【インタビュー】ヴィヴィアン・キャンベル、ラスト・イン・ラインを語る《前編》
古くて新しいハード・ロック・バンド、ラスト・イン・ラインのファースト・アルバム『ヘヴィ・クラウン』が発売された。1980年代のハード・ロックを代表するバンドのひとつ、ディオの初期メンバーだったヴィヴィアン・キャンベル(G)、ヴィニー・アピス(Dr)、ジミー・ベイン(B)の3人に元リンチ・モブ~ハリケーンのアンドリュー・フリーマン(Vo)が加わったサウンドは、純正ハード・ロック/ヘヴィ・メタルだ。彼らは当初、初期ディオのナンバーをプレイすることで故ロニー・ジェイムズ・ディオにトリビュートを捧げるプロジェクトだったが、オリジナル新曲のアルバムを引っ提げて、再びロックの大海原に船出することになった。
◆ラスト・イン・ライン画像
だがアルバム発売を前にして、2016年1月23日にジミーが死去。デフ・レパードがメインを務める『ヒステリア・オン・ザ・ハイ・シーズ』クルーズ・ツアーを前にしての突然の死だった。享年68歳、死因は肺癌と発表された。
ラスト・イン・ラインの今後の活動については正式発表がない状況だが、バンドはサポートベーシストを迎え果敢に活動を続けていくという。彼らが生み出した音楽は『ヘヴィ・クラウン』に永遠に刻まれることになるだろう。
ヴィヴィアン・キャンベルへの本インタビューは、ジミーの死の前に行ったものだ。ヴィヴィアン自らもリンパ腫と闘病中だが、“重き王冠”を頭上に冠し、栄光に向かって前進していく。
──2015年11月、デフ・レパードでの来日公演で元気なところを見せてくれましたが、体調はいかがですか?
ヴィヴィアン・キャンベル:12月に検査をしたけど、とても良好だった。腫瘍の転移はないみたいだし、副作用もない。ステージに上がってプレイすることができて、とても幸せだよ。デフ・レパードでのツアーも好調だったし、今度はラスト・イン・ラインで日本でプレイするのが楽しみだ。デフ・レパードは2016年の2月から5月にかけてオフに入るから、その間にライヴをできたらいいと思っている。
──ラスト・イン・ライン結成から『ヘヴィ・クラウン』完成までの道のりについて教えて下さい。
ヴィヴィアン・キャンベル:2011年にシン・リジィの一員としてライヴをやったことで、久しぶりにギターを弾きまくりたくなったんだ。デフ・レパードではできないことだからね。それと同時に、前年(2010年)に亡くなったロニー・ジェイムズ・ディオとバンド:ディオの音楽のセレブレーションをやりたかった。それでヴィニー(アピス/ドラムス)とジミー(ベイン/ベース)に連絡をして、ライヴをやることにしたんだ。当初はディオの初期3作からの曲だけをプレイするつもりだった。俺には“本業”のデフ・レパードがあるから、あくまでサイド・プロジェクトのつもりだったんだ。新曲を書くことにしたきっかけは2013年、マネージャーからの電話だった。レコード会社からの新作のオファーがあるけど興味はあるか?と訊かれて、じっくり考えてみたんだ。
ヴィニーやジミー、そしてアンディ(フリーマン/ヴォーカル)とも話した。とにかく曲を書いてみようということになって、スタジオで「デヴィル・イン・ミー」「オレンジ・グロウ」「ヘヴィ・クラウン」「イン・フレイムス」を書いたんだ。それがうまく行ったんで2回目のセッションも行うことになった。全10曲を書いて満足していたら、「契約上、12曲を収録しなければならない」と言われて、急遽3回目のレコーディングを行うことにしたんだ。最後に書いたのは「ブレイム・イット・オン・ミー」と「カース・ザ・デイ」だった。そうしてアルバムが完成したんだ。
──あなたがこのハード・ロック・スタイルの曲を発表するのは約30年ぶりとなりますが、デフ・レパード時代にも新曲やリフを書きためていたのですか?
