ニュース・最新情報
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パルプ、ベーシストのスティーヴ・マッキーが56歳で死去
パルプのベーシスト、スティーヴ・マッキーが3月2日、56歳で永眠した。
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パルプ、2023年にUKツアーを開催「これが僕らがアンコールでやることだ…」
2013年から活動を休止していた、ブリットポップを代表するバンドの一つ、パルプが2023年にUK/アイルランドでツアーを開催することを発表した。
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ジャーヴィス・コッカー、2023年にパルプの再結成を計画
ジャーヴィス・コッカーが、2023年にパルプの再結成を計画していることを明かした。
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ジャーヴィス・コッカー、回顧録『Good Pop, Bad Pop』を出版
元パルプのフロントマン、ジャーヴィス・コッカーが2022年春、回顧録『Good Pop, Bad Pop』を出版する。
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ジャーヴィス・コッカーとブレット・アンダーソン、自伝を出版
ブリットポップを代表する2バンド、パルプとスウェードのフロントマンが、立て続けに自伝の出版契約を結んだ。
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ジャーヴィス・コッカー、フローレンスにアドバイス
パルプのジャーヴィス・コッカーが、フー・ファイターズの代わりに急きょ、グラストンベリー・フェスティヴァルでヘッドライナーを務めることになったフローレンス&ザ・マシーンへアドバイスを送った。
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『Rolling Stone』誌の読者が選ぶベスト・ブリット・ポップ10曲
アメリカの音楽誌『Rolling Stone』が、ベスト・ブリット・ポップ・ソングを選ぶ読者投票を行った。
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パルプ・カラオケ大会、9歳の少年が優勝
木曜日(8月7日)NYで、ジャーヴィス・コッカーが審査員を務めるパルプ・カラオケ大会が開かれた。
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コールドプレイのクリス「カラオケでパルプを歌う」
コールドプレイのクリス・マーティンはパルプが大好きだそうだ。
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ブリットポップのお気に入りアンセムは?
英国のBBCラジオ・6ミュージックがブリットポップの誕生20周年を記念し、「お気に入りのブリットポップ・アンセムは?」と題したリスナー投票を行った結果、パルプの「Common People」が最も多くの票を集めた。
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イギリスで最も稼ぎの良い再結成グループ、トップ10
テイク・ザットがイギリスで最も稼ぎの良い再結成グループ1位に選ばれた。
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ミューズ、ブラー、パルプら、Qアワーズを受賞
月曜日(10月22日)、UKの音楽誌『Q Magazine』が主催する<Q Awards 2012>の受賞アーティスト/作品が発表された。
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NMEアワーズ、発表
水曜日(2月29日)、英音楽誌『NME』が主催する<NME Awards>の受賞アーティストが発表された。
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NMEアワーズ、ノミネート発表
UKの音楽誌『NME』が主催するNMEアワーズのノミネートが発表された。
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パルプ、さらなるアメリカ公演日を発表
パルプは昨年海外で一連のツアーを行なうため再結成したものの、あのブリットポップのアンセムをアメリカに持ち込むことはなかった。
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コールドプレイ「僕らのファンは世界1」
コールドプレイのニュー・アルバム『Mylo Xyloto』が、まだ発売されていないにもかかわらずアメリカのiTunesアルバム・チャートで1位に輝いた。
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アイアン・メイデンのブルース・ディッキンソン、ジェフ・ベックらが大学から名誉学位を授かる
アイアン・メイデンのフロントマン、ブルース・ディッキンソンが母校であるロンドンのQueen Mary Universityから名誉学位を授かった。
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グラストンベリー・フェスティヴァル、レディオヘッドとパルプがサプライズ・ギグ
週末行なわれたグラストンベリー・フェスティヴァルで、レディオヘッドとパルプがサプライズ・ギグを開いた。
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パルプ、友人の死がリユニオンのきっかけに
先週金曜日(5月27日)、スペインのフェスティヴァルで再結成したパルプ。
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パルプ「再結成はガッカリさせない」
2011年夏、UK/ヨーロッパのフェスティヴァルで再結成することを発表したパルプが、元旦に「みんなをガッカリさせることはない」との頼もしいメッセージを発してくれた。
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パルプ、再結成
2002年に活動を休止したパルプが、2011年に再結成することが発表された。
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ジャーヴィス・コッカー、パルプ再結成に対する態度が軟化
2009年秋には「パルプのリユニオンはない」と断言していたジャーヴィス・コッカーだが、ここにきて態度が軟化したようだ。
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フローレンス&ザ・マシーン、「女性ヴォーカリストが持つパワーを見せたいのよ」
BBCが毎年発表する、その年ブレイクするであろう新人のランキング・リスト<Sound Of 2009>で3位に選ばれ、ブリット・アワーズでも最も活躍が期待される新人に贈られるCritics' Choiceアワードを受賞するなど、デビュー前から大きな注目を集めてきたフローレンス&ザ・マシーン。
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ジャーヴィス・コッカー、パルプ再結成の噂を否定
2010年のグラストンベリー・フェスティヴァルでパルプを再結成するかもしれないと話したいわれるジャーヴィス・コッカーだが、すぐさま、それは「(発言が)歪められたもの」で「事実ではない」との否定コメントを発表した。
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グラストンベリー出演を検討中のロバート・プラント、一体誰と?
