マニック・ストリート・プリーチャーズ、『ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ』を語る[前編]
マニック・ストリート・プリーチャーズのジェームス・ディーン・ブラッドフィールドは、最後にこのようなメッセージを残してくれた。
「リッチーが俺たちに残した詞をフィーチャーしたニュー・アルバム『ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ』をリリースする。気に入ってくれることを願ってるよ。リッチーや君たちをガッカリさせないことを願っている。これはシングルがないアルバムだ。だからコンセプト・アルバムとして、最初から最後まで聴いて欲しい。俺たちと同じように楽しんで欲しい。またすぐに会おう。」
15年ぶりに4人で制作した新作『ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ』リリースを5月13日に控えるジェームス・ディーン・ブラッドフィールドに話を訊いた。
──まずはこのアルバムを語るにあたり避けられない話題、リッチーの詞について教えてください。これはどのような形で保存されていたのでしょうか?
ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド:基本的にシンプルな話だよ。リッチーがいなくなる前…、いなくなる1~2週間前、俺たちに同一の詞が書かれた3冊のノート(ブックレット)を残していったんだ。同じようなものをね。長い間俺たちみんな、同じ詞を持っていて、見たり、それを使って何かするのを自制したりしてきた。俺たちには、残された詞に対して責任があるように感じてたからね。彼はいろいろ考えた上で、俺たちに詞を残したんだろうから。彼の失踪は計画的なものだったと思っている。それを実行する前に、俺たちに詩を残していくことにしたんだ。だから俺たちみんな、この詞で何かすることに責任を感じていた。長い間、引き出しや本棚から取り出しては見てたんだけど、見ると責任を感じると同時に、これをクリエイティヴなプロジェクトに使うのが怖い気もしてた。でも2年前、アルバム『Send Away The Tigers』のツアー中、俺たちのカンバックとなったときだけど、ニックに“『Send Away The Tigers』の続きを作るつもりはない。またNo.2になるようなシングルを作る気はしない。そういうアイディアは楽しめない”って言ったんだ。“ちなみに、15年ぶりにリッチーの詞を読んでみたけど、もう怖くない。彼の詩を使うっていう責任を取ることを恐れていない。準備ができたような気がする。お前も同じように感じるか、読み返してみるべきだ”ってね。そして彼も同じように感じたんだよ。で、やってみようってことになったんだ。
──じっくり目を通してみて、どんな印象を受けましたか?
ジェームス:詞に合わせて曲を書き始めたとき、いい感じがしたよ。映画みたいに、感情的になるなんてこともできたかもしれないけど、それはなかった。リッチーが望んでいたことを実現するっていうチャレンジを楽しんだよ。クリエイティヴなチャレンジを楽しめた。大変なのはわかってたんだ。リッチーの詞は考えがつまってて知的なんだけど、句読点ってものがないからね。ときどき、歌うのが難しいんだよ。だから物理的に大変だっていうのはわかってた。でも、楽しみにしてたんだ。過去に戻るような気がしたよ。1993年に『Holy Bible』をレコーディングしたときにね。言葉に共鳴し、昔のことを思い出した。昔も彼はたくさんの詩をくれたよ。それ読んで“どうやって歌ったらいいんだ”って思ったもんだ。彼はそんな俺を見て、チャレンジだってね。俺はそれを受け入れてた。その経験を楽しんでたんだ。このアルバムのレコーディングもそうだった。俺たち、すごく集中できた。頭に唯一あったのは、詩やリッチー自身に対する責任感ってことだな。それ以外、詞の中に込められた感情にはとくに影響を受けなかった。
──それに手を加えている部分もあったのでしょうか?
ジェームス:いくつかの詩は…。昔は彼の詩に手を加えることがあったよ。彼はものすごい量の詩を持ってきてたから、編集しなきゃならなかった。でも彼の残したノートでは、ほとんどの部分がただ放出されたって感じだった。ほとんどは詞の形にされてたけど、6節並べられてて、その中のベストなものを2つ取り出さなきゃいけないってこともあった。それに直接的じゃないところもあって、本当の意味が理解できなかった。だから、自分が一番理解できた詞を選んで使わなきゃいけなかった。かなり手を加えなきゃいけないものもあったよ。「William's Last Words」って曲は、詞じゃなくて散文ってかたちで書かれてたんだ。コーラスにいくブリッジがなかった。2ページの散文で、それを俺たちが詞にしたんだ。リッチーもほかのものと同じように詞のつもりで書いたんだと思うよ。でも、ニックがしらみつぶしに読んで詞に編集したんだ。でもほとんどは、ノートに書かれているとおりに歌っている。
──今回はまず詞が先にあったわけですが、曲作りの残りの過程を教えていただけますか?
