であることが分かってもらえたら、というのが唯一期待していることだわ。
── この映画にガイ・リッチーはどのように関わりましたか?
マドンナ:彼は当時非常に忙しくて、自分の映画の撮影に入る直前だったの。私が撮影に入っている時期、彼の映画はプリプロダクション中だったから、彼は一度しか撮影現場には来なかった。でも、それはかえって良かったわ。だって、彼が現場に来たときは、私はすごく緊張したもの。でも彼からは撮影前に、とてもいいアドバイスをもらったの。「自分の進む方向に自信を持たないと、絶対に(ゴールに)到達できない。君がナーバスなオーラを出していたら、君自身がダメになる」って。
── 次回作についてのプランは既にありますか?
マドンナ:頭の中では他の映画のアイデアも渦巻いているの。ニューヨーク、ロンドン、パリが舞台の予定だけど、まだ言ってはいけないみたいだわ(笑)。
マドンナ写真:(c)Dave Allocca/StarPix
『ワンダーラスト』
配給:ヘキサゴン・ピクチャーズ
配給協力:ミラクルヴォイス
2009年1月、渋谷アミューズCQN他全国順次ロードショー
(c)2007 Semtex Films
◆映画『ワンダーラスト』予告編
── なぜマドンナ自身が映画を撮ることになったのか、教えて下さい。
マドンナ:きっかけは、H&Mの洋服のデザインをしたときに、そのプロモーション用のコマーシャルを監督したことなの。その制作会社の代表と一緒にCMを制作してから、映画も制作しようと意気投合したわ。私は常に映画の芸術性と素晴らしい物語を伝えられる能力に敬意を払ってきたし、30年近くカメラの前に立ち続けてきたけれど、今度は行動でそれを示したいと思うようになったの。ダンサーだった頃から映画にはいつもインスパイアされてきたし、以前から映画を撮りたいという願望は秘かにあったけど、「監督したい」とは恐れ多くて言い出せなかった。でもある日、ただ夢見るのはやめて、実際に作ろうと思い立ったの。もちろんそれは、エージェントが仕切るハリウッド方式の作品ではなくて、すべて私自身の中から生まれるものじゃなくちゃ意味がないわ。だから脚本を自分で書こうと決めたの。
── 監督としてデビューすることは夢だった?
マドンナ:ええ。でも夢じゃないわ。現実になっているから。
── 最初にベルリン国際映画祭に出品したのはどうしてですか?
マドンナ:この映画は密かに作ったものでヨーロッパ調の雰囲気の映画だから、ベルリン映画祭で上映したかったの。ベルリンは巨大で派手なお祭り騒ぎのような映画祭ではないでしょ?
── 実際に映画を監督してみた経験はいかがでしたか?
マドンナ:私にとって自己流で映画の制作を勉強する場になった。そして私自身、映画監督をするのが大好きだと気づいたわ。カメラの後ろに立ち、製作に携わるということがね。
── 自分が出演するのではなく、カメラの背後に立つのは簡単ですか?
マドンナ:実際には結構難しかったわ。私が自分のステージを監督するときは、私が実際に演じるし、より本能的な体験なの。けれど映画を監督することは、どちらかというと頭の中で生きているようで、ホリーがダンスをしたり、ユージンが演奏したりするのを見て嫉妬したわ。唯一不足していたのはその部分ね。心の底からの表現は、演じることによってしか得られないものだから、私は首から上の部分だけ、頭で関わることに対して、多少気持ちの調整が必要だった。とはいえ、監督することは大好き。ストーリーを語る仕事は私に合っていると思う。女優は他人のストーリーの一部でしかないけれど、監督はストーリーを自分自身の解釈で演出することができるでしょ?
── この映画のテーマは何ですか?
