ニュース・最新情報
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中村紘子、旭日中綬章を叙勲
ピアニストの故中村紘子に、旭日中綬章が授与されることが発表された。
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中村紘子、逝去
ピアニストの中村紘子(本名:福田紘子)が、2016年7月26日午後(22時25分)大腸がんのため自宅で逝去した。
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中村紘子、大腸がん療養のため再び活動休止
PHOTO: Hiroshi Takaokaピアニスト 中村紘子が、大腸がん療養のため8月29日から11月末まで予定されていた演奏活動を休止することが明らかになった。
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中村紘子、初期大腸癌治療のため演奏活動を休止
ピアニストの中村紘子が、初期の大腸癌と診断され、入院を伴う検査と治療のために2月1日から3月1日まで予定されていた演奏活動を休止することが発表された。
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中村紘子、デビュー55周年記念アルバム。カデンツァ作曲に新垣隆
日本を代表するピアニスト・中村紘子が、デビュー55周年を迎え、9月17日に記念アルバム『中村紘子 デビュー55周年記念アルバム モーツァルト ピアノ協奏曲第24番&第26番「戴冠式」/ショパン マズルカ集』をリリースする。
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ヤマハ銀座ビルにホール&多目的スペース開設、豪華出演者によるこけら落とし公演も
ヤマハは、旧ヤマハ銀座ビルの跡地に建築中で、2010年2月26日に開業する新「ヤマハ銀座ビル」の中核施設となる音楽ホール「ヤマハホール」、および新たに開業する多目的スペース「ヤマハ銀座スタジオ」のこけら落とし公演の内容を決定した。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
3歳で、桐朋学園音楽科の前身となった『子供の為の音楽教室』第一回生として井口愛子氏に師事。10歳からレオニード・コハンスキー氏に学ぶ。早くから天才少女として名高く、全日本学生音楽コンクールの小学生部門、中学生部門と優勝を重ねたのち、慶応義塾中等部3年在学中に、第28回音楽コンクールにおいて史上最年少で第1位特賞を受賞。ただちに翌年、NHK交響楽団初の世界一周公演のソリストに抜擢され華やかにデビューした。その後、ジュリアード音楽院で日本人初の全額奨学金を獲得、ロジーナ・レヴィン女史に師事。第7回ショパン・コンクールで日本人初の入賞と併せて最年少者賞を受賞。以後今日に至るまで、中村紘子の名は日本のピアニストの代名詞となり、その演奏は国内外3800回を越える演奏会を通じて聴衆を魅了し続けた。
その演奏ぶりについては既に余りにも多くが語られているが、20世紀最高の音楽批評家の一人とされるハロルド・ショーンバーグ(ピューリッツァー賞受賞)は、そのピアニストに関する代表的な名著『偉大なピアニストたち』(「The Great Pianists」Random House 1987)の中で東洋人ピアニストとしてただ一人中村紘子の名を挙げ、その特色を「絢爛たる技巧」と「溢れる情感」そして特に「ロマンティックな音楽への親和力(affinity)」にあると評した。事実、彼女の繊細なリリシズムと激情のダイナミズムを兼ね備えた天性をもし「ロマンティック」と形容するなら、その一種デモーニッシュなまでの「親和力」こそ、聴き手の魂をかくも惹きつける中村紘子の魅力の秘密であろう。