ジェームス:曲作りの過程はほとんどいつも変わりない。いつもほとんど同じだ。シンガーっていうユニークなポジションにいて…、でも、たいていは誰かが書いた詞を歌っている。だからいつも、詞をちゃんと理解した後で曲を書こうっていう責任感を感じている。自分が書いた詞じゃないからね。いつも長い時間かけて詞に目を通し、自分なりに理解しようとしている。それが高いレベルなのか低いレベルなのかわからないけど。で、詞を理解したところで、曲を書き始める。別の言葉でいうと、曲作りをインスパイアしてくれる詞が好きなんだ。いろんな情熱を持つバンドがいる。ジャムしながら曲を作って、その後で詞をあてはめていくバンドもいる。俺たちはその反対だ。今回も同じだよ。いつもニックが詞をくれて、俺が曲を書く。詞にインスパイアされた曲をね。今回も同じことだったよ。リッチーの詞があって、何度も何度も読み返して、それにインスパイアされて曲を書こうとした。大きな違いは、昔はリッチーの詞を読んでわからない部分があったら、彼に“説明してくれ”って訊けたことだ。リッチーは“もちろん”って言うときもあったし、“やだよ。お前が思ったとおりでやってみろ”って言うときもあった。もちろん今回、彼はいなかった。彼がいないことで、答えがなかったけど、詞の意味は俺が感じたままでいいんだって自由を感じたよ。ちょっととまどったときもあったけど、自分たちの直感や過去の経験を信じて、リッチーが考えていたと思われるように曲を作ったんだ。
──中でも感銘を受けた歌詞は?
ジェームス:いっぱいあるよ。でも特にインスパイアされたのは「Peeled Apples」の詞だね。“The More I See The More I Scream”っていう決まり文句の反対“The More I See The Less I Scream”で始まるんだ。これが、このアルバムと『Holy Bible』の歌詞の一番の大きな違いだ。一節で、彼はあきらめたって歌っている。人生で必要としていたのは神だけだったのに、神を否定している。彼はすごく政治的な人だったけど、イデオロギーをすべて否定している。愛が欲しかったのに、結婚やガールフレンドを持つことを拒否している。怒りや嫌悪感を経験し、何もかもに疑念を持ち始めた。でも、そのあきらめの中で彼は平静だった。それが大きな違いだ。昔のような怒りだけじゃない。あきらめと静寂、そして疑念がある。だからこの詞には感銘を受けた。一行だけど、ときとして一行でイマジネーションがふくらむことがある。“The More I See The Less I Scream”なんてこと予想しないからね。ほかにも不条理なイメージが浮かんでくるものがあった。“Falcon's tuck(?)”“Pigeons and west wings at night(?)”“Dwarf takes his cockerel to a cockfight(?)”みたいにね(笑)。へんに想像力をかきたてられる。いろいろ違う意味があって、それを理解したいと思ったよ。気に入った詞はいっぱいあった。
──レコーディングの際、フル・バンドに戻ったように感じたとおっしゃっていますが、リッチーがその場にいたように感じていたのでしょうか?
ジェームス:何度か、レコーディングしているとき、リッチーがこの音楽を気に入るかどうか疑問に思ったことがある。あるときは、レコーディングしていて、心の底で彼がこれを気に入ることがわかっていた。だから、ときどきそうやって彼の意見(判断)がそこにあるように感じていたよ。俺は、彼のスピリットがそこにいたとか感じるほど迷信深くもないし霊感もないんじゃないかな。でも彼の意見はいつもそこにあった。彼の審美眼、テイストを意識するときがあったよ。自分のテイストにこだわり、強い欲求と意見を持った人物とレコーディングしていたのを覚えてるからね。だから、彼の価値観がそこにあったようには感じていたよ。夜中にリッチーのスピリットを感じたとかという話なら、俺はそういうタイプじゃない。でも、つり合いが取れてた。俺たち3人、彼のために作業しているって感じはしたよ。バンドのバランスが正常に戻ったような気はしたね。
──それゆえに『The Holy Bible』の続編と考える人も多いのですが、それはあなたたちの意図したところですか?
