増田勇一のライヴ日記 7月回顧編(2)RIZE
RIZEから「中尾宣弘(g)、脱退!」という驚愕情報が届けられたのは、去る5月20日のこと。正直に言うと、最初にこの話を聞いたときは驚きも悲しみも感じなかった。単純に信じられなくて、「どうせ冗談か、何かの間違いだろ?」と思ったのだ。もちろんそれは、実はこれまでもこのバンドの歩んできた道程がずっと順風満帆だったわけじゃないこと、いわゆる存続の危機すらも乗り越えてきたメンバーたちを繋ぐ絆の強さが半端じゃないことを知っていたからでもあるし、この4人で作られた最新アルバム『K.O.』がまさにRIZEの“新たな原点”を感じさせるものだったからでもある。が、中尾は本当に、同作のリリースから約1ヵ月で戦線離脱してしまうことになったのだ。
そしてこのアルバム発表に伴う全国ツアー<RIZE TOUR 2008 T.K.O.>が開幕を迎えたのは、そんな大事件から2週間も経ていない6月2日、水戸でのこと。結果的に、僕が『K.O.』について抱いていた“新たな原点”というイメージは、まったく意味の異なるものになってしまった。そう、なにしろこのツアーの開始自体が、JESSE(vo,g)と金子ノブアキ(ds)、KenKen(b)という、いちばん“ありそうでなかった布陣”による新生RIZEにとっての起点となってしまったのだから。
そんな運命的ツアーのスタートから約1ヵ月半を経た7月21日、RIZEはその最終地点に到達した。東京、新木場STUDIO COAST。フロアは飢餓感に満ちたファンで、関係者エリアは家族や仲間たちでぎっしりと埋め尽くされている。が、そこに漂っているのは“この局面でRIZEはどう変わったのか?”といった好奇心に支配された空気じゃなく、むしろ不思議なくらい“いつもどおり”の熱気だった。そして実際、最新アルバムと同様に「LADY LOVE」で幕を開け、最終的に2時間弱にも及んだライヴは、RIZEというバンドが、過去にはなかったカタチをしていながら、今も“何年も前からよく知っているRIZE”のままであることをストレートに伝えてくれるものとなった。
ライヴ自体の具体的な流れなどについては、今後、あちこちの音楽専門誌などでも掲載されることになるのだろうから、この場では触れずにおく。が、そうした事実関係だとか、“4人が3人になったことで何がどうなったのか?”といったことよりもずっと重要なのは、この夜のRIZEが、とてつもなく“ロック・バンド”に感じられたことだろう。実際、『K.O.』という作品自体についても僕は同じことをあらかじめ感じていたし、だからこそ“新たな原点”という解釈にも至っていたわけなのだ。
RIZEはそもそもロック・バンドとして生まれ、ずっとロック・バンドであり続けてきた。が、そのロック然とした本質の部分が、時と場合によっては“RIZE”というスタイルに埋没してしまっていたこともあったように、僕には思えるのだ。 ん? 意味がよくわからない? 僕自身もまだ自分のなかで考えを整理しきれていない状態にあるのだからそれも無理はないと思うのだが、要するに「骨と皮と必要最小限の筋肉だけという成り立ちになったとき、これまで隠れていたものが見えてきた」ということでもあるし、「RIZEらしい音楽を成立させるためには何か特別なことをする必要があるわけじゃなく、連中がただストレートにロックすればそれが何よりもRIZEらしいのだ」ということでもある。
ただ、誤解してほしくないのだが、間違ってもこれは、中尾の存在がこれまでそうした本質を見えにくくしていたという意味ではない。なにしろRIZEは、3人ではなく4人で『K.O.』に到達しているのだから。で、そうしたある種の極限状態へと至ったところで、さらにその先を突き詰めようとした3人と、別の可能性を追求してみたくなった1人、という分離が生じることになったのではないか。それが今回の一件に関する、現時点での僕なりの解釈だったりもする。
もちろん実際のライヴ中は、そんな理屈っぽいことばかり考えながらステージと対峙していたわけではない。というか、仮にそういった態度で観ようと試みたところで、彼らのライヴ・パフォーマンスはそれを許してくれない。とにかく刺激的だった。楽しかった。スリリングだった。関係者席に座ったままなのに、汗もかいた。とても気持ち良く終演を迎え、帰路につくことができた。これまでのRIZEのライヴが大概そうだったように。
