プロフィール

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  ORIGINAL MEMBER
デイヴ平尾/リード・ヴォーカル
外国船舶専門のクリーニング店の、9人兄弟の第八子として誕生。'66年7月から約4ヵ月のアメリカ放浪の旅に出、本場のR&Bの洗礼を受けて帰国後、カップスの前身となる“平尾時宗とグループ・アンド・アイ”を結成。'66年のバンド結成から'72年の解散まで在籍した唯一のメンバー。“トキさん”の愛称で親しまれ、歴代のメンバーたちをまとめあげたザ・ゴールデン・カップスのリーダー。現在も、六本木のライヴハウス“ボールド”のステージに立っている。
エディ藩/リード・ギター
父は中国広東省生まれ、母は在日華僑で、“エディ”は彼の洗礼名である“エドワード”からきている。カップス結成時からのメンバーであったが、'69年4月に“エディ藩グループ”結成のため、ケネス伊藤とともに一時脱退。しかし'70年1月に復帰し、解散まで在籍した。横浜中華街のレストラン『鴻昌』の二代目店主であり、ギタリストとしても活躍中。'60年代当時としてはかなり先進的だったファズを多用したギターが真骨頂で、“日本にファズを持ち込んだ第一号”とも言われている。
ルイズルイス加部/ベース&ギター
父はフランス系アメリカ人、母は日本人のハーフ。中学時代、カップスのオリジナル・メンバーでもあるケネス伊東(享年51歳)からギターを教わり、高校在学中に、同じ学校だったマモル・マヌーの誘いで“平尾時宗とグループ・アンド・アイ”に加入。'69年にエディがカップスを脱退した後はギターを担当。その超絶のベース・テクは、“リード・ベース”と評されている。“ジョニー,ルイス&チャー”“ピンク・クラウド”での活躍でも知られる。
マモル・マヌー/ドラム&ヴォーカル
いくつかのバンドを渡り歩いた後、“平尾時宗とグループ・アンド・アイ”にドラム&ヴォーカルとして加入。「長い髪の少女」のリード・ヴォーカルで聴かせた甘い歌声と甘いマスクで多くの女性ファンを虜にした。ドラマーとしても評価されながら、自らの意思でドラムを手離し、'69年にカップスを脱退。叔母が米軍人と結婚していたため、幼い頃から米軍キャンプに出入りしていたという、根っからの“ハマのワル”だったらしい。
ミッキー吉野/キーボード
ゴダイゴのメンバーとしても知られるミッキーは、カップスのオリジナル・メンバーであるケネス伊東(G&Vo)が、ビザの問題で一時帰国した'68年7月に、彼の代役として加入。当時16歳という若さながら、そのズバ抜けたテクニックと音楽的素養はカップスに無くてはならない存在となり、ケネスが再来日した後もカップスに残った。映画『ワンモアタイム』の音楽監督もつとめている。
ケネス伊東/ギター&ヴォーカル
米軍人だった父の赴任にともない、11歳で来日。“平尾時宗とグループ・アンド・アイ”に参加し、初期カップスの音楽面を大きく支えるが、'68年にビザの問題で一時帰国。再び来日した際にカップスに復帰するが、ジャケット写真をはじめとした目に見える部分には姿を出せず、サウンド面でカップスを支え続けた。'69年秋、兵役のために脱退。その後、日本での就労ビザ取得を目指すも叶わず、ハワイに永住。'97年に他界した。享年51歳。

BIOGRAPHY
1966年11月、横浜の人気バンド“スフィンクス”のリーダー&ヴォーカルのデイヴ平尾が4ヶ月のアメリカ放浪の旅から戻り、地元・横浜で活躍するバンドの中からベスト・メンバーを集め、新バンドを結成。エディ藩(G)、マモル・マヌー(Ds)、ケネス伊東(G)、ルイズルイス加部(B&G)という構成で、ザ・ゴールデン・カップスの前身となる<平尾時宗とグループ・アンド・アイ>と名乗り、本牧ゴールデンカップのレギュラー・バンドとして活動がスタートした。