ジェームス:ほとんど、いやすべての詞がリッチーによって書かれたものだから、『Holy Bible』の続編だと考えられるんだろうね。リッチーは『Holy Bible』の80%の詞を書いている。それに『Holy Bible』のアート・ワークはジェニー・サヴィルっていうアーティストが手がけている。このアルバムもジェニー・サヴィルのものだ。『Holy Bible』にもこのアルバムにも13曲が収録されている。そう、『Holy Bible』を思い出させる。でも、続編ではないと思う。『Holy Bible』が提示したことの自然な結末になっていると思う。テーマが違うんだ。『Holy Bible』は怒り、憎悪を取り扱っている。これは、自分の中にある怒りの終結になっている。別れかもしれないし結果かもしれない。どう取るかはわからないけど。続編じゃない。このアルバムのトラックのいくつかは、もっとデリケートだからね。もっと優しい。もっと、もろさがある。詞の中にある疑念、あきらめのせいでね。だから『Holy Bible』の自然な結末で、続編ではない。
──それでは、アルバム・カヴァーに再び、ジェニー・サヴィルの作品を選んだのはなぜですか?
ジェームス:アルバムの制作を始めるとき、これをやるのが正しいことがどうか、みんなで話し合ったんだ。で、やろう、正しいことだって同意したんだ。ルールを決めなくてはいけなかった。シンプルな話で、俺たち、リッチーの望んでいたことを実現しようって思ったんだ。彼の喜ぶことをしようって決めたんだ。リッチーとニックがジェニーの本から『Holy Bible』のカヴァーを選んだんだけど、リッチーは『Holy Bible』に使った絵だけじゃなくて、彼女の作品全てが大好きだった。彼とサーチ・ギャラリーへ行ったとき、リッチーは何時間も同じ作品を見ていたよ。彼が喜ぶのはわかってた。で、俺とニックは、ジェニーの『Stare』っていう新しい作品を見つけたんだよ。完璧だった。アルバムの雰囲気にピッタリだって思ったよ。『Holy Bible』の絵は衝撃的で、もっと壮観でさまざまな意味にとれる。すこし離れたところから、理解する必要がある。でも『Stare』は若い女の子で、すこし両性具有みたいで男の子のように見えるかもしれないけど、若い女の子なんだ。驚いたような顔で、打ち負かされたようにも、答えが見つからないようにも見える。レコードにあるいろんな感情にピッタリだ。『Holy Bible』の絵はいろいろな受け取り方ができるけど、こっちは肖像画で、そういう意味でより個人的だ。肖像画はパーソナルになるのが避けられない。それがアルバムにピッタリだ。絵をアルバム・カヴァーにするなんて、気取ってるとかドラマチックすぎると思われるかもしれないけど、このアルバムのリッチーの詞をよく読むと、むき出しのソウルが表現されているのがわかる。この絵もそうだ。その子のソウルが見える。
──アルバム・タイトルの意味は?
さっきも言ったけど、このアルバムの言葉は全部リッチーのものなんだ。これもリッチーの作品のタイトルのひとつだった。ピッタリだと思ったんだよ。収録曲のいくつかは、薬物依存症かなんかで病院で治療を受けているときのことを取り上げている。病院の中のコミュニティーについて書かれた詞もあるし、患者対医者の感情について書かれたものもある。詞のいくつかが、このテーマを取り上げている。『Journal For Plague Lovers』っていうタイトルは、病院で会った人たちに対する理解を示してるように思える。医者には通じないような気持ちをね。それにリッチーが残した3冊のノートは、日記というかジャーナルの形式だったんだ。28の詞があったんじゃないかな。アートワークや思いを走り書きしたもの、コラージュがたくさんある、詞集以上のものだった。詞を理解するために本を見るって感じだ。だから『Journal For Plague Lovers』って言葉はピッタリだと思ったんだ。
◆後編へ続く
Ako Suzuki, London
「リッチーが俺たちに残した詞をフィーチャーしたニュー・アルバム『ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ』をリリースする。気に入ってくれることを願ってるよ。リッチーや君たちをガッカリさせないことを願っている。これはシングルがないアルバムだ。だからコンセプト・アルバムとして、最初から最後まで聴いて欲しい。俺たちと同じように楽しんで欲しい。またすぐに会おう。」
15年ぶりに4人で制作した新作『ジャーナル・フォー・プレイグ・ラヴァーズ』リリースを5月13日に控えるジェームス・ディーン・ブラッドフィールドに話を訊いた。
──まずはこのアルバムを語るにあたり避けられない話題、リッチーの詞について教えてください。これはどのような形で保存されていたのでしょうか?
