増田勇一のライヴ日記【6】2007年6月9日(土)Dir en grey@ROSELAND BALLROOM,NY
去る6月6日からDEFTONESの全米ツアーに合流しているDir en grey。そのニューヨーク公演を観るべく、急遽、渡米した。
会場はマンハッタンにあるローズランド・ボールルーム。当初は6月9日の公演のみが決まっていたが、早々にチケットがソールドアウトに至ったため前日にあたる8日に追加公演が行なわれることになり、それによってDir en greyの面々は、いきなり「ツアー合流から7日間連続ライヴ」という究極的日常のなかに飛び込むことになったのだった。
会場前では公演前夜から10人以上が徹夜で行列。全員がDir en greyのファンである。話を聞いてみたところ「彼らのライヴを観るのはもう4回目。今回は“前座”ということで去年の『FAMILY VALUES』のときみたいに6~7曲くらいのステージになるんだろうと思っていたら、昨日のライヴを観た友達から10曲くらいやると聞いて、我慢できずに今朝から並んでいる」という。さらには「DEFTONESも好きだから今回のツアー実現はとても嬉しいし、Dir en greyを通じて私のフェイヴァリット・バンドも増えた。『FAMILY VALUES』のときは全バンドを観たし、この前は、前回のツアーで彼らと一緒にやっていたFAIR TO MIDLANDを観に行ったし」といった発言も飛び出す。こうした音楽的な連鎖の広がりというのは、メンバーたちにとっても願ってもないことだろう。
しかしもちろん、今回のツアーにおけるDir en greyにとっての最大のテーマは、「かならずしも自分たちを知っている人たちばかりではない環境のなかで、どれだけ自分たちの存在感を見せつけることができるか」ということ。もちろんDir en greyのファンもたくさんいるはずだが、フロアの大半を占めているのはDEFTONESの支持層である。しかもアメリカ側のスタッフによればDEFTONESのファンは「他のバンドが目に入らないくらい、DEFTONESを崇拝する」傾向が強いのだという。そこで彼らの音がどう響くことになるのか。僕自身にとっての最大の興味もそこにあった。
そして、結論から言えば、僕はこの両日のライヴを観て、良い意味での安心感を味わうことになった。正直、彼らのライヴを何度も観てきた人間の目と耳からすれば、どちらの日のライヴも最上級のものとは言い難いものだった。特に8日は、演奏中に原因不明の機材トラブルに見舞われ、楽曲によっては“痒いところにまったく手が届かない”ようなもどかしさを感じざるを得ない部分があった。また、「CONCEIVED SORROW」をオープニングに据えた同日の構成内容についても、Dir en greyの世界観をあらかじめ知っている観衆にとってはともかく、予備知識ゼロでも不思議ではないDEFTONESファンの気持ちを即座につかむうえでは効果的だったとは言えない。実際、同楽曲の静かな滑り出しを耳にした途端、フロアからバーへと流れていこうとする観客の姿も見受けられた。
が、「REPETITION OF HATRED」で幕を開け、間髪を入れずに「THE FATAL BELIEVER」へとなだれ込んだ翌日のライヴでは、明らかに場内の温度が違っていた。人の流れもむしろ逆だった。前夜に感じたサウンド面での物足りなさも、ほぼすべて解消されていた。ストレートな言い方をすれば、第一夜のライヴでは不満のほうが大きかったが、第二夜にはかなり高い次元での満足感を得ることができた。もちろんその不満というのも、かならずしもすべて彼ら自身に起因するわけではない。が、そうした流れのなかで、僕は今回のツアーが“転がり始めた”のを体感することになった。だからこそ、ある種の安心感を味わうことができたわけである。
実際問題として、この時点での彼らが、今回のツアーにおけるセット・リストの理想形をまだ模索中だったことは間違いない。もちろん仮にそれを見つけたところで、彼らが毎晩同じ曲ばかりを同じ順番で演奏し続けるようなバンドじゃないことは言うまでもない。さらに言えば、エモーショナルな緩急についてはむしろ歓迎する嗜好を持ち合わせているはずのDEFTONESファンが相手だからこそ、敢えて勢い重視の演奏メニューにこだわろうとしなかった部分も、彼らにはあったに違いない。が、“飴と鞭”とまでは言いたくないが、伝えたいものを伝えるためには、そのために踏まえるべき手順というのもあるはず。言い方を換えれば、その手順さえ踏まえたならば、Dir en greyというバンドの特性は、かならずDEFTONESの支持層に理解され、受け入れられるはずだと確信できた2夜だった。
