プロフィール・バイオグラフィ・リンク
柳田ヒロは'66年、ロックグループ、"ザ・フローラル"を結成しデビュー、その後、細野晴臣、松本隆らとともに"エイプリルフール"を結成し、解散後にはロックミュージカルに出演、また、吉田拓郎、小室等、チト河内、後藤次利らと"新六文銭"を結成するなど、日本ロック界の草分け的な存在。'78年には日本で初めてのゴスペル・レーベル「ミクタムレコード」を設立。ジャパニーズ・ゴスペルの草分けでもある。
水谷公生は'66年頃から"アウトキャスト"、"アダムス"といったグループサウンズの分野で活躍。ロックミュージカルのオリジナル・レコーディングに参加。その後は主にスタジオミュージシャンとして活動。作曲家として西城秀樹、シブがき隊、河合奈保子らに楽曲を提供し、プロデューサーとして矢沢永吉、浜田省吾、南こうせつ、村下孝蔵らの作品を手がけてきた。
その超大御所とも言える柳田、水谷のユニット"MA-YA"は、二人がで交錯してから実に30余年の歳月を経ての結成となる。'03年4月に1stアルバム『浮遊』をリリースして本格的に活動をスタートすることになるが、このアルバムには浜田省吾、nitro microphone undergroundのXBS、柳田の同級生であるテリー伊藤らが参加。
水谷公生は'66年頃から"アウトキャスト"、"アダムス"といったグループサウンズの分野で活躍。ロックミュージカル
その超大御所とも言える柳田、水谷のユニット"MA-YA"は、二人が