「今夜の幕開けとなったショパンの演奏では、現在世界的ピアニストとして注目される日本人ピアニスト中村紘子が、圧倒的スターとして輝いた。豊かな個性と感性と知性のぎりぎりの極限に身をおいた深い表現に溢れた演奏は、満場の聴衆を感動させた」(ジョルナーレ・ディ・シチリア紙)。「ピアニストは鍵盤から紡ぎ出すビロードのような柔らかい音色と、時には繊細なキータッチで或いはインパクトのある力強い音で、やがて夢の中に溶けてゆくようなメロディを創りあげている。この演奏は熱烈な拍手によって迎えられた。またこの演奏のおかげで我々は、古典的な音楽の中にも現代の我々の好みを見つけ出せることが分かったのである。ピアノの音色は水晶のように澄み切って響き渡り、あたかも我々をショパンの時代に呼び戻してくれているのか、或いはショパンが現代の我々のもとに現われて語りかけてくれているのか…、そんな“時”を超越した空気を醸し出していた」(ラ・シチリア紙)と、これは2002年イタリアのベッリーニ劇場に招かれて、ショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏した際の賛辞であるが、ショーンバーグ以来定評となった中村紘子の演奏ぶりを伝える一例である。
演奏会に加えてレコーディングも活発で、1968年ソニー・レコードの専属第1号アーティストになって以来リリースされた50点近い録音は、クラシックとしてはすべて桁外れの売れ行きを示している。2009年9月にはデビュー50周年記念のボックスCDが完成。ベルリンのテルデックス・スタジオのスタッフと組んで、2年間で10枚のCDを一挙に録音した画期的なもので、「たったいまの中村紘子を聴いてもらいたい」という、中村紘子の夢のこもった新アルバムであり、レコード芸術誌の第47回「レコード・アカデミー賞」(特別部門企画・制作)を受賞した。
また1982年、チャイコフスキー・コンクールの審査員をつとめて以来、ショパン、ロン・ティボー、ヴァン・クライバーン、リーズ、ダブリン、ブゾーニ、シドニー、パロマ・オシア、北京、上海など数多くの国際コンクールの審査員を歴任し、その体験に基づく最初の著書『チャイコフスキー・コンクール
~ピアニストが聴く現代~』(中央公論新社刊)は、文明論としても高く評価され第20回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。続く第2作『ピアニストという蛮族がいる』(文藝春秋刊)も文藝春秋読者賞を受けるなど、「文武両道」のスーパーレディぶりは名高い。
2003年、で8回にわたって講演した『国際コンクールの光と影』も、国際ピアノコンクールの歴史と現在を語るだけでなく、21世紀の「豊かな社会」「情報化社会」におけるクラシック音楽の未来を洞察した文明論として好評を博し、この講座をもとにした著書『コンクールでお会いしましょう
~名演に飽きた時代の原点~』(中央公論新社刊)も話題作となった。
近年は、広く国内外の若手ピアニストの育成や紹介に努め、1994年から15年間にわたって浜松国際ピアノコンクールの審査委員長として活躍。多くの俊英ピアニストを世に送り出すとともに、浜松国際ピアノコンクールを世界的権威のあるものに育成し、「世界のハママツ」の名を確立した。また、「難民を助ける会」や日本赤十字などを通じてのヴォランティア活動にも積極的な役割を果たし、日本における「対人地雷廃絶」運動ではその先頭に立った。
その長年の活動に対しては、日本芸術院賞・恩賜賞、紫綬褒章を初めとして、NHK放送文化賞、N響有馬賞、エクソンモービル音楽賞などを受賞。加えて、アルトゥール・ルービンシュタイン・ゴールドメダル、ポーランド共和国コマンダリー勲章、ポーランド共和国文化勲章「グロリア・アルティス」ゴールドメダルなどピアニストとしての国際的受賞も多く、その活躍に対して外務大臣表彰を受けている。また前述の大宅壮一ノンフィクション賞、文藝春秋読者賞などの文学賞や、ダイヤモンド・パーソナリティ賞、ダイアモンド・レディ賞といった音楽賞以外の受賞も多い。
現在、浜松市音楽文化顧問、浜松国際ピアノアカデミー 音楽総監督、学校法人北鎌倉女子学園理事・評議員、社団法人日本クラシック音楽事業協会顧問、独立行政法人日本芸術文化振興会評議員、世界科学館サミット2017組織委員を務める。
2009年のデビュー50周年では、80回を越える「デビュー50周年記念コンサート」を行った。
2014年のシーズンにはデビュー55周年を迎え、全国各地でのリサイタルやオーケストラとの共演の他、9月にはデビュー55周年記念CDをリリース。
その演奏ぶりについては既に余りにも多くが語られているが、20世紀最高の音楽批評家の一人とされるハロルド・ショーンバーグ(ピューリッツァー賞受賞)は、そのピアニストに関する代表的な名著『偉大なピアニストたち』(「The Great Pianists」Random House 1987)の中で東洋人ピアニストとしてただ一人中村紘子の名を挙げ、その特色を「絢爛たる技巧」と「溢れる情感」そして特に「ロマンティックな音楽への親和力(affinity)」にあると評した。事実、彼女の繊細なリリシズムと激情のダイナミズムを兼ね備えた天性をもし「ロマンティック」と形容するなら、その一種デモーニッシュなまでの「親和力」こそ、聴き手の魂をかくも惹きつける中村紘子の魅力の秘密であろう。
