POLYSICS、新曲「シーラカンス イズ アンドロイド」登場! 海外ツアーを経て音楽の原点に立ち戻る

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──アメリカやイギリスであんなに大規模にライヴをするようになったのは、何かきっかけがあったんですか?

ハヤシ:まあ、いろんなタイミングが重なって、いい時期だったんでしょうね。アメリカのパンク・レーベルの社長でマイク・パークって人が、(POLYSICSと同じ事務所の)POTSHOTとの契約で日本に来たときに、事務所の社長がたまたまうちらのビデオを見せたら、マイクはDEVOが大好きだったんで“カッコイイじゃねぇか!”って飛びついて、アメリカで日本でのメジャー1stアルバム『NEU』を出すことになったんです。“出したからにはツアーやろうぜ!”って話になって、そこからイギリスでも出すことになったんです。

──もともと海外でも活動したいという希望はあったんですか?

ハヤシ:いや、最初はなかったですよ。ホントに。自分たちの音楽をやるだけで精一杯だったし。いろんな人に“絶対にアメリカでウケるよ”と言われてたんで、興味はあったんですけど。

──海外での活動に関しては、ハヤシさん以外のメンバーの反応はどんな感じ?

ハヤシ:ここ1年ぐらい、みんな同じ方向を向いてやれてる感じですね。最初「Baby BIAS」ができたときも、みんなで話してすぐに“シングルを出そう!”って。意識が一つになった感じですね。あとは、新しいドラマー(スガイ脱退により、ヤノが参加)が入ったこともあるかな。彼は自分たちより年下だし、彼をサポートしなきゃ、ってのもあって。アメリカ、イギリスも基本的に現地スタッフと4人だけで行ったんで、自分たちでやらないと何も進まないし、そういう部分での意識とか自覚っていうのが、俺も含めて上がりました。なんか、すごくいい感じですよ。

──じゃあ、今ではヤノさんもすっかりバンドに馴染んでる感じ?

ハヤシ:そうですね。最初は右も左もわからない新人でしたからね。(国内で)ツアーをやったこともなければ、海外旅行もしたことなかったみたいで、急遽パスポートを取らせていきなりイギリスに行って。まあ、彼が一番大変だったと思います。テンパっちゃって、寝言で奇声を発したり(笑)。

──そんな、今のPOLYSICSに影響を与えた海外ツアーですけど、これはという想い出やエピソードはありますか?

ハヤシ:うーん、いろいろあり過ぎて逆に話せないんですけど(笑)、ここ最近のぶっ飛び体験ではスペインのフェスかなぁ。機材がリハと本番で全然違うし、舞台監督は途中で帰っちゃうし、ミュートしないからプラグ抜き差しするときにバリッ、バリッって音が聞こえるし。それでいざ始めたら、10分ぐらいで“ハイ、終わり”って(笑)。セットリストも超短くしましたよ。でも、お客さんがすっごい来てくれて、それはうれしかったですね。



──あはは、すごいテキトーですね(笑)。

ハヤシ:あとは、ロンドンで物販用にTシャツを300枚作ったんですけど、現地のエージェントでブッキングのミスがあって、2枚しか売れなかったんですよ。それで、その後はその300枚のTシャツを持ち運ぶハメになっちゃって。機材とか、すごいがんばって最小限に収めてたのに、Tシャツのせいで大荷物ですよ。飛行機も超過料金だし。スペインで売れないかなぁって期待してたんですけど、結局10枚ぐらいしか売れなくて。うん、大変ですけどまあ楽しくやってます(笑)。


──お疲れ様でした(笑)。では、最後にアルバムについて教えてください。

ハヤシ:レコーディングはとっくに終わってて、98%はできてますね。今は録り直しとかしてるぐらい。去年の11月ぐらいからやってて、プリプロから数えると2年ぐらいやってますよ(笑)。アルバムに向けて、シングルを作ってたんで、「Baby BIAS」「シーラカンス イズ アンドロイド」って、いい流れでアルバムへの橋渡しができてます。今のPOLYSICSのいい部分だけを凝縮した感じで、ニュー・ウェイヴという言葉がカッコよく感じるような、すごいいいアルバムになってます。

取材・文●末吉靖永
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