ジェームス・ディーン・ブラッドフィールド:基本的にシンプルな話だよ。リッチーがいなくなる前…、いなくなる1~2週間前、俺たちに同一の詞が書かれた3冊のノート(ブックレット)を残していったんだ。同じようなものをね。長い間俺たちみんな、同じ詞を持っていて、見たり、それを使って何かするのを自制したりしてきた。俺たちには、残された詞に対して責任があるように感じてたからね。彼はいろいろ考えた上で、俺たちに詞を残したんだろうから。彼の失踪は計画的なものだったと思っている。それを実行する前に、俺たちに詩を残していくことにしたんだ。だから俺たちみんな、この詞で何かすることに責任を感じていた。長い間、引き出しや本棚から取り出しては見てたんだけど、見ると責任を感じると同時に、これをクリエイティヴなプロジェクトに使うのが怖い気もしてた。でも2年前、アルバム『Send Away The Tigers』のツアー中、俺たちのカンバックとなったときだけど、ニックに“『Send Away The Tigers』の続きを作るつもりはない。またNo.2になるようなシングルを作る気はしない。そういうアイディアは楽しめない”って言ったんだ。“ちなみに、15年ぶりにリッチーの詞を読んでみたけど、もう怖くない。彼の詩を使うっていう責任を取ることを恐れていない。準備ができたような気がする。お前も同じように感じるか、読み返してみるべきだ”ってね。そして彼も同じように感じたんだよ。で、やってみようってことになったんだ。
──じっくり目を通してみて、どんな印象を受けましたか?
ジェームス:詞に合わせて曲を書き始めたとき、いい感じがしたよ。映画みたいに、感情的になるなんてこともできたかもしれないけど、それはなかった。リッチーが望んでいたことを実現するっていうチャレンジを楽しんだよ。クリエイティヴなチャレンジを楽しめた。大変なのはわかってたんだ。リッチーの詞は考えがつまってて知的なんだけど、句読点ってものがないからね。ときどき、歌うのが難しいんだよ。だから物理的に大変だっていうのはわかってた。でも、楽しみにしてたんだ。過去に戻るような気がしたよ。1993年に『Holy Bible』をレコーディングしたときにね。言葉に共鳴し、昔のことを思い出した。昔も彼はたくさんの詩をくれたよ。それ読んで“どうやって歌ったらいいんだ”って思ったもんだ。彼はそんな俺を見て、チャレンジだってね。俺はそれを受け入れてた。その経験を楽しんでたんだ。このアルバムのレコーディングもそうだった。俺たち、すごく集中できた。頭に唯一あったのは、詩やリッチー自身に対する責任感ってことだな。それ以外、詞の中に込められた感情にはとくに影響を受けなかった。
──それに手を加えている部分もあったのでしょうか?
ジェームス:いくつかの詩は…。昔は彼の詩に手を加えることがあったよ。彼はものすごい量の詩を持ってきてたから、編集しなきゃならなかった。でも彼の残したノートでは、ほとんどの部分がただ放出されたって感じだった。ほとんどは詞の形にされてたけど、6節並べられてて、その中のベストなものを2つ取り出さなきゃいけないってこともあった。それに直接的じゃないところもあって、本当の意味が理解できなかった。だから、自分が一番理解できた詞を選んで使わなきゃいけなかった。かなり手を加えなきゃいけないものもあったよ。「William's Last Words」って曲は、詞じゃなくて散文ってかたちで書かれてたんだ。コーラスにいくブリッジがなかった。2ページの散文で、それを俺たちが詞にしたんだ。リッチーもほかのものと同じように詞のつもりで書いたんだと思うよ。でも、ニックがしらみつぶしに読んで詞に編集したんだ。でもほとんどは、ノートに書かれているとおりに歌っている。
──今回はまず詞が先にあったわけですが、曲作りの残りの過程を教えていただけますか?