ところで筆者は過去、RIZEのライヴを何故か2度も青森で観ている。それ以外はほとんど東京近郊でしか観たことがないのに、だ。そのため当時、メンバーたちの間では「もしかして増田さんには、青森に隠し子でもいるんじゃないか?」という大胆な仮説がまことしやかに囁かれていたようだが、幸か不幸かそうした事実はないので、念のため。何故、今さらこんなことを書いたのかといえば、終演後に金子ノブアキからちょっとした話を聞いたからだ。この夜の新木場STUDIO COASTでファイナルを迎えた全29公演に及ぶ今回のツアーの、28本目の公演が実はその青森で行なわれ、そこで「増田さん、来てんじゃねえの?」という話になったというのだ。いや、実際、本当はツアー最終公演まで待つのが嫌で、「洒落で、また青森に出没したりしたらウケるかもなあ」などと考えていたという、嘘みたいなホントの話もあったりするのだが。とはいえ、もちろん“青森行き願望”に不純な動機があったわけではないので、くれぐれも誤解なきよう。
余談はともかく、ここでひとつだけマジな話を。RIZEが「ピンクスパイダー」をカヴァーしている事実については今さら改めて説明するまでもないはずだが、この夜、彼らが演奏するこの曲を聴きながら感じたのは、「きっとhideとRIZEは、いつか一緒に何かする運命にあったんだろうな」ということ。同時に、「ピンクスパイダー」という楽曲自体、たとえばニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」と同じくらい大切に、後世へと語り継いでいかなければいけないものなんじゃないか、とも痛感させられた。もちろん「Why I’m Me」についても同じようなことが言える。そしてRIZEには、そういった楽曲をこれからもっと生み出していくべき義務があるように思う。
ライヴの中盤と最終場面で、JESSEは、「RIZE、もう辞めねーよ」とか「1日でも多く続けていくんで、ついて来いや!」といった言葉を吐いた。若気の至りで暴走するのではなく、意志と確信を持ちながら疾走している現在のRIZEに、もはや迷いは微塵もない。次に彼らのステージと向き合う瞬間が、今からとても楽しみでならない。ちなみに現在のところ、僕にはその機会が8月13日に訪れることになっている。会場は恵比寿リキッドルームで、彼らとステージを共にするのはPay money To my Pain。ふたたび、きわめてロックな一夜を過ごすことになりそうだ。
増田勇一
そしてこのアルバム発表に伴う全国ツアー<RIZE TOUR 2008 T.K.O.>が開幕を迎えたのは、そんな大事件から2週間も経ていない6月2日、水戸でのこと。結果的に、僕が『K.O.』について抱いていた“新たな原点”というイメージは、まったく意味の異なるものになってしまった。そう、なにしろこのツアーの開始自体が、JESSE(vo,g)と金子ノブアキ(ds)、KenKen(b)という、いちばん“ありそうでなかった布陣”による新生RIZEにとっての起点となってしまったのだから。
そんな運命的ツアーのスタートから約1ヵ月半を経た7月21日、RIZEはその最終地点に到達した。東京、新木場STUDIO COAST。フロアは飢餓感に満ちたファンで、関係者エリアは家族や仲間たちでぎっしりと埋め尽くされている。が、そこに漂っているのは“この局面でRIZEはどう変わったのか?”といった好奇心に支配された空気じゃなく、むしろ不思議なくらい“いつもどおり”の熱気だった。そして実際、最新アルバムと同様に「LADY LOVE」で幕を開け、最終的に2時間弱にも及んだライヴは、RIZEというバンドが、過去にはなかったカタチをしていながら、今も“何年も前からよく知っているRIZE”のままであることをストレートに伝えてくれるものとなった。
ライヴ自体の具体的な流れなどについては、今後、あちこちの音楽専門誌などでも掲載されることになるのだろうから、この場では触れずにおく。が、そうした事実関係だとか、“4人が3人になったことで何がどうなったのか?”といったことよりもずっと重要なのは、この夜のRIZEが、とてつもなく“ロック・バンド”に感じられたことだろう。実際、『K.O.』という作品自体についても僕は同じことをあらかじめ感じていたし、だからこそ“新たな原点”という解釈にも至っていたわけなのだ。
