ニュース・最新情報
-
ブルース・スプリングスティーン、クラレンス・クレモンズへ捧ぐ
2011年6月18日、脳卒中の合併症のため69歳でこの世を去ったブルース・スプリングスティーン&Eストリート・バンドのサックス奏者、クラレンス・クレモンズ。
-
レディー・ガガ、「Music Lovers」公開収録にニュースレター会員から招待
被災地支援イベント<MTV VIDEO MUSIC AID JAPAN>出演のために来日するレディー・ガガが、日本テレビ「Music Lovers」に出演することが決定した。
-
ブルース・スプリングスティーン、U2らクラレンス・クレモンズを追悼
土曜日(6月18日)に急逝したEストリート・バンドのサックス奏者クラレンス・クレモンズへ向け、多くのミュージシャンから追悼の声が上がっている。
-
クラレンス・クレモンズ逝去
米国時間6月18日午後7:00、享年69歳でクラレンス・クレモンズが急逝した。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
1942年1月11日生まれ。ヴァージニア州ノーフォーク出身。身長6フィート4インチ。その巨体とステージでの圧倒的な存在感から「ザ・ビッグマン」の呼称で親しまれる。
メリーランド・イースタン・ショア・ユニヴァーシティではフットボール選手としてならし、ダラス・カウボーイズやクリーヴランド・ブランズへの入団テストも受けているが、ひざを負傷してNFL入りの夢を絶たれてしまう。激しい雨の夜、アズベリー・パークのクラブ、スチューデント・プリンスの楽屋外でブルースと初遭遇(アップステージ説もあり)。
『アズベリー・パークからの挨拶』からレコーディングに参加しているEストリート・バンド最古参メンバーのひとり。『明日なき暴走』のジャケットでブルースが彼の肩に手をおいて寄りかかっていることから、ブルースがもっとも頼りにしている男として、ステージでのバンドのメンバー紹介では必ず最後にコールされることから、ブルースがもっとも大切にしている男として長年ファンからも親しまれている。
Eストリート・バンドの活動と並行して1983年からはソロ・アルバムも数多く発表している。なかでも1985年の飛びきりポップな仕上がりになった3rdソロ『ヒーロー』は好セールスをマーク。ジャクソン・ブラウンとデュエットしたアルバムのオープニング・ナンバー「フレンド・オブ・マイン」は1986年1月18日付ビルボードHOT 100で最高18位を記録(くしくもブルースの「マイ・ホームタウン」と一緒にトップ20入りを果たした)。
Eストリート・バンドの活動と並行して自身のソロ・ライブを各地で活発的に展開。ちなみに彼の息子が率いるニック・クレモンズ・バンドもニュージャージーを中心にローカル・バンドとして活動中。アズベリー・パークのストーン・ポニーでたびたび親子共演を果たしていた。
2011年6月18日19:00脳卒中による合併症のため死去。享年69歳。
メリーランド・イースタン・ショア・ユニヴァーシティではフットボール選手としてならし、ダラス・カウボーイズやクリーヴランド・ブランズへの入団テストも受けているが、ひざを負傷してNFL入りの夢を絶たれてしまう。激しい雨の夜、アズベリー・パークのクラブ、スチューデント・プリンスの楽屋外でブルースと初遭遇(アップステージ説もあり)。
『アズベリー・パークからの挨拶』からレコーディングに参加しているEストリート・バンド最古参メンバーのひとり。『明日なき暴走』のジャケットでブルースが彼の肩に手をおいて寄りかかっていることから、ブルースがもっとも頼りにしている男として、ステージでのバンドのメンバー紹介では必ず最後にコールされることから、ブルースがもっとも大切にしている男として長年ファンからも親しまれている。
Eストリート・バンドの活動と並行して1983年からはソロ・アルバムも数多く発表している。なかでも1985年の飛びきりポップな仕上がりになった3rdソロ『ヒーロー』は好セールスをマーク。ジャクソン・ブラウンとデュエットしたアルバムのオープニング・ナンバー「フレンド・オブ・マイン」は1986年1月18日付ビルボードHOT 100で最高18位を記録(くしくもブルースの「マイ・ホームタウン」と一緒にトップ20入りを果たした)。
Eストリート・バンドの活動と並行して自身のソロ・ライブを各地で活発的に展開。ちなみに彼の息子が率いるニック・クレモンズ・バンドもニュージャージーを中心にローカル・バンドとして活動中。アズベリー・パークのストーン・ポニーでたびたび親子共演を果たしていた。
2011年6月18日19:00脳卒中による合併症のため死去。享年69歳。