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受賞歴のあるレコーディング・アーティスト/エレクトロニック・ミュージックのプロデューサー、タツヤオオエは20年のキャリアに渡って、その極めて多様な音楽的バックグラウンドを大胆に進化させ続けている。Captain Funk, OE, Dark Modelといったアーティスト名義の下に特徴的なオリジナル作品を発表してきたことに加えて、他のアーティストと行ったコラボレーション、リミックス作品はジェームス・ブラウン、ダイアナ・ロス、セルジュ・ゲンスブール、ロン・セクススミス、シック、サイモン・ルボン、大友良英など、数百に及ぶ。ジャーナリスト達はオオエを「リミックスの魔術師」「現代のルネサンス・マン」「ダンスミュージックの未開の航路に挑む船長」等と評してきた。また、彼が作曲した音楽はアメリカ/ヨーロッパ/アジアを中心に世界中のテレビ、CM、映画、ゲーム、アニメーション等でフィーチャーされている。
オオエは1969年広島に生まれた。幼い頃からロック、ポップス、そしてエレクトロニック・ミュージックに強い興味を示した。14歳の時に最初のギター、シンセサイザー、シーケンサーを購入し、ロック、シンセポップ/ニューウェーブ、ヘヴィメタル、プログレッシブ・ロックを演奏するバンドを組んだ。当時オオエが最も好きだったファンク、ブラックミュージックは日本にあまり浸透しておらず、バンド結成には至らなかったものの、数年後それらのレコードをDJとして演奏することに楽しさを見出し、レア・グルーヴ、ディスコ、ハウス、ヒップ・ホップなどのダンス/クラブミュージックに魅了されていった。
東京大学経済学部を卒業し、広告会社に勤務していた1996年、オオエは手元にあったラップトップ・コンピュータを使って音楽制作を開始した。その後まもなく彼の最初のデモテープは複数のヨーロッパの有力テクノレーベルから称賛を受け、イタリアのレーベルACVからデビュー12インチレコードがリリースされた。また、オオエはイギリスでリリースされたジャパニーズ・テクノのコンピレーションアルバム「Pacific State」に参加した(’97年)。DJ Magazine誌は「このアルバムには幾つかの卓越した瞬間がある。例えばタツヤオオエによる威勢の良いエレクトロがそうだ。」と説明した。オオエはさらに自分のスタイルを発展させ、当時組み合わせとしてはありえないと考えられていた、自身のフェイバリットであるオールドスクールのファンクと最先端のテクノを融合させる試みを進めた。その唯一無二なサウンドはアルバム「Encounter with…」(’98)で具現化された。このアルバムのリリースを以て、オオエは独自路線を行くソロプロジェクト「Captain Funk」として、突如クラブシーンに現れた。
ミニストリー・オブ・サウンド誌は「Captain Funkは信じられる!」とコメントし、Time Out誌は「活気に満ちた歓喜(の音)」と表現した。ファットボーイ・スリム(ノーマン・クック)はオオエのレコードを“F***ing insane!(とてつもなくイカレてる)」と評し、自分のDJ用に追加のコピーを求めた。コールドカット、カール・コックス、サイ・ベグ、フレディ・フレッシュ、ケン・イシイなど、その高揚感のあるパーティー・グルーヴに対して幅広いDJからの称賛とリスペクトを集めた。オオエは数多くの大型イベントに参加し、その活動領域はフジロックフェスティバル(これまでに3回出演)などの日本の会場のみならず海外にも及んだ。ダフト・パンクやエイフェックス・ツインなど当時の新進気鋭のアーティストが参加したフランス初の大規模エレクトロニック・ミュージック・フェスティバル「Global Tekno」では、唯一の日本人として招待されライブを披露している。
オオエはCaptain Funkとしてシングル「Bustin’ Loose」「Dancing in the Street」、ミックスCD「Style」と続けてヒット作をリリースした。特筆すべきは2000年リリースのセカンド・フルアルバム「Songs of the Siren」(’00)である。彼のキャリアの中で最も野心的なロック志向の強い作品であり、大半の楽器を自ら演奏・録音したこのアルバムは、米ビルボード誌の「The Year in Music 2001 / Critic’s Choice」の一つに選ばれた。同誌のアジア支局長スティーブ・マクルーアはこのアルバムを「Captainは危険を顧みないビート、卓越した音素材のチョイス、そしてパンチの効いたロックギターサウンドが詰め込まれたこのアルバムで、リスナーをハイテンションでジェットコースターの様な起伏に富んだ体験へと誘う」と説明した。「Bustin’ Loose」収録の「Twist & Shout」はベルリンSABU監督の映画「Monday」(第50回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞・カリガリ特別賞・ドンキホーテ特別賞受賞)のテーマソングとしてフィーチャーされた。
