ニュース・最新情報
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週刊エンタメ情報・今週の1行ニュース(2008.7.26)
●ポール・マッカートニーは先週末、カナダのケベックでコンサート前に食事会を開き、新恋人とされるナンシー・シェヴェルを、ごく内輪の友人たちに初めて紹介したそうだ。
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2ライヴ・クルーのルーサー・キャンベルが引退宣言
元2ライヴ・クルーのリーダーであるルークことルーサー・キャンベルが、次の作品を最後にアーティストとして引退すると、AllHipHop.comが報じている。
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50セント、大ヒット曲「In Da Club」が著作権侵害で訴訟
50セントの'03年の大ヒット曲である「In Da Club」が、2ライヴ・クルーの元リーダーであるルーサー・キャンベルの曲の歌詞を盗用したものだとして、著作権侵害で訴えられたと、AP通信などが報じている。
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2ライヴ・クルー元メンバーがジェイ・Zとアイス-Tを訴える
マイアミの伝説的ヒップホップ・グループ、2ライヴ・クルーの元メンバーであるマーキス・ロスがジェイ・Zのヒット曲「99 Problems」を巡ってジェイ・Zとアイス・Tを訴えたと、AP通信などが報じている。
プロフィール・バイオグラフィ・リンク
2 Live Crewの創始者であるLuther Campbellは、'92年の自伝の中で、「誹謗中傷する連中を蹴散らかして、アメリカ人としての当然の分け前に預かること」が目標だとしている。このことで、彼らの音楽的才能をよそに、その周辺の騒動ばかりが取り沙汰されることになるが、逆にこれが彼らを有名にする大いなる宣伝となった。何といっても、ポスターにぼかしが欠かせないという点では、Larry Flynt以来という男たちだから。
マイアミ生まれのCampbell自らが所有するLuke Skywalkerレーベルから'86年にデビュー。バンドのテーマ曲とも言える“We Want Some P-sy!!”で、ズンズンと響く“マイアミ・ベース”サウンドなるものを世にもたらした。Mr.Mixx(David Hobbes)がターン・テーブル担当。Campbell、Brother Marquis(Mark Ross)、Fresh Kid Ice(Chris Won Wong)が、時に陽気な、時に女性差別的な、セックス絡みのライムを繰り出す。
'87年の次作『Move Somethin'』は、“クリーン”と“ダーティ”の2ヴァージョンがリリースされたが、'89年の2枚組みアルバム 『As Nasty As They Wanna Be』発表時にトラブルが勃発!
このアルバムには、彼らにとって初の本格的ヒットとなった“Me So Horny”が収録されていたが、この内容に怒った日和見な弁護士、Jack Thompsonが反旗を翻したのである。'90年6月、フロリダの連邦裁判所が“同アルバムはワイセツである”との判決を下し、“レコード店の店員がこのアルバムを販売して投獄された”とか、“メンバー3人がコンサート会場で逮捕された”等々の見出しが踊ることになる。なお、この騒動に続いては、同年発表の Campbell のソロ・デビュー作にBruce Springsteenの“Born In The U.S.A.”のサンプル使用を許可するという有名な裁判もあった。その後、'91年、ラップでは初めてとされるフル・ライヴ・アルバムと、『Sports Weekend』を発表。話題の渦中に、衰えを知らぬ傍若無人ぶりを見せつけた。
なお、Campbell のソロ活動は、“売れるバンド名”の使用権を巡って、他のメンバーが彼を訴える事態を招き、'92年、彼はバンドを脱退している。バンドはその後も、'90年代初めの全盛期の作品と比べて遜色ないアルバムを続々と発表し活気を装ってきたが、残念ながら、大衆の目はとうの昔に2 Live Crew のエッチ路線をさらに推し進めようと意気込む他のラッパーたちに移ってしまっていたのだった。
マイアミ生まれのCampbell自らが所有するLuke Skywalkerレーベルから'86年にデビュー。バンドのテーマ曲とも言える“We Want Some P-sy!!”で、ズンズンと響く“マイアミ・ベース”サウンドなるものを世にもたらした。Mr.Mixx(David Hobbes)がターン・テーブル担当。Campbell、Brother Marquis(Mark Ross)、Fresh Kid Ice(Chris Won Wong)が、時に陽気な、時に女性差別的な、セックス絡みのライムを繰り出す。
'87年の次作『Move Somethin'』は、“クリーン”と“ダーティ”の2ヴァージョンがリリースされたが、'89年の2枚組みアルバム 『As Nasty As They Wanna Be』発表時にトラブルが勃発!
このアルバムには、彼らにとって初の本格的ヒットとなった“Me So Horny”が収録されていたが、この内容に怒った日和見な弁護士、Jack Thompsonが反旗を翻したのである。'90年6月、フロリダの連邦裁判所が“同アルバムはワイセツである”との判決を下し、“レコード店の店員がこのアルバムを販売して投獄された”とか、“メンバー3人がコンサート会場で逮捕された”等々の見出しが踊ることになる。なお、この騒動に続いては、同年発表の Campbell のソロ・デビュー作にBruce Springsteenの“Born In The U.S.A.”のサンプル使用を許可するという有名な裁判もあった。その後、'91年、ラップでは初めてとされるフル・ライヴ・アルバムと、『Sports Weekend』を発表。話題の渦中に、衰えを知らぬ傍若無人ぶりを見せつけた。
なお、Campbell のソロ活動は、“売れるバンド名”の使用権を巡って、他のメンバーが彼を訴える事態を招き、'92年、彼はバンドを脱退している。バンドはその後も、'90年代初めの全盛期の作品と比べて遜色ないアルバムを続々と発表し活気を装ってきたが、残念ながら、大衆の目はとうの昔に2 Live Crew のエッチ路線をさらに推し進めようと意気込む他のラッパーたちに移ってしまっていたのだった。