三寒志恩ムック初春の宴(9)ロチェスター編その参

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▲出番直前の達瑯。撮影場所はステージの袖。余裕の表情である。
▲メンバーの背後からライヴを観るとこんな感じ。セキュリティが一段高いところから観衆を監視しているのがわかる。
▲終演後には恒例のサイン会が。ちなみにステージ上ではBFMVが熱演中。
▲なかには「腕にサインしてくれ」なんて野郎もいたりして。
▲ときには手に「ムック 69」なんて描いてる野郎に記念撮影をせがまれたりして。
2008年3月10日、午後5時15分。定刻から15分ほど遅れてようやく開場。入場時のセキュリティ・チェックはかなり厳しい。この会場に限らず、アメリカでのライヴでは危険物やそれに等しいものはもちろん、大きめのバッグやバック・パックの類も大概は持ち込み禁止。極端な言い方をすれば「不要なはずのカバンには爆発物が入っていると思え」ということなのだろう。

で、当然ながら日本のようにコイン・ロッカーなどという親切なものは用意されていないから、「荷物はクルマに置いてこい」と言われることになる。だから公共の交通手段を使って来場するキッズにとっては、あらかじめライヴは“手ぶらで行くべきもの”と認識されているのだ。

開場が遅れようと開演は5時半の定刻。この日も一番手はオーディションで選ばれたローカル・バンド。ほとんど埋まっていないフロアを相手に演奏することになったこのSETTINGSというバンドは、同じニューヨーク州のバッファローからやってきたそうで、ラストの曲を演奏する前、ヴォーカリストは「夢がかなった。いや、それ以上の経験だったよ」と笑顔で語っていた。

そして午後6時45分、この夜も4番手としてムックはステージに登場。オープニングの「蘭鋳」で、デトロイト公演の際と同様にいきなりモッシュ・ピットができ、洗濯機のなかにでも突っ込まれたかのように群衆が回りだす。なんだかロチェスターの観衆は、ちょっと荒っぽい印象だ。だからこそ、なのだろう。あちこちにセキュリティの姿がやたらと目立つし、ちょっとでも何か騒ぎが起こると、いかつい野郎どもが現場に急行する。

実際、ムックの演奏中にもモッシュ・ピットからつまみ出された少年がいた。その少年が何をしたのかはわからない。が、彼が着ていたTシャツはビリビリに裂けていて、腕の関節をキメたうえで床に組み伏せられた彼には、なんと手錠がかけられた。

そんなフロアと同様に、実はステージ上にも緊張感が漂っていた。序盤の数曲、YUKKEのベースがまったく鳴っていなかったのだ。しかし、それが全然気にならなかったとまで言えば嘘になってしまうが、演奏内容は2日前のデトロイト公演よりもずっと良かったし、ベースのアクシデントさえ除けば、サウンド面でもかなり改善されていた気がする。

達瑯の存在感も、さらに大きさを感じさせるものになっていたし、英語のMCもしっかりと通じている。実はこのステージに先駆け、彼はアヴェンジド・セヴンフォールドのフロントマン、M・シャドウズに“有効なフレーズ”を伝授されていたりもしたのだとか。

この夜のムックのステージで残念だったことが、前述のベース・トラブル以外にもうひとつだけあった。それは演奏時間があまりにも短いこと。もちろん30分という持ち時間は絶対厳守だし、仕方ないことではある。が、ムックが「もっと観たい」と思わせるライヴを展開していた事実は読者にも伝えておきたいし、仮に当地のオーディエンスが僕と同じように感じていたなら、この夜のライヴは大成功だったということになるだろう。

そして実際、この夜のライヴが良かったことを証明するように、終演後のサイン会にはこの夜も長蛇の列ができた。ちなみにこの会場はロビーが狭いため、サイン会のブースはフロアの最後部に設営されている。ちょうどステージではブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインが演奏中。彼らのアグレッシヴな演奏を聴きながら、ファンとのコミュニケーションにいそしむ4人だった。

増田勇一
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