「今夜の幕開けとなったショパンの演奏では、現在世界的ピアニストとして注目される日本人ピアニスト中村紘子が、圧倒的スターとして輝いた。豊かな個性と感性と知性のぎりぎりの極限に身をおいた深い表現に溢れた演奏は、満場の聴衆を感動させた」(ジョルナーレ・ディ・シチリア紙)。「ピアニストは鍵盤から紡ぎ出すビロードのような柔らかい音色と、時には繊細なキータッチで或いはインパクトのある力強い音で、やがて夢の中に溶けてゆくようなメロディを創りあげている。この演奏は熱烈な拍手によって迎えられた。またこの演奏のおかげで我々は、古典的な音楽の中にも現代の我々の好みを見つけ出せることが分かったのである。ピアノの音色は水晶のように澄み切って響き渡り、あたかも我々をショパンの時代に呼び戻してくれているのか、或いはショパンが現代の我々のもとに現われて語りかけてくれているのか…、そんな“時”を超越した空気を醸し出していた」(ラ・シチリア紙)と、これは2002年イタリアのベッリーニ劇場に招かれて、ショパンのピアノ協奏曲第1番を演奏した際の賛辞であるが、ショーンバーグ以来定評となった中村紘子の演奏ぶりを伝える一例である。
演奏会に加えてレコーディングも活発で、1968年ソニー・レコードの専属第1号アーティストになって以来リリースされた50点近い録音は、クラシックとしてはすべて桁外れの売れ行きを示している。2009年9月にはデビュー50周年記念のボックスCDが完成。ベルリンのテルデックス・スタジオのスタッフと組んで、2年間で10枚のCDを一挙に録音した画期的なもので、「たったいまの中村紘子を聴いてもらいたい」という、中村紘子の夢のこもった新アルバムであり、レコード芸術誌の第47回「レコード・アカデミー賞」(特別部門企画・制作)を受賞した。
また1982年、チャイコフスキー・コンクールの審査員をつとめて以来、ショパン、ロン・ティボー、ヴァン・クライバーン、リーズ、ダブリン、ブゾーニ、シドニー、パロマ・オシア、北京、上海など数多くの国際コンクールの審査員を歴任し、その体験に基づく最初の著書『チャイコフスキー・コンクール
~ピアニストが聴く現代~』(中央公論新社刊)は、文明論としても高く評価され第20回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。続く第2作『ピアニストという蛮族がいる』(文藝春秋刊)も文藝春秋読者賞を受けるなど、「文武両道」のスーパーレディぶりは名高い。
2003年、
~名演に飽きた時代の原点~』(中央公論新社刊)も話題作となった。
近年は、広く国内外の若手ピアニストの育成や紹介に努め、1994年から15年間にわたって浜松国際ピアノコンクールの審査委員長として活躍。多くの俊英ピアニストを世に送り出すとともに、浜松国際ピアノコンクールを世界的権威のあるものに育成し、「世界のハママツ」の名を確立した。また、「難民を助ける会」や日本赤十字などを通じてのヴォランティア活動にも積極的な役割を果たし、日本における「対人地雷廃絶」運動ではその先頭に立った。
その長年の活動に対しては、日本芸術院賞・恩賜賞、紫綬褒章を初めとして、NHK放送文化賞、N響有馬賞、エクソンモービル音楽賞などを受賞。加えて、アルトゥール・ルービンシュタイン・ゴールドメダル、ポーランド共和国コマンダリー勲章、ポーランド共和国文化勲章「グロリア・アルティス」ゴールドメダルなどピアニストとしての国際的受賞も多く、その活躍に対して外務大臣表彰を受けている。また前述の大宅壮一ノンフィクション賞、文藝春秋読者賞などの文学賞や、ダイヤモンド・パーソナリティ賞、ダイアモンド・レディ賞といった音楽賞以外の受賞も多い。
現在、浜松市音楽文化顧問、浜松国際ピアノアカデミー 音楽総監督、学校法人北鎌倉女子学園理事・評議員、社団法人日本クラシック音楽事業協会顧問、独立行政法人日本芸術文化振興会評議員、世界科学館サミット2017組織委員を務める。
2009年のデビュー50周年では、80回を越える「デビュー50周年記念コンサート」を行った。
2014年のシーズンにはデビュー55周年を迎え、全国各地でのリサイタルやオーケストラとの共演の他、9月にはデビュー55周年記念CDをリリース。
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