マドンナ:この映画で探求したテーマのひとつは“葛藤”よ。自分のキャリアの初期を振り返ると、まるで昨日のことのように葛藤の日々が思い出されて、登場人物の葛藤には、私自身完全に共感できる。だから自分の記憶にアクセスして、映画のストーリーに取り入れることにしたわ。もう30年以上も前のことだけど、私はバレリーナになる夢を抱いてミシガンからニューヨークに出てきて、ニューヨークにいる何千人もの若きバレリーナのひとりとして、貧しい暮らしを送っていたのよ。劇中でバレリーナのホリーが生活のためにストリップクラブで働き始めるのだって、生きる上での知恵のひとつを取り上げたに過ぎないのだけれど、“欲しいものを手に入れるためなら、どんな犠牲も払う”というシンプルな処世訓を私なりに表現したつもり。
── アーティストを描いたのはなぜですか?
マドンナ:それは、私が“クリエティブなアーティスト”に惹かれるから。この映画は、アーティストの葛藤、アーティストになるための旅路を描いているの。あの家に住んでいる人たちは、皆、アーティストなの。盲目の詩人も含め、皆、伝えたいことがあり、それを伝える、また表現する手段を見つけるために、必死にもがいている。それがこの映画のテーマだから。
── そこには、アーティスト“マドンナ”も投影されているのでしょうか。
マドンナ:私が好きなものすべてが映画に詰まっているの。登場人物には、マリア・カラスの「カスタ・ディーヴァ」を聴きながら執筆することを愛している作家がいる。私は文学もオペラも大好きなの。バレエダンサーも登場するけど、私はもともとダンサーを目指していたしね。パンクロッカーもいる、哲学者もいる、ジュリエットというキャラクターは、辛い子供時代を送り父親との関係で悩んでいて、すべてから逃れてアフリカの子供を救済したがっている。すべてのキャラクターは私とつながりがあるのよ。
── この映画の登場人物はどのようなキャラクターなのでしょうか。
マドンナ:私は、被害者意識や犠牲者意識を持つことに対して否定的なの。人生で起きることにはすべて必然性があると思っているわ。私たちは、与えられたレモンからレモネードを作るしかない…誰もがカードの手札を配られていて、そして、私たちは皆、天賦の資質(ギフト)を与えられている。時に人はそれをハンディキャップとして捉えるけれど、ハンディキャップも根本的にはギフトであって、自己憐憫に浸ったり、自分が辛いのを他人のせいにしたりするのは時間の無駄だと思うの。だから、この映画の登場人物たちが被害者ではないことはとても重要なことで、彼らに対し何ら審判が下されていないことにも意味があるのよ。なぜならば、本質的には彼らは間違っていないし不道徳でもないから。
── 主人公3人のうち、どのキャラクターに自分は一番近いと思いますか?
マドンナ:あえていうなら、AK(ユージン)ね。彼のキャラクターは最後に大きな変化を遂げるから。ストーリーを振り返ると映画の冒頭では、彼は人を叩いて(SM)で生計を立てている。けれど、映画の最後の方では、彼は自分が言いたいことを言って、ステージでやりたいことをやって、他人の芸術「詩」から音楽を作り出し、そして恋にも落ちる。彼が私に一番近いと思うわ。
── 人生はパラドックス(逆説的)であるという点についてはどう考えますか?
マドンナ:人生はパラドックスだわ。だから映画のタイトルを“Filth and Wisdom(堕落と知恵)”にしたの。現実は堕落の中に知恵を見出し、知恵の中に堕落を見出すでしょ?ユージンが本編の最初に「救われたいならば、まず地獄に落ちなければならない」と言うように、本当に見識のある人になる為には悲観や暗闇を経験しなければならなくて、そうしないことには本当の達成感や幸福に達する事ができないわ。だからこの映画は希望を持たせるエンディングにする事が大切だったのよ。
── 幸せは人から人へ伝わると思いますか?
マドンナ:もちろん。私は悲しい結末は嫌なの。道のりは悲しくてもいいけれど、結末は幸せでないと嫌だわ。
── あなたはジプシーに対する格別な思いがあるように思いますが、それは何故ですか?
マドンナ:それは、ひそかに私はジプシーになりたいと思っているからだと思う。放浪の旅をして、音楽を奏で、自然で自由で開かれた生活を送るという考え方が私はすごく好きなの。私が世界中で出会ったジプシーたちには、情熱的で信頼性があって、敬愛しているし、私の作品の中にそういった側面を取り入れていきたいと思っているの。私の思い入れほどは無理だと思うけれど…。
── 性のイメージがもつダークな側面については、どのように考えていますか?
