【2作品DVD同時レヴュー】
類い稀な彼女の存在を考察するに、大変に興味深い2作品
宇多田ヒカルというシンガー・ソングライターは、音源とPVでほぼ完成されているんだなと思わせる2つのDVD作品である。
04年2月におこなわれた日本武道館公演を収めたライヴDVD『Utada Hikaru in Budokan 2004 “ヒカルの5”』は、いい意味でも悪い意味でも“ライヴ至上主義ではない”宇多田を確認することができる。ステージセットは意識的にシンプルに作ってあるようで、武道館のステージがかなり広く映る。バックは名うてのミュージシャンばかりであるが、バック・ミュージシャンと宇多田が同一のアクションをするシーンはないし、コーラス隊やダンサー部隊もいない。ひたすら宇多田がステップを踏んで正しいピッチで歌っていくので、僕としては彼女が淋しそうに見える。さらに、ほとんど全曲でシーケンスが同期しているので、音源に入っている宇多田自身によるコーラスが分厚く再現される。ここにコーラス隊でもいたら、彼女の歌をライヴ的に補強&拡大するであろうに、宇多田チームはそうした方法をライヴには持ち込まないようだ。セットリスト(収録曲順)は素晴らしく、特にピアノ1本のイントロからスタートする「幸せになろう」はとても美しい。全体を通して観ると、孤独な宇多田ヒカルの横顔が、歌う姿を透過して伝わってくる作品だと思う。
一方のDVDシングル「誰かの願いが叶うころ」は、出演者やセットなどの“設定”が確たるものになっているゆえ、その設定に入っていく宇多田は、ブレることのない表情や演技を作っていく。寺尾聰を筆頭に役者陣が強固な“役の輪郭”を放っているゆえ、宇多田も「和して同ぜず」な一人の臨界点を出せるのだろう。
してみると、ライヴDVDで感じた彼女の孤独感めいたもののワケがはっきりする。つまり、ステージではバッキング・サウンドという土台の上に彼女の歌が乗っているゆえ、バックと宇多田の関係は同一線上にはない。「誰かの~」のPVでは、彼女と他の役者達の関係は同一線上にある。宇多田ヒカルという類い稀な存在を考察しようとするとき、今回の2作品は大変に興味深いものだ。
文●佐伯 明(音楽文化ライター)
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