‘02年リリースの「Here and You」で彼は「OE」という名義で新たなプロジェクトを開始し、自ら演奏するギター、ピアノなどの生楽器、ヴォーカルを導入した、内省的でミニマリスト・スタイルのエレクロニカを披露した。メトロポリス誌は「彼の前作Songs of the Sirenをよく知っているリスナーは、あのアルバムを過去2年で日本から生まれた最もオリジナルで音楽的に革新的なものの一つになし得た要素の多くに気付くだろう。オオエのスタジオでのスキルは、あなたの聞く普通のロックソング以上のものがこのアルバムにあることを裏付けている。」と評した。
OEとして、彼はミュージック・コンクレート・スタイルの「Physical Fiction (’03)」、大友良英ジャズ・クインテットとの共同作品「ONJQ+OE (’03)」、近未来的なエレクトニカ楽曲を集めた「Director’s Cut (’04)」をリリースした。その間、オオエはクラフトワーク、ホルガー・チューカイ(元カン)、デビッド・ボウイ(Groove Syndicate名義で)などのオープニング・アクトを務めた。また、オオエが楽曲提供をしたパナソニックのグローバル・ブランディング・ムービー「Experience Color」はニューヨーク・フェスティバル、ウェビー・アワード、東京インタラクティブアドにて各種の賞を受賞した。
自己の音楽レーベル&出版会社Model Electronicを立ち上げた後の2007年5月、オオエは長く待たれていたCaptain Funk名義でのアルバム「Heavy Metal」「Heavy Mellow」をリリースした。これらの作品の中でオオエは初期Captain Funkのアップリフティングなスタイルをエレクトロ・ロック、シンセポップ寄りの音を用いてバージョンアップした。「Heavy Mellow」収録の「Hey Boy, Hey Girl」は、日本のみならずパリのClub Sandwichやディオール・オム・ショップなどのセレブリティが集まる場所で称賛を受け、ヘヴィ・プレイされた。
2009年8月、オオエはCaptain Funkの次のアルバム「Sunshine」をリリースした。キャッチーなシンセポップ・ソング「Weekend」は日本の幾つかのラジオでチャートインし、ディスコ的な「Piece of You」は米アパレル・ブランドForever21のブランドキャンペーンでフィーチャーされた。STUDIO VOICE誌はこのアルバムを「ゼロ年代の100枚」の一つに選定した。続いてリリースされたミニアルバム「Versions 2011」は国内AmazonのMP3アルバムチャートで「ダンス・エレクトロニカ」部門で1位を獲得した。
2012年5月、オオエはエッジの効いた、ストーリー性のあるオーケストラ・エレクトロニック・ミュージックを構築する新たなソロプロジェクトDark Modelを立ち上げた。米国永住権(第1優先枠 EB-1-1) を取得して渡米後の2014年5月、オオエはDark Modelとしてのファースト・アルバムをリリースした。壮大なシンフォニックサウンドとビート志向の強いエレクトロニック・ミュージックを融合させるというこのアルバムでの試みは多くの音楽評論家、ジャーナリストから高い評価を受けた。Under the Gun Review誌はこのアルバムを「最近記憶する中でもっとも優れたエレクトロニック・ミュージックへの取り組みの一つであり、また2014年の中で最も壮大で記憶に残る音楽の一つにたやすく入る作品」と評した。
