プロフィール・バイオグラフィ・リンク

アメリカ生活が長いけれど、実は生粋の日本人。
中学時代にビートルズがきっかけで音楽に夢中になり友達とギターをかきならす。その後洋楽コピーバンドにあけくれるという、思い出すと恥ずかしい青春をすごす。

大阪大学工学部でエレクトロニクスという、音楽とは何光年も離れた分野を卒業して日本で楽器メーカーに就職する。

そして1981年アメリカに来て、何がどうなったのかレコーディング・エンジニアになり、それ以来二十年以上ロサンゼルスでレコーディング・エンジニアの生活を続けている。

音楽とエレクトロニクスの両方が役に立つ今の仕事を、自分の天職と感じている。
1981年に渡米し、スタジオに就職して仕事と英語の両方を覚える。この時期モータウンのR&Bセッションのアシスタントを多くつとめたので黒人スラングに妙に詳しい日本人となる。1984年、ロック系のスタジオに移籍。有名プロデューサーのボブ・エズリン、ロン・ネビソンらに指名され数多くのロックアルバム制作に参加したのでロック系スラングにも妙に詳しい日本人となる。

1989年にはスタジオから独立し、フリーエンジニアとなる。この頃より日本から仕事が舞い込むようになり、業界用語にも妙に。1990年以降はフリーのエンジニア/プロデューサーとして日米両方で活動。

1994年、レイジ・アゲンスト・ザ・マシン」のデビューアルバム録音でグラミー賞最優秀エンジニアにノミネート。

80年代のアナログ・レコーディング熟成期、90年代のデジタル・レコーディング、そしてプロトゥールズ全盛今日まで常にレコーディングの最先端で仕事をしてきましたが、機材はあくまでも音楽をつくるための道具でしかありません。音楽に一番大切なものは心だと信じています。