映画サントラ特集『新・仁義なき戦い。』

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音楽と映像の密接な関係――。

“仁義なき戦い”といえば、大物ヤクザ登場の際に流れる、効果音とも言えるあのサウンドだろう。
そんな音楽と映像が密接に絡み合った相乗効果で、観る者の興奮を煽り、
弱肉強食の世界に足を踏み入れた感覚させられる。そんなパワーがある映画だ。

今回、主演とともに音楽監督も担当した布袋寅泰
彼が監修したオリジナル・サウンドトラック『新・仁義なき戦い。そしてその映画音楽』
映画公開に向けて発売された。

その布袋氏のコメントをまじえた映画『新・仁義なき戦い。』のレヴューをお届けしよう。



「新・仁義なき戦い。」


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『新・仁義なき戦い。』

「光化学スモッグで日本は終わりや…」

少年時代の栃野昌龍(布袋寅泰)が、こう言うところから『新・仁義なき戦い。』は始まる。

ヤクザの跡目争いがこの映画の“表ストーリー”だとしたら、栃野と門谷甲子男(豊川悦司)の宿命のような絆を描くことが“裏ストーリー”だと言えるだろう。

なぜ、栃野と門谷に友情の範疇を越えた絆が生まれたのか、その背景の描き込みはもっとあってもよかったのでは?と最初観た時は思ったのであるが、描き込みの薄さが逆に絆の“説明しがたい強さ”を浮かび上がらせると徐々に思えるようになった。

つまり、光化学スモッグを生んだ'60年代の日本の高度成長期を伏線にして、さらには、仁義も絆も壊れてしまったヤクザの世界を通して、実は僕らのルールレスな現在を照射することに本作の力点はあるのではないか?

“和をもって尊しと成す”…例えばこれを英訳すると、該当する英単語は“和解”の意味を担っているのだけれども、“和”と“和解”は大きく違う。

そのことに僕ら今の日本人は気づかない。

そして、“和解”を導く手っ取り早い方法は“カネ”である。

栃野が跡目争いで有力視される中平淳史(佐藤浩市)らに「カネならいくらでもくれてやる」と言うシーンは、まさに仁義も何も存在しなくなったヤクザ世界を痛烈に皮肉っている。

本作に参加した布袋寅泰は、インタヴューの際にこう語った。

『新・仁義なき戦い。そしてその映画音楽』
東芝EMI TOCT-24530 2,300(tax in)

阪本順治監督のお話しを聞いているうちに、彼が描こうとしている世界っていうものに共鳴したしそれがたまたま『仁義なき戦い』っていうタイトルだったっていうことだよね、最終的には。

そこに豊川悦司という男との出会い、まぁ同じ38歳の、同じ身長190cmの男が、しかも、どこかアウトサイダーで、そうやって生きてきた男と出会う。しかもストーリーの中で絡み合うように、生身の布袋と豊川が後々絡み合っていくっていうのが非常にスリリングだったし。

あと、映画を一本作るということの大変さもしかり、楽しさも味合わせていただいた。これはやっぱり、出て良かったと思うんですよ。出なかったらこの作品がないわけじゃないですか。もしくは誰かがやってたら俺はあとになって嫉妬すると思うんだよね。“俺がやりたかったな、あの役”とか。音楽やりたかったな、とかさ。

だから、あの段階で、いろんなマイナスイメージみたいなものを振り払って“やろう!”って決めた自分に…感謝してるって言ったら変だけどね


そして、布袋が作ったサウンドトラックも、彼の“音楽ストック”の豊富さと感情の起伏に同期する音の使い方を明示する素晴らしいものになった。

コンプレッサーをかけたギターのリフひとつが、どんなふうに映像世界を増幅するか? 布袋が自分のキャリアの中で獲得した方法が、惜しみなく投影されているのだ。

サウンドトラックだけでも充分“浸れる”と断言しよう。

文●佐伯 明

『新・仁義なき戦い。』
11月25日(土)より全国東映系劇場にて公開中。

監督:阪本順治
原作:飯干晃一(「新・仁義なき戦い。」角川文庫)
音楽監督:布袋寅泰
主演:豊川悦司、布袋寅泰、佐藤浩一ほか
上映時間:1時間49分
配給:東映
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