2015年3月、Dark Modelのファースト・アルバムは第14回インディペンデント・ミュージック・アワード (The IMAs)の「ダンス/エレクトロニカ・アルバム」部門にノミネートされた。Dark Modelの音楽は数多くのメディアプロジェクトでフィーチャーされ、ハリウッド映画では「Elysium (エリジウム)」(出演:マット・デイモン、ジョディ・フォスター)、「The Paperboy(邦題:「ペーパーボーイ 真夏の引力」)」(ザック・エフロン、ニコール・キッドマン、マシュー・マコノヒー等出演) 、「マネー・モンスター」(出演:ジョージ・クルーニー、ジュリア・ロバーツ)の予告編やレクサス、米最大手通信会社ベライゾン携帯「ドロイド」、X Box「Forza Motorsport5」などの企業CM、ロンドンのコンテンポラリーダンスアカデミーNorthern Balletのコレオグラフィーなどに使用されている。
オオエは1969年広島に生まれた。幼い頃からロック、ポップス、そしてエレクトロニック・ミュージックに強い興味を示した。14歳の時に最初のギター、シンセサイザー、シーケンサーを購入し、ロック、シンセポップ/ニューウェーブ、ヘヴィメタル、プログレッシブ・ロックを演奏するバンドを組んだ。当時オオエが最も好きだったファンク、ブラックミュージックは日本にあまり浸透しておらず、バンド結成には至らなかったものの、数年後それらのレコードをDJとして演奏することに楽しさを見出し、レア・グルーヴ、ディスコ、ハウス、ヒップ・ホップなどのダンス/クラブミュージックに魅了されていった。
東京大学経済学部を卒業し、広告会社に勤務していた1996年、オオエは手元にあったラップトップ・コンピュータを使って音楽制作を開始した。その後まもなく彼の最初のデモテープは複数のヨーロッパの有力テクノレーベルから称賛を受け、イタリアのレーベルACVからデビュー12インチレコードがリリースされた。また、オオエはイギリスでリリースされたジャパニーズ・テクノのコンピレーションアルバム「Pacific State」に参加した(’97年)。DJ Magazine誌は「このアルバムには幾つかの卓越した瞬間がある。例えばタツヤオオエによる威勢の良いエレクトロがそうだ。」と説明した。オオエはさらに自分のスタイルを発展させ、当時組み合わせとしてはありえないと考えられていた、自身のフェイバリットであるオールドスクールのファンクと最先端のテクノを融合させる試みを進めた。その唯一無二なサウンドはアルバム「Encounter with…」(’98)で具現化された。このアルバムのリリースを以て、オオエは独自路線を行くソロプロジェクト「Captain Funk」として、突如クラブシーンに現れた。
ミニストリー・オブ・サウンド誌は「Captain Funkは信じられる!」とコメントし、Time Out誌は「活気に満ちた歓喜(の音)」と表現した。ファットボーイ・スリム(ノーマン・クック)はオオエのレコードを“F***ing insane!(とてつもなくイカレてる)」と評し、自分のDJ用に追加のコピーを求めた。コールドカット、カール・コックス、サイ・ベグ、フレディ・フレッシュ、ケン・イシイなど、その高揚感のあるパーティー・グルーヴに対して幅広いDJからの称賛とリスペクトを集めた。オオエは数多くの大型イベントに参加し、その活動領域はフジロックフェスティバル(これまでに3回出演)などの日本の会場のみならず海外にも及んだ。ダフト・パンクやエイフェックス・ツインなど当時の新進気鋭のアーティストが参加したフランス初の大規模エレクトロニック・ミュージック・フェスティバル「Global Tekno」では、唯一の日本人として招待されライブを披露している。
オオエはCaptain Funkとしてシングル「Bustin’ Loose」「Dancing in the Street」、ミックスCD「Style」と続けてヒット作をリリースした。特筆すべきは2000年リリースのセカンド・フルアルバム「Songs of the Siren」(’00)である。彼のキャリアの中で最も野心的なロック志向の強い作品であり、大半の楽器を自ら演奏・録音したこのアルバムは、米ビルボード誌の「The Year in Music 2001 / Critic’s Choice」の一つに選ばれた。同誌のアジア支局長スティーブ・マクルーアはこのアルバムを「Captainは危険を顧みないビート、卓越した音素材のチョイス、そしてパンチの効いたロックギターサウンドが詰め込まれたこのアルバムで、リスナーをハイテンションでジェットコースターの様な起伏に富んだ体験へと誘う」と説明した。「Bustin’ Loose」収録の「Twist & Shout」はベルリンSABU監督の映画「Monday」(第50回ベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞・カリガリ特別賞・ドンキホーテ特別賞受賞)のテーマソングとしてフィーチャーされた。
