オーノキヨフミ27歳。 北海道出身の彼は、17歳の夏の終わりにギターを手に入れ、作詞作曲活動を始める。 高校卒業後は、札幌へ引越し、自宅録音中心の音楽制作をしながら、 ススキノのストリートで歌う。 20歳以降で作ったデモテープがきっかけで、現在の事務所と契約、 インディーズレーベルよりCDを2枚リリース。 そして、2004年4月シングル「平凡」でメジャーデビューを果たす。 9月に1stアルバム『君に太陽を!』をリリース。 その後、長期の楽曲制作に入り、2005年1月にニューヨークに渡ったことから、 2ndアルバム『Country Map』の制作は始まった…。
――2ndアルバムは、“ようやくできた”という達成感を感じます?
オーノキヨフミ(以下、オーノ):やっとできたというのはありますね。自分のやりたかった音楽、都会と田舎観、ジャケットも含めて、ようやくできたという感触はありますよ。
――2ndアルバムの構想は、いつぐらいから?
オーノ:アルバム1枚作って、ライヴもやって。その後に、何をテーマにして歌いたいのか?、曲単位ではあっても、今後どうやっていくかという大きな幹みたいなものが見えてなくって。大まかな方向というのかな。そんな迷いがあったんですね。それで、もうちょっと自分というものを出してもいいんじゃないか?と思うところがあって。何故かと言うと、それまではちょっと自分を抑えて分かりやすい言葉で伝わりやすいように言葉を選んで…ということをしていて、それがやっぱり気持ち良くなかったし。しかもこっちが想像するほど、そこまで分かりやすく伝わっていなかったというのもあったので。もっと、自分という色を出そうと。
――そういう思いもあって、ニューヨークへ行ったようですが、何故、ニューヨークだったんですか?
オーノ:とりあえず、日本から出たことがなかったのがコンプレックスだったんですよ。だから、それを取り払うために“ザ・外国”に行きたくって(笑)。
――実際行ってみてのニューヨークはどうでしたか?
オーノ:すごく楽しかったですよ。街を歩いて、地下鉄にも乗って、歌ってもきました。そうすることで、東京の良さとか分かってきた気がしますね。あっちはどこかテキトーな雰囲気があって食べ物も大味だったりしてね(笑)、でも、東京は相当計算されて作られたところだなって思った。例えば、チップがあるじゃないですか。いくらに対して、どれくらいプラスするかなんて、“だいたい”って気がするし、それがあんな大都会で平然とまかり通っている…その大雑把さは東京にはないと思ったし、逆にいいなと。いろいろ感じるものはありました。
――ニューヨークのストリートで歌ってきたとか?
オーノ:ええ、歌ってきましたよ! 言葉が悪いかもしれないけれど、マーキング感覚であっちこっちで歌ってきたというのを残したいと思って。(北海道の)ススキノでずっと歌ってきたから、どこなら歌っても大丈夫か、怒られないかというのは感覚で分かるんですよ。商店街でシャッターが閉まっていて、人通りもそこそこあって…とか。
――どんな人が立ち止まったんですか。
オーノ:それが全然立ち止まってくれなくって。最初は自分の歌とか歌っていたけれど、もう最後のほうなんて、“ニューヨーク! リムジン!”とか叫んだり(笑)。即興でテキトーなものに変えて。そうしたら、チラホラですけど人が集まってくれて。その人たちの顔を見てたら、ススキノで集まってくれた酔っ払いの親父たちと同じ顔に見えて(笑)。ニューヨークだ外国だとか、そんなコンプレックスを抱かなくてもいいんじゃないかと思えるようになった。自分の音楽をやっていればいいという…うまく説明できないけど、確実なものが手に入れられた、それが凄い大きかったです。
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