ロバート・プラントが、グラストンベリー・フェスティヴァル主催者から出演のオファーがきていることを明かした。
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ジャーヴィス・コッカー、大学から名誉博士号を授与
元パルプのフロントマン、ジャーヴィス・コッカーがシェフィールド・ハラム大学から名誉学位を授かることになった。
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ジャーヴィス・コッカー「パルプのリユニオンはないもののブラーは見に行く」
ジャーヴィス・コッカーは、巨額なオファーを受けているもののパルプを再結成するつもりはないという。
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ジャーヴィス・コッカー、音楽の真理を求めヨガ・コンサート
元パルプのフロントマン、ジャーヴィス・コッカーとそのバンドが、パリのギャラリーで開かれるヨガ・クラスのバックでライヴ・パフォーマンスを行なっている。
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マリアンヌ・フェイスフル、パトリック・ウルフとコラボ
ベテラン・シンガー、マリアンヌ・フェイスフルが、“不思議くんシンガー”パトリック・ウルフとコラボした。
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ロンドンにブリティッシュ・ミュージック博物館がオープン
ロンドンにブリティッシュ・ミュージックの博物館、British Music Experienceがオープンした。
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プロフィール・バイオグラフィ・リンク
Pulpのルーツはイングランド北部の工業都市シェフィールドにさかのぼる。''81年、まだ10代の学生だったシンガー/作詞担当のJarvis Cockerが結成したArabacus Pulpがその始まりだ。今では華やかなフロントマンとして知られるJarvisだが、学生時代の彼は堅物の変人扱いされていた(何しろ彼の母親ときたら、膝までの革のズボンをはかせていたのだから)。今の彼が歌詞の中で見せる世の中に対する鋭い観察眼と、優れたファッションセンスは、きっとこの頃に培われたものに違いない。
''83年にリリースされたPulpのデビューアルバム『It』は、なかなかの野心作だったが、当時はSmithsに影響を受けた憂鬱な暗いロックをプレイしていた。''86年にリリースされた2ndアルバム『Freaks』でも、彼らは、未だに自分達のサウンドを探している最中、といった印象を与えた。ラインナップも中心メンバーのJarvis Cockerとギタリスト/ヴァイオリニストのRussell Senior、そしてキーボードのCandida Doyle以外は常に流動的だった。
しかし、''80年代後半になって、ベーシストのSteve MackeyとドラマーのNick Banksが加入した後は、メンバーも固まるようになった。それにつれて、Jarvis Cockerのスター願望もはっきりと現れるようになっていった。女性の気を引こうと窓から飛び降りて、1年ほど車椅子で過ごしたJarvisは、その後も、車椅子に乗ってステージに現れ続けた。
自らのレーベルGiftから、''90年にまずシングル“My Legendary Girlfriend”をリリースし、''92年にアルバム『Separations』をリリースする頃になると、彼ら独特のサウンドというものが確立されるようになる。David Bowieのようなグラムサウンドと、安っぽいディスコからの影響をミックスし、Jarvisが酔っぱらって性的に満たされていないBryan Ferryのように歌うのだ。
こうして独自のサウンドができあがった結果、彼らは''93年にIsland Recordsと契約。まず、初期の作品が『Intro:The Gift Recordings』というアルバムで再リリースされ、''94年には大成功を収めたアルバム『His''N''Hers』を発表。シングルの“Do You Remember The First Time?”と“Babies”のヒットがアルバムの売れ行きに拍車をかけた。
やがて彼らもイギリスで起こったブリットポップの波に乗る。伝統的な曲作りや、イギリス的なものをよしとするこの流れに乗って、彼らは''95年、代表作の『Different Class』を発表。このアルバムでJarvisは、イギリスで現在も進行中の階級闘争を鋭く描き、''90年代イギリスの若きアウトサイダー達の生活を綴った素晴らしい物語を作り上げた。そして、ギターやキーボード、傷ついたようなストリングスのサウンドに乗せて、控えめなウイットと驚くほどの普遍性を展開したのである。
結局、このアルバムは''95年度の様々なイギリスの音楽賞に軒並みノミネートされることとなった。熱狂的な反応の中、彼らは母国イギリスのみならず、世界をツアーして回った。アメリカでも、大きな商業的成功は収めていなかったものの、イギリス好きなファン達が存在していた。ツアーのクライマックスは、''96年のグラストンベリー・フェスティヴァルだった。
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