終演後、お目当てのDEFTONESのステージを満喫して帰路に就こうとする興奮状態の観客を何人かつかまえて話を聞いたところ、次のような答えが返ってきた。
「Dir en greyのことはまったく知らなかった。日本人だってこともね。でも、純粋にいいバンドだと思ったし雰囲気もクールだ。最近のアメリカの若いバンドよりずっといい。次にまた彼らがニューヨークでやることがあったら、観に来たいと思う」
「俺は遅れて来たからDEFTONESしか観てないけど、Dir en greyを観るべきだったって友達に言われたよ。残念だ」
「DEFTONESは大好きだけど、俺の今夜の目当てはDir en grey。ヴァージニア州から観に来たんだ。次は俺の地元でもやるように彼らに言っておいてくれ」
「最高だった。後半はずっとモッシュの輪のなかにいたんだ(笑)。実は俺たち、Dir en greyの曲をコピーしてて、今の夢は、いつか彼らの前座をやることなんだ」
「私はDEFTONESのことしか眼中にないわ。チノ(・モレノ)のことを愛してる。でも、Dir en greyのメンバーもセクシーよね」
実は最後のコメントを発した女性は、特定のメンバーを指してこう語っていたのだが、その対象が誰であったのかについては敢えて記さずにおくことにする。ちなみに僕個人にとって、6月9日のライヴでいちばん印象的だったのは、Dir en greyの演奏中、僕の真横で1曲終わるごとに「DEFTONES!」と叫びつつも、いざ次の曲が始まれば激しくアタマを振り、メロイック・サインを掲げていた大男(推定約190cm/100kg以上)の姿。たまたま目が合うと、彼は笑顔で親指を立ててみせた。
こうしてツアー合流地点から数えて3本目と4本目のステージを終えたDir en greyは、翌日の明け方、次の公演地であるニューヨーク州オルバニーへと向かった。僕が東京に到着した頃には、そのオルバニー公演もすでに終了。一行を乗せたツアー・バスは、アメリカ東部から西を目指して走り続けている。
文●増田勇一
会場はマンハッタンにあるローズランド・ボールルーム。当初は6月9日の公演のみが決まっていたが、早々にチケットがソールドアウトに至ったため前日にあたる8日に追加公演が行なわれることになり、それによってDir en greyの面々は、いきなり「ツアー合流から7日間連続ライヴ」という究極的日常のなかに飛び込むことになったのだった。
会場前では公演前夜から10人以上が徹夜で行列。全員がDir en greyのファンである。話を聞いてみたところ「彼らのライヴを観るのはもう4回目。今回は“前座”ということで去年の『FAMILY VALUES』のときみたいに6~7曲くらいのステージになるんだろうと思っていたら、昨日のライヴを観た友達から10曲くらいやると聞いて、我慢できずに今朝から並んでいる」という。さらには「DEFTONESも好きだから今回のツアー実現はとても嬉しいし、Dir en greyを通じて私のフェイヴァリット・バンドも増えた。『FAMILY VALUES』のときは全バンドを観たし、この前は、前回のツアーで彼らと一緒にやっていたFAIR TO MIDLANDを観に行ったし」といった発言も飛び出す。こうした音楽的な連鎖の広がりというのは、メンバーたちにとっても願ってもないことだろう。
しかしもちろん、今回のツアーにおけるDir en greyにとっての最大のテーマは、「かならずしも自分たちを知っている人たちばかりではない環境のなかで、どれだけ自分たちの存在感を見せつけることができるか」ということ。もちろんDir en greyのファンもたくさんいるはずだが、フロアの大半を占めているのはDEFTONESの支持層である。しかもアメリカ側のスタッフによればDEFTONESのファンは「他のバンドが目に入らないくらい、DEFTONESを崇拝する」傾向が強いのだという。そこで彼らの音がどう響くことになるのか。僕自身にとっての最大の興味もそこにあった。