マドンナ:私たちが住む世界、社会、人々の関わり方、商品の売り方、他人との関連性において“性”は大きな役割を果たしていると思う。だから人々との関わりを伝えるにあたって性を無視する事は、実際の事実を話していないということになると思う。でも無意識なものでもあるから、脚本を書いて本編を見終わったときに、作品に暴力的な面もあり性的な面もあるし…私の頭の中はどうなっているのかしら、と思ったわ。
▲ゴーゴル・ボールデロのボーカル、ユージン・ハッツ |
マドンナ:無名のキャストの方がスケジュールの心配を避けられるわよね。でもリチャード・E・グラントは、とても人気も実力のある俳優で、同時に何本もの作品に関わっていたからスケジュールを合わせるのが大変だった。そのようなキャストは私にとっては一人で精一杯よ。でもAKはユージンで当て書きしていたので、彼をストーカーのように追いかけまわして出演にこぎつけたの。これは彼でなければ成立しなかった映画だもの。
── 映画を作るうえで、一番大変だったことは何でしたか?
マドンナ:一番大変だったことは、自分が欲しているものを撮れたかどうかの判断ね。次に進んで問題無いのか、自信を持ってもう撮り直しは不要、と言えるか。最初はとてもナーバスになったのよ。スタッフの中には、有名な監督と仕事をしてきた人もいて、そういうプロの集団に初心者の私が相手にしてもらえるのかという不安もあった。たとえば、経験豊富なカメラマンなら、カメラの位置について私に指示されたくないでしょ? だからまず、私の意見を真剣に聞いてもらえるような関係を作る努力をしたわ。私は独裁者じゃないし、誰かが私よりもずっといいアイデアを持っていれば、それを受け入れることに何の問題もないもの。
── 劇中の音楽について教えて下さい
マドンナ:高い楽曲使用料をふっかけられないように、よく知っているミュージシャンの曲を借りたわ。ブリトニーもそのひとりでとても協力的だった(註:ブリトニー・スピアーズの「ベイビー・ワン・モア・タイム」がストリップクラブのシーンで流れる)。
── .これから映画とはどのように関わっていくと思いますか?
マドンナ:私がやることは私の半自伝的要素に結果的になることが多いから、きっと映画もそうね、そういう意味を持つことになると思うわ。『ワンダーラスト』は映画監督としてのキャリアの最初の一歩ね。
── この映画が商業的に成功することを望みますか、それとも批評家が評価することを望みますか?
マドンナ:何かそういったものを期待しているわけではなくて…、というのも、初めての作品だし、私は映画を純粋に作りたかっただけだから。でも、観てくれた人に何か響くものがあったら、そして私が映画製作に真剣であることが分かってもらえたら、というのが唯一期待していることだわ。
── この映画にガイ・リッチーはどのように関わりましたか?
マドンナ:彼は当時非常に忙しくて、自分の映画の撮影に入る直前だったの。私が撮影に入っている時期、彼の映画はプリプロダクション中だったから、彼は一度しか撮影現場には来なかった。でも、それはかえって良かったわ。だって、彼が現場に来たときは、私はすごく緊張したもの。でも彼からは撮影前に、とてもいいアドバイスをもらったの。「自分の進む方向に自信を持たないと、絶対に(ゴールに)到達できない。君がナーバスなオーラを出していたら、君自身がダメになる」って。
── 次回作についてのプランは既にありますか?
マドンナ:頭の中では他の映画のアイデアも渦巻いているの。ニューヨーク、ロンドン、パリが舞台の予定だけど、まだ言ってはいけないみたいだわ(笑)。
マドンナ写真:(c)Dave Allocca/StarPix
『ワンダーラスト』
配給:ヘキサゴン・ピクチャーズ
配給協力:ミラクルヴォイス
2009年1月、渋谷アミューズCQN他全国順次ロードショー
(c)2007 Semtex Films