‘02年リリースの「Here and You」で彼は「OE」という名義で新たなプロジェクトを開始し、自ら演奏するギター、ピアノなどの生楽器、ヴォーカルを導入した、内省的でミニマリスト・スタイルのエレクロニカを披露した。メトロポリス誌は「彼の前作Songs of the Sirenをよく知っているリスナーは、あのアルバムを過去2年で日本から生まれた最もオリジナルで音楽的に革新的なものの一つになし得た要素の多くに気付くだろう。オオエのスタジオでのスキルは、あなたの聞く普通のロックソング以上のものがこのアルバムにあることを裏付けている。」と評した。
OEとして、彼はミュージック・コンクレート・スタイルの「Physical Fiction (’03)」、大友良英ジャズ・クインテットとの共同作品「ONJQ+OE (’03)」、近未来的なエレクトニカ楽曲を集めた「Director’s Cut (’04)」をリリースした。その間、オオエはクラフトワーク、ホルガー・チューカイ(元カン)、デビッド・ボウイ(Groove Syndicate名義で)などのオープニング・アクトを務めた。また、オオエが楽曲提供をしたパナソニックのグローバル・ブランディング・ムービー「Experience Color」はニューヨーク・フェスティバル、ウェビー・アワード、東京インタラクティブアドにて各種の賞を受賞した。
自己の音楽レーベル&出版会社Model Electronicを立ち上げた後の2007年5月、オオエは長く待たれていたCaptain Funk名義でのアルバム「Heavy Metal」「Heavy Mellow」をリリースした。これらの作品の中でオオエは初期Captain Funkのアップリフティングなスタイルをエレクトロ・ロック、シンセポップ寄りの音を用いてバージョンアップした。「Heavy Mellow」収録の「Hey Boy, Hey Girl」は、日本のみならずパリのClub Sandwichやディオール・オム・ショップなどのセレブリティが集まる場所で称賛を受け、ヘヴィ・プレイされた。
2009年8月、オオエはCaptain Funkの次のアルバム「Sunshine」をリリースした。キャッチーなシンセポップ・ソング「Weekend」は日本の幾つかのラジオでチャートインし、ディスコ的な「Piece of You」は米アパレル・ブランドForever21のブランドキャンペーンでフィーチャーされた。STUDIO VOICE誌はこのアルバムを「ゼロ年代の100枚」の一つに選定した。続いてリリースされたミニアルバム「Versions 2011」は国内AmazonのMP3アルバムチャートで「ダンス・エレクトロニカ」部門で1位を獲得した。
2012年5月、オオエはエッジの効いた、ストーリー性のあるオーケストラ・エレクトロニック・ミュージックを構築する新たなソロプロジェクトDark Modelを立ち上げた。米国永住権(第1優先枠 EB-1-1) を取得して渡米後の2014年5月、オオエはDark Modelとしてのファースト・アルバムをリリースした。壮大なシンフォニックサウンドとビート志向の強いエレクトロニック・ミュージックを融合させるというこのアルバムでの試みは多くの音楽評論家、ジャーナリストから高い評価を受けた。Under the Gun Review誌はこのアルバムを「最近記憶する中でもっとも優れたエレクトロニック・ミュージックへの取り組みの一つであり、また2014年の中で最も壮大で記憶に残る音楽の一つにたやすく入る作品」と評した。
2015年3月、Dark Modelのファースト・アルバムは第14回インディペンデント・ミュージック・アワード (The IMAs)の「ダンス/エレクトロニカ・アルバム」部門にノミネートされた。Dark Modelの音楽は数多くのメディアプロジェクトでフィーチャーされ、ハリウッド映画では「Elysium (エリジウム)」(出演:マット・デイモン、ジョディ・フォスター)、「The Paperboy(邦題:「ペーパーボーイ 真夏の引力」)」(ザック・エフロン、ニコール・キッドマン、マシュー・マコノヒー等出演) 、「マネー・モンスター」(出演:ジョージ・クルーニー、ジュリア・ロバーツ)の予告編やレクサス、米最大手通信会社ベライゾン携帯「ドロイド」、X Box「Forza Motorsport5」などの企業CM、ロンドンのコンテンポラリーダンスアカデミーNorthern Balletのコレオグラフィーなどに使用されている。