そして、結論から言えば、僕はこの両日のライヴを観て、良い意味での安心感を味わうことになった。正直、彼らのライヴを何度も観てきた人間の目と耳からすれば、どちらの日のライヴも最上級のものとは言い難いものだった。特に8日は、演奏中に原因不明の機材トラブルに見舞われ、楽曲によっては“痒いところにまったく手が届かない”ようなもどかしさを感じざるを得ない部分があった。また、「CONCEIVED SORROW」をオープニングに据えた同日の構成内容についても、Dir en greyの世界観をあらかじめ知っている観衆にとってはともかく、予備知識ゼロでも不思議ではないDEFTONESファンの気持ちを即座につかむうえでは効果的だったとは言えない。実際、同楽曲の静かな滑り出しを耳にした途端、フロアからバーへと流れていこうとする観客の姿も見受けられた。
が、「REPETITION OF HATRED」で幕を開け、間髪を入れずに「THE FATAL BELIEVER」へとなだれ込んだ翌日のライヴでは、明らかに場内の温度が違っていた。人の流れもむしろ逆だった。前夜に感じたサウンド面での物足りなさも、ほぼすべて解消されていた。ストレートな言い方をすれば、第一夜のライヴでは不満のほうが大きかったが、第二夜にはかなり高い次元での満足感を得ることができた。もちろんその不満というのも、かならずしもすべて彼ら自身に起因するわけではない。が、そうした流れのなかで、僕は今回のツアーが“転がり始めた”のを体感することになった。だからこそ、ある種の安心感を味わうことができたわけである。
実際問題として、この時点での彼らが、今回のツアーにおけるセット・リストの理想形をまだ模索中だったことは間違いない。もちろん仮にそれを見つけたところで、彼らが毎晩同じ曲ばかりを同じ順番で演奏し続けるようなバンドじゃないことは言うまでもない。さらに言えば、エモーショナルな緩急についてはむしろ歓迎する嗜好を持ち合わせているはずのDEFTONESファンが相手だからこそ、敢えて勢い重視の演奏メニューにこだわろうとしなかった部分も、彼らにはあったに違いない。が、“飴と鞭”とまでは言いたくないが、伝えたいものを伝えるためには、そのために踏まえるべき手順というのもあるはず。言い方を換えれば、その手順さえ踏まえたならば、Dir en greyというバンドの特性は、かならずDEFTONESの支持層に理解され、受け入れられるはずだと確信できた2夜だった。
▲ライヴ情報満載の地元情報紙『THE AQUARIAN』では、この時期に合わせて(DEFTONESではなく)彼らを表紙特集。紙面には薫のインタビューが掲載されている。 |
「Dir en greyのことはまったく知らなかった。日本人だってこともね。でも、純粋にいいバンドだと思ったし雰囲気もクールだ。最近のアメリカの若いバンドよりずっといい。次にまた彼らがニューヨークでやることがあったら、観に来たいと思う」
「俺は遅れて来たからDEFTONESしか観てないけど、Dir en greyを観るべきだったって友達に言われたよ。残念だ」
「DEFTONESは大好きだけど、俺の今夜の目当てはDir en grey。ヴァージニア州から観に来たんだ。次は俺の地元でもやるように彼らに言っておいてくれ」
「最高だった。後半はずっとモッシュの輪のなかにいたんだ(笑)。実は俺たち、Dir en greyの曲をコピーしてて、今の夢は、いつか彼らの前座をやることなんだ」
「私はDEFTONESのことしか眼中にないわ。チノ(・モレノ)のことを愛してる。でも、Dir en greyのメンバーもセクシーよね」
実は最後のコメントを発した女性は、特定のメンバーを指してこう語っていたのだが、その対象が誰であったのかについては敢えて記さずにおくことにする。ちなみに僕個人にとって、6月9日のライヴでいちばん印象的だったのは、Dir en greyの演奏中、僕の真横で1曲終わるごとに「DEFTONES!」と叫びつつも、いざ次の曲が始まれば激しくアタマを振り、メロイック・サインを掲げていた大男(推定約190cm/100kg以上)の姿。たまたま目が合うと、彼は笑顔で親指を立ててみせた。
こうしてツアー合流地点から数えて3本目と4本目のステージを終えたDir en greyは、翌日の明け方、次の公演地であるニューヨーク州オルバニーへと向かった。僕が東京に到着した頃には、そのオルバニー公演もすでに終了。一行を乗せたツアー・バスは、アメリカ東部から西を目指して走り続けている。
文●増田勇一
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