「フェンス越しのアメリカ」と呼ばれた横浜の独特なムードと、並外れた彼らのテクニックとによるエキサイティングなステージはまたたく間に話題に。バンド名をザ・ゴールデン・カップスと改め、“メンバーは全員ハーフ”という触れ込みのもとシングル「いとしのジザベル」で'67年6月に東芝レコード(現・東芝EMI)からレコード・デビューを果たした。時代は折りしも、タイガースやテンプターズなど、アイドル性の高いGSブームのまっさなか。カップスも3rdシングル「長い髪の少女」の大ヒットにより、図らずもGSシーンのトップに踊り出、名実ともにトップ・バンドの仲間入りを果たすことになった。しかしながら、テレビに出演するときなどでも衣装ではなく自分たちの好きなものを着て、サービス笑顔も見せず、どこかふてぶてしい反骨心を見せていた。そしてこの頃の、作家から提供された曲はライヴ・ステージではほとんど演奏したことがなかったという。

'68年7月、ビザの関係でケネス伊東が郷里のハワイへ一時帰国することになり、ミッキー吉野(Key)が加入。10月には復帰したが、'69年8月に“エディ藩グループ”結成のため、エディとケネスが脱退。加部がリード・ギターとなり、新たに林恵文がベーシストとして加入するも、この編成は短命に終わった。その後も幾度かのメンバー・チェンジが行なわれ、'70年9月には柳ジョージがベーシストとして参加している。

しかし、「フェンス越しのアメリカ」から全国へと飛び出した日本で最初のR&R,R&Bバンドの幕切れは意外にあっけないものだった。'71年の暮れからスタートした沖縄ツアーの最終日だった1月3日のこと。演奏中に火災が起こり、命からがらライヴハウスから避難するも機材は丸焼けとなり、その場で何かを感じたメンバーたちは「もう終わりにしよう」と、バンドを解散した。

'03年3月。解散から32年後の春、地元・本牧にてオリジナル・メンバーによる再結成ライヴを行ない、その音源を完全収録したライヴ・アルバム『ワンモアタイム』と、ベスト・アルバム『BLUESOF LIFE』を、'04年11月17日にリリース。そして、そのライヴ映像と、'60年代当時の映像や、彼らをリスペクトする総勢44名の著名人たちによる証言をまとめたロック・ムービー『ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム』(アルタミラピクチャーズ)が11月20日より公開される。この映画の完成を記念して10月に行なわれた、35年ぶりとなる渋谷公会堂でのライヴも大盛況となった。



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旧譜7作が復刻盤として登場!

『THE GOLDEN CUPS ALBUM』
1968.03.10
▼デビュー曲「いとしのジザベル」「銀色のグラス」を含む衝撃の1st。

『THE GOLDEN CUPS ALBUM VOL.2 』
1968.09.10
▼ヒット曲「長い髪の少女」を収録しつつ、カップスらしいR&Bナンバーも多数収録。

『ブルース・メッセージ
1969.03.10
▼日本のバンドによる、初の本格的ブルース・ロック作品。ケネスが復帰した第1作目。

『スーパー・ライヴ・セッション
1969.08.01
▼横浜“ZEN”でのライヴを収録。このライヴの直後にエディとケネスが脱退。

『ザ・ゴールデン・カップス・リサイタル
1969.10.10

▼デビュー2周年記念の、渋公での初“リサイタル”を収録したライヴ盤。
『ザ・フィフス・ジェネレーション
1971.01.10
第5期メンバーで制作。9曲中8曲がオリジナル曲で、名盤の呼び声が高い。
『ライヴ!! ザ・ゴールデン・カップス』
1971.10.05
▼ジョン山崎加入後の第7期メンバーで行なった、日比谷野音でのライヴを収録。
▼東芝EMIサイトへ▼


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