ヴィヴィアン・キャンベル:いや、収録曲はすべてアルバム用に書いたものだよ。事前準備というものがほとんどできなかったんだ。俺はデフ・レパードのツアーがあったし、みんなそれぞれ別のことをやっていた。アンドリューはラスヴェガスでショーをやっていたし、ロサンゼルスにいる我々と合流するのに時間がかかったんだ。でもラスト・イン・ラインとして初期ディオの曲をステージで演奏したことで、カンを取り戻した部分もあったんだろうね。まるで久しぶりに自転車に乗るように、すぐに軌道に乗ることが出来たよ。新しいアイディアが幾つもあるし、ラスト・イン・ラインとしてのセカンド・アルバムをこの4人で作るのが今から楽しみだよ。
──『ヘヴィ・クラウン』の制作はどのような過程でしたか?
ヴィヴィアン・キャンベル:とても自然な流れで曲が生まれていった。「デヴィル・イン・ミー」は良い例だよ。ある日スタジオに3人で集まることになっていて、ジミーが大遅刻したんだ。それで俺とヴィニーがジャムを始めて、頭の中にあったオープニングのコードを弾いてみた。それが「デヴィル・イン・ミー」だったんだ。ジミーがスタジオに到着した頃には、ほぼ完成していたよ。ヴィニーは良い耳をしているんだ。俺はいつもスタジオでだらだら手グセのフレーズを弾いているんだけど、彼は「おい、今のは何だ!」って言ってくる。「えーと、何でもないよ」って答えると「それを曲にしよう」って感じで、思いもよらない進化をするんだ。ディオの『情念の炎~ホーリィ・ダイヴァー』のときもそうだった。俺がバンドに加入したとき、ロニーは既に「ホーリィ・ダイヴァー」を書いていて、「ドント・トーク・トゥ・ストレンジャーズ」もほぼ完成していた。でも、それ以外の曲はヴィニーとジミー、そして俺で書いて、それをロニーがアレンジする形を取っていたんだ。毎日午後になると3人で集まって、リフやヴァース、コーラス、ソロまでを書く。そして晩になるとロニーが来て、曲を聴いて、いろんな提案をしながら、完成させていくんだ。『ヘヴィ・クラウン』もそれに近いプロセスだった。
──初期ディオの音楽性を再現しようと試みましたか?
ヴィヴィアン・キャンベル:意識して“ディオ風の曲を書こう”とは考えなかった。この3人が集まると、自然とそんなタイプの曲が出来上がってしまうんだ。もし『ホーリィ・ダイヴァー』みたいなアルバムを作ろうとしたら、上辺だけのわざとらしいものになってしまっただろう。アンドリューはロニーのように虹やドラゴンについての歌詞は書いていない。彼自身の人生を反映させた歌詞を歌っているんだ。
後編ではバンド名の由来、アルバム制作過程の詳細をお届けする。
取材・文 山崎智之
Photo by Ross Halfin
【メンバー】
ヴィヴィアン・キャンベル(ギター)
ジミー・ベイン(ベース)
ヴィニー・アピス(ドラムス)
アンドリュー・フリーマン(ヴォーカル)
ラスト・イン・ライン『ヘヴィ・クラウン』
【通常盤CD/日本盤限定ボーナストラック追加収録/歌詞対訳付/日本語解説書封入】2,700円+税
1.デヴィル・イン・ミー
2.マーター
3.スターメーカー
4.バーン・ディス・ハウス・ダウン
5.アイ・アム・レヴォリューション
6.ブレイム・イット・オン・ミー
7.イン・フレイムス(ボーナス・トラック)
8.オールレディ・デッド
9.カース・ザ・デイ
10.オレンジ・グロウ
11.ヘヴィ・クラウン
12.ザ・シックネス
13.ヘヴィ・クラウン(アコースティック・リミックス)*日本盤限定ボーナス・トラック
【DVD収録内容】*日本語字幕付き
・ザ・ラスト・イン・ライン・ストーリー
・ザ・ソングス
・72987537
・「デヴィル・イン・ミー」ビデオクリップ
・「スターメーカー」ビデオクリップ
◆ラスト・イン・ライン『ヘヴィ・クラウン』オフィシャルページ
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