ニュース・最新情報
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80年代の名盤を一挙67タイトル、紙ジャケ化リリース
サバイバー、メン・アット・ワーク、マイアミ・サウンド・マシーン、ケニー・ロギンス、REOスピードワゴン、ボニー・タイラー、バングルス、ラヴァーボーイ、アダム・ジ・アント、ヨーロッパ、アクセプト、クワイエット・ライオット…どうですか。
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Mステで紹介された、涙のコンピ『涙のNo.2』って?
▲『涙のNo.2』1 ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン / シンディー・ローパー2 デンジャー・ゾーン / ケニー・ロギンス3 セ・ラ・ヴィ / ロビー・ネヴィル4 エヴリバディ・ハヴ・ファン・トゥナイト / ワン・チャン5 ガール・ライク・ユー / フォリナー6 ロザーナ / TOTO7 オープン・アームズ / ジャーニー8 ロンガー / ダン・フォールゲルバーグ9 マニック・マンデー / バングルズ10 ロックバルーンは99 / ネーナ11 君は完璧さ / カルチャー・クラブ12 サムバディズ・ウォッチング・ミー / ロックウェル13 パーティー・オール・ザ・タイム / エディ・マーフィー14 カヴァー・ガール / ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック15 ヘヴン / ウォレント16 オール・アイ・ニード / ジャック・ワグナー2月1日(金)夜20:00~のテレビ朝日「ミュージック・ステーション」のMトピで紹介されたコンピレーション盤『涙のNo.2』、2年半前にリリースされたコンピ盤とはいえ、王道&永遠のその中身、気になった方も多いことでしょう。
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『ビルボードNo.1ヒッツ』5枚同時発売決定
今週末から東京、大阪、福岡と順次予定されているビルボードLIVEのオープン(8/18東京、8/26大阪、9/3福岡)を記念して、日本企画コンピレーション・アルバムがリリースされることが発表された。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
全米No.1ヒットとなった映画『フットルース』の主題歌が、良くも悪くもあまりにも有名なシンガー・ソングライター、ケニー・ロギンス。
'70年にコロムビア・レコードと契約。デビュー・アルバムをレコーディング中、プロデュースを担当していたポコの元メンバー、ジム・メッシーナと意気投合。デビュー作『シッティン・イン』はロギンスとメッシーナの共演盤というかたちでリリースされた。
その後、'76年まで、ロギンス&メッシーナ名義で8枚のアルバムを発表。カントリー・ロック調のサウンドで人気を集め、「プー横町の家」、「ママはダンスを踊らない」といったヒット曲も残している。
ソロに転向した、ロギンスは'77年、ソロ一作目となるアルバム『未来への誓い』を発表。ここでは従来とは異なるフュージョン寄りの洗練されたスタイルを披露。その後も順調に活動を続け、'84年の「フットルース」を皮切りに『トップ・ガン』の「デンジャー・ゾーン」など、映画の主題歌を歌って次々に大ヒットさせた'80年代後半はサントラ・キングなどと呼ばれる。
'91年、前作より3年のブランクを経て、8thアルバム『リープ・オブ・フェイス~愛を信じて』を発表。以前から環境問題に関心を持っていたロギンスは収録曲「愛の確信」で世界へメッセージを送る。ゴア副大統領(当時)に環境保護運動の非公式讃歌と讃えられ、'95年のアース・デイにワシントンD.C.のザ・モールで50万人のオーディエンスを前に同曲を歌い、世界中のテレビで生中継された。
離婚、再婚を経て、4人目の子供を得たロギンスは以前より温めていた「子供達のためのアルバム」というアイディアを、ついに実現させ、'94年、『リターン・トゥ・プー・コーナー』を発表。同作は 100万枚を越える大ヒットとなった。
'70年にコロムビア・レコードと契約。デビュー・アルバムをレコーディング中、プロデュースを担当していたポコの元メンバー、ジム・メッシーナと意気投合。デビュー作『シッティン・イン』はロギンスとメッシーナの共演盤というかたちでリリースされた。
その後、'76年まで、ロギンス&メッシーナ名義で8枚のアルバムを発表。カントリー・ロック調のサウンドで人気を集め、「プー横町の家」、「ママはダンスを踊らない」といったヒット曲も残している。
ソロに転向した、ロギンスは'77年、ソロ一作目となるアルバム『未来への誓い』を発表。ここでは従来とは異なるフュージョン寄りの洗練されたスタイルを披露。その後も順調に活動を続け、'84年の「フットルース」を皮切りに『トップ・ガン』の「デンジャー・ゾーン」など、映画の主題歌を歌って次々に大ヒットさせた'80年代後半はサントラ・キングなどと呼ばれる。
'91年、前作より3年のブランクを経て、8thアルバム『リープ・オブ・フェイス~愛を信じて』を発表。以前から環境問題に関心を持っていたロギンスは収録曲「愛の確信」で世界へメッセージを送る。ゴア副大統領(当時)に環境保護運動の非公式讃歌と讃えられ、'95年のアース・デイにワシントンD.C.のザ・モールで50万人のオーディエンスを前に同曲を歌い、世界中のテレビで生中継された。
離婚、再婚を経て、4人目の子供を得たロギンスは以前より温めていた「子供達のためのアルバム」というアイディアを、ついに実現させ、'94年、『リターン・トゥ・プー・コーナー』を発表。同作は 100万枚を越える大ヒットとなった。