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山梨県立韮崎高校卒業後、Jリーグ ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に入団。オリンピック日本代表に最年少で選出され、1996年アトランタオリンピックに出場。1998年フランスワールドカップ後イタリアセリエAのA.C.ペルージャへ電撃移籍。1999-2000シーズン途中で名門A.S.ローマへ移籍。翌年にはスクデットを獲得し、2001年よりパルマA.C.へ。2002年日韓ワールドカップでは、自らも得点を挙げるなど、日本代表悲願の決勝リーグ進出に貢献。2004年1月、ボローニャF.C.へ移籍。7月には、名門ACFフィオレンティーナへ移籍。2005年8月、イタリアセリエAでの5チーム目、7シーズンの経験を経て、さらなる刺激を求め、新たな舞台としてイングランド・プレミアリーグのボルトン・ワンダラーズF.C.へ移籍。日本代表として自身3度目となる2006年ドイツワールドカップでは、闘志あふれるプレーでチームを牽引。6月22日のブラジル戦を最後に現役を引退。2008年、「なにかできること、ひとつ。」を目的とした「TAKE ACTION!2008 +1」キャンペーン」を立ち上げ、「+1 TANZAKU」や「+1 FOOTBALL MATCH」を実現させ大反響を起こす。2009年1月、一般財団法人 TAKE ACTION FOUNDATIONを設立。また、観光庁アドバイザリー・ボードのメンバーに就任する。2010年、一般財団法人 TAKE ACTION FOUNDATIONの主催で伝統文化・工芸などを支援するプロジェクト「REVALUE NIPPON PROJECT」をスタート。2011年、東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティマッチをシンガポール、タイで実施。2003年より、東ハト 執行役員

CBO(コーポレートブランドオフィサー、最高ブランド責任者)を務める。2014年、「GOLDEN FOOT AWARD 2014」にて、サッカーの歴史上に偉大な功績を残した引退選手に贈られる“オール・タイム・レジェンド”をアジア人として初めて受賞。