ジェームス:曲作りの過程はほとんどいつも変わりない。いつもほとんど同じだ。シンガーっていうユニークなポジションにいて…、でも、たいていは誰かが書いた詞を歌っている。だからいつも、詞をちゃんと理解した後で曲を書こうっていう責任感を感じている。自分が書いた詞じゃないからね。いつも長い時間かけて詞に目を通し、自分なりに理解しようとしている。それが高いレベルなのか低いレベルなのかわからないけど。で、詞を理解したところで、曲を書き始める。別の言葉でいうと、曲作りをインスパイアしてくれる詞が好きなんだ。いろんな情熱を持つバンドがいる。ジャムしながら曲を作って、その後で詞をあてはめていくバンドもいる。俺たちはその反対だ。今回も同じだよ。いつもニックが詞をくれて、俺が曲を書く。詞にインスパイアされた曲をね。今回も同じことだったよ。リッチーの詞があって、何度も何度も読み返して、それにインスパイアされて曲を書こうとした。大きな違いは、昔はリッチーの詞を読んでわからない部分があったら、彼に“説明してくれ”って訊けたことだ。リッチーは“もちろん”って言うときもあったし、“やだよ。お前が思ったとおりでやってみろ”って言うときもあった。もちろん今回、彼はいなかった。彼がいないことで、答えがなかったけど、詞の意味は俺が感じたままでいいんだって自由を感じたよ。ちょっととまどったときもあったけど、自分たちの直感や過去の経験を信じて、リッチーが考えていたと思われるように曲を作ったんだ。
──中でも感銘を受けた歌詞は?
ジェームス:いっぱいあるよ。でも特にインスパイアされたのは「Peeled Apples」の詞だね。“The More I See The More I Scream”っていう決まり文句の反対“The More I See The Less I Scream”で始まるんだ。これが、このアルバムと『Holy Bible』の歌詞の一番の大きな違いだ。一節で、彼はあきらめたって歌っている。人生で必要としていたのは神だけだったのに、神を否定している。彼はすごく政治的な人だったけど、イデオロギーをすべて否定している。愛が欲しかったのに、結婚やガールフレンドを持つことを拒否している。怒りや嫌悪感を経験し、何もかもに疑念を持ち始めた。でも、そのあきらめの中で彼は平静だった。それが大きな違いだ。昔のような怒りだけじゃない。あきらめと静寂、そして疑念がある。だからこの詞には感銘を受けた。一行だけど、ときとして一行でイマジネーションがふくらむことがある。“The More I See The Less I Scream”なんてこと予想しないからね。ほかにも不条理なイメージが浮かんでくるものがあった。“Falcon's tuck(?)”“Pigeons and west wings at night(?)”“Dwarf takes his cockerel to a cockfight(?)”みたいにね(笑)。へんに想像力をかきたてられる。いろいろ違う意味があって、それを理解したいと思ったよ。気に入った詞はいっぱいあった。
──レコーディングの際、フル・バンドに戻ったように感じたとおっしゃっていますが、リッチーがその場にいたように感じていたのでしょうか?
ジェームス:何度か、レコーディングしているとき、リッチーがこの音楽を気に入るかどうか疑問に思ったことがある。あるときは、レコーディングしていて、心の底で彼がこれを気に入ることがわかっていた。だから、ときどきそうやって彼の意見(判断)がそこにあるように感じていたよ。俺は、彼のスピリットがそこにいたとか感じるほど迷信深くもないし霊感もないんじゃないかな。でも彼の意見はいつもそこにあった。彼の審美眼、テイストを意識するときがあったよ。自分のテイストにこだわり、強い欲求と意見を持った人物とレコーディングしていたのを覚えてるからね。だから、彼の価値観がそこにあったようには感じていたよ。夜中にリッチーのスピリットを感じたとかという話なら、俺はそういうタイプじゃない。でも、つり合いが取れてた。俺たち3人、彼のために作業しているって感じはしたよ。バンドのバランスが正常に戻ったような気はしたね。
──それゆえに『The Holy Bible』の続編と考える人も多いのですが、それはあなたたちの意図したところですか?