RIZEはそもそもロック・バンドとして生まれ、ずっとロック・バンドであり続けてきた。が、そのロック然とした本質の部分が、時と場合によっては“RIZE”というスタイルに埋没してしまっていたこともあったように、僕には思えるのだ。 ん? 意味がよくわからない? 僕自身もまだ自分のなかで考えを整理しきれていない状態にあるのだからそれも無理はないと思うのだが、要するに「骨と皮と必要最小限の筋肉だけという成り立ちになったとき、これまで隠れていたものが見えてきた」ということでもあるし、「RIZEらしい音楽を成立させるためには何か特別なことをする必要があるわけじゃなく、連中がただストレートにロックすればそれが何よりもRIZEらしいのだ」ということでもある。
ただ、誤解してほしくないのだが、間違ってもこれは、中尾の存在がこれまでそうした本質を見えにくくしていたという意味ではない。なにしろRIZEは、3人ではなく4人で『K.O.』に到達しているのだから。で、そうしたある種の極限状態へと至ったところで、さらにその先を突き詰めようとした3人と、別の可能性を追求してみたくなった1人、という分離が生じることになったのではないか。それが今回の一件に関する、現時点での僕なりの解釈だったりもする。
もちろん実際のライヴ中は、そんな理屈っぽいことばかり考えながらステージと対峙していたわけではない。というか、仮にそういった態度で観ようと試みたところで、彼らのライヴ・パフォーマンスはそれを許してくれない。とにかく刺激的だった。楽しかった。スリリングだった。関係者席に座ったままなのに、汗もかいた。とても気持ち良く終演を迎え、帰路につくことができた。これまでのRIZEのライヴが大概そうだったように。
ところで筆者は過去、RIZEのライヴを何故か2度も青森で観ている。それ以外はほとんど東京近郊でしか観たことがないのに、だ。そのため当時、メンバーたちの間では「もしかして増田さんには、青森に隠し子でもいるんじゃないか?」という大胆な仮説がまことしやかに囁かれていたようだが、幸か不幸かそうした事実はないので、念のため。何故、今さらこんなことを書いたのかといえば、終演後に金子ノブアキからちょっとした話を聞いたからだ。この夜の新木場STUDIO COASTでファイナルを迎えた全29公演に及ぶ今回のツアーの、28本目の公演が実はその青森で行なわれ、そこで「増田さん、来てんじゃねえの?」という話になったというのだ。いや、実際、本当はツアー最終公演まで待つのが嫌で、「洒落で、また青森に出没したりしたらウケるかもなあ」などと考えていたという、嘘みたいなホントの話もあったりするのだが。とはいえ、もちろん“青森行き願望”に不純な動機があったわけではないので、くれぐれも誤解なきよう。
余談はともかく、ここでひとつだけマジな話を。RIZEが「ピンクスパイダー」をカヴァーしている事実については今さら改めて説明するまでもないはずだが、この夜、彼らが演奏するこの曲を聴きながら感じたのは、「きっとhideとRIZEは、いつか一緒に何かする運命にあったんだろうな」ということ。同時に、「ピンクスパイダー」という楽曲自体、たとえばニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」と同じくらい大切に、後世へと語り継いでいかなければいけないものなんじゃないか、とも痛感させられた。もちろん「Why I’m Me」についても同じようなことが言える。そしてRIZEには、そういった楽曲をこれからもっと生み出していくべき義務があるように思う。
ライヴの中盤と最終場面で、JESSEは、「RIZE、もう辞めねーよ」とか「1日でも多く続けていくんで、ついて来いや!」といった言葉を吐いた。若気の至りで暴走するのではなく、意志と確信を持ちながら疾走している現在のRIZEに、もはや迷いは微塵もない。次に彼らのステージと向き合う瞬間が、今からとても楽しみでならない。ちなみに現在のところ、僕にはその機会が8月13日に訪れることになっている。会場は恵比寿リキッドルームで、彼らとステージを共にするのはPay money To my Pain。ふたたび、きわめてロックな一夜を過ごすことになりそうだ。
増田勇一
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