【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話058「音楽が、楽譜と音源から解脱する日」

音楽は時間と消えていく。触れることも留めることもできない。ただ「いま」に存在するだけなので、我々は脳の記憶によって音楽を享受してきた。そんな音楽をなんとか保存できないかと楽譜を生み出し、追って波形としてレコードする技術も手に入れた。でも数百年を経た今もなお、音楽を保持する方法はこの2種類しかない。
近い将来音楽は、衣服や食事のようにフィジカルやメンタルを整えるツールになるとは思う。人の行動や生体情報、環境といった様々な情報をプロンプトにすれば、その人にとって最適な生成AI音楽がリアルタイムに生活を彩り、コンディションを整えるのに大きく役立つからだ。しかしそれでも、音楽は依然として「聴くもの」「流れていくもの」の域を出ない。メンタルやフィジカルに大きな影響を与えるにもかかわらず、必要なときに必要な量を確実に摂取できるサプリメントのような存在にはなっていない。
楽譜や音源に代わる第三の音楽の享受方法はないだろうか。
音楽を「空気振動という音で表現しない」と考えたらどうだろう。AIの進化を通して我々が気付いたことのひとつに、音楽が人に与える影響の本質は、どうやら周波数構造や時間的変化、期待と裏切りの設計にあるらしいという事実がある。それを踏まえて、その本質だけを抽出すれば必ずしも空気振動である必要もない。触覚、視覚、あるいは身体内部への微細な刺激として、音楽的構造そのものを直接肉体への刺激に変換する。それに応じたホルモン分泌が促される。旋律を聴くのではなく、旋律的な時間感覚を感じるという処置をするわけだ。リズムは聴覚で追うのではなく、内臓や筋肉の周期が同調してくれるかもしれない。ミュージシャンが長年培ってきたノリやグルーブ、気配といった言語化されてこなかった領域が構造化される。もはや音楽再生ではなく音楽発生と受容という状態だ。もちろん現実的には『マトリックス』のような世界を指してしまうし、そこには30分の組曲を数秒で聴いたことにしちゃうようなデタラメも起こるので、論外ではあるんだけど。
大事なことは、音楽を「作品」ではなく「状態」として捉え直すこと。楽譜や音源は「記録」だけれど、音楽を聴いた結果として生じる人間の内部状態=「結果」を保存したほうが本質的だということ。この考え方は、以前説いた「音の良さは再生機のスペックよりも自身のコンディションが大事」(https://barks.jp/news/532382/)ということや、ヤマハの新技術「Real Sound Viewing」(https://barks.jp/news/538673/)の発想とも近い。音楽を聴いたときの脳波、ホルモン分泌、心拍の揺らぎ…その複合的な状態をデータ化し、再現可能なフォーマットとして蓄積する。音楽そのものは保存されていなくても、「その音楽が人に起こした変化」を残しておき、必要なときにその状態を呼び出すことができるなら、音楽はコンテンツではなくコンディションのライブラリーとなる。
さらに言えば、ライブラリー再生の次には、音楽そのものが人間の内面と呼応し続け、動的に変化してものへと進化する。悲しみを検知すれば寄り添うように、集中が途切れれば背中を押し、疲労が溜まれば沈静化するように、音楽は人と対話する。音楽に完成形はなく、常に未完で変化し続ける。人が生きている限り、その音楽は記録不可能であり再生も複製もできない。その時に最適化された音楽だからこそ、確実に「効く」ものになる。それが究極の音楽の形ではないか。もはや作品を提示するのではなく生命をサポートするコンディショニングトレーナーだ。
楽譜も録音も、音楽を外部に固定するための技術だった。でも音楽が時間の芸術である以上、その真の保存先はメディアではなく、変化し続ける人間そのものの方が理に適う。次に訪れる革新は、音楽を外に留めることではなく、人間の内部に直接作用させる方向だと思う。そしてその品質を担保し、思いもよらぬ喜びや感動を与えるのはミュージシャンの仕事であり、その本質は1mmも変わらない。音楽そのものが残らなくても、「その音楽が人に何を起こしたか」は残せる。その設計思想を担うのがアーティストだ。
音楽の未来は、人間が音楽を摂取し、代謝し、回復するというプロセス自体を設計し直すことにある。音楽は、聴くものから生きるために使うものへレイヤーを上げていく。それが未来の音楽だと思った。

文◎烏丸哲也(BARKS)