ジェームス:ほとんど、いやすべての詞がリッチーによって書かれたものだから、『Holy Bible』の続編だと考えられるんだろうね。リッチーは『Holy Bible』の80%の詞を書いている。それに『Holy Bible』のアート・ワークはジェニー・サヴィルっていうアーティストが手がけている。このアルバムもジェニー・サヴィルのものだ。『Holy Bible』にもこのアルバムにも13曲が収録されている。そう、『Holy Bible』を思い出させる。でも、続編ではないと思う。『Holy Bible』が提示したことの自然な結末になっていると思う。テーマが違うんだ。『Holy Bible』は怒り、憎悪を取り扱っている。これは、自分の中にある怒りの終結になっている。別れかもしれないし結果かもしれない。どう取るかはわからないけど。続編じゃない。このアルバムのトラックのいくつかは、もっとデリケートだからね。もっと優しい。もっと、もろさがある。詞の中にある疑念、あきらめのせいでね。だから『Holy Bible』の自然な結末で、続編ではない。
──それでは、アルバム・カヴァーに再び、ジェニー・サヴィルの作品を選んだのはなぜですか?
ジェームス:アルバムの制作を始めるとき、これをやるのが正しいことがどうか、みんなで話し合ったんだ。で、やろう、正しいことだって同意したんだ。ルールを決めなくてはいけなかった。シンプルな話で、俺たち、リッチーの望んでいたことを実現しようって思ったんだ。彼の喜ぶことをしようって決めたんだ。リッチーとニックがジェニーの本から『Holy Bible』のカヴァーを選んだんだけど、リッチーは『Holy Bible』に使った絵だけじゃなくて、彼女の作品全てが大好きだった。彼とサーチ・ギャラリーへ行ったとき、リッチーは何時間も同じ作品を見ていたよ。彼が喜ぶのはわかってた。で、俺とニックは、ジェニーの『Stare』っていう新しい作品を見つけたんだよ。完璧だった。アルバムの雰囲気にピッタリだって思ったよ。『Holy Bible』の絵は衝撃的で、もっと壮観でさまざまな意味にとれる。すこし離れたところから、理解する必要がある。でも『Stare』は若い女の子で、すこし両性具有みたいで男の子のように見えるかもしれないけど、若い女の子なんだ。驚いたような顔で、打ち負かされたようにも、答えが見つからないようにも見える。レコードにあるいろんな感情にピッタリだ。『Holy Bible』の絵はいろいろな受け取り方ができるけど、こっちは肖像画で、そういう意味でより個人的だ。肖像画はパーソナルになるのが避けられない。それがアルバムにピッタリだ。絵をアルバム・カヴァーにするなんて、気取ってるとかドラマチックすぎると思われるかもしれないけど、このアルバムのリッチーの詞をよく読むと、むき出しのソウルが表現されているのがわかる。この絵もそうだ。その子のソウルが見える。
──アルバム・タイトルの意味は?
さっきも言ったけど、このアルバムの言葉は全部リッチーのものなんだ。これもリッチーの作品のタイトルのひとつだった。ピッタリだと思ったんだよ。収録曲のいくつかは、薬物依存症かなんかで病院で治療を受けているときのことを取り上げている。病院の中のコミュニティーについて書かれた詞もあるし、患者対医者の感情について書かれたものもある。詞のいくつかが、このテーマを取り上げている。『Journal For Plague Lovers』っていうタイトルは、病院で会った人たちに対する理解を示してるように思える。医者には通じないような気持ちをね。それにリッチーが残した3冊のノートは、日記というかジャーナルの形式だったんだ。28の詞があったんじゃないかな。アートワークや思いを走り書きしたもの、コラージュがたくさんある、詞集以上のものだった。詞を理解するために本を見るって感じだ。だから『Journal For Plague Lovers』って言葉はピッタリだと思ったんだ。
◆後編へ続く
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