【インタビュー】フェンダーが歩んできた世界、歩んでいく未来

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アンディ・ムーニー

1950年代に製造されたヴィンテージから2024年の最新モデルまで、70年以上に及ぶ歴史の中で様々な紆余曲折がありながらも、フェンダーの楽器群は今もなお音楽シーンの中で最重要アイテムの一翼を担い、あらゆるシーンにおいて世界中の老若男女に強い刺激を放っている。フェンダーの歴史はそのままロック/ポップスの歴史とピタリと符合し、音楽シーンと表裏一体の存在感を示す稀有なブランドだ。

「アーティストは天使であり、彼らに羽ばたくための翼を与えることこそが、我々の使命である」と語ったレオ・フェンダーの意思をそのままに、フェンダーは今もなおブレることなく、多種多様なプレイヤーに飛翔の翼を授け続けている。音楽シーンが変化し、音楽流通が変貌し、音楽そのものの楽しみ方がドラスティックに変わりつつある現在においても、フェンダーのスタンスは何ひとつ変わらない。

米フェンダーを支えるFender Musical Instruments CorporationのCEOを務めるアンディ・ムーニーは、ナイキやディズニー、クイックシルバーといったアパレル&ライフスタイル&エンタテインメント業界のグローバルブランドでCMOやCEOを歴任したキャリアを有する人物だが、それ以前にピュアなギターコレクターであり、プロミュージシャンを目指してバンド活動に青春を注いだ人物でもある。

経験豊富なビジネス&マーケティングスキルとギターへの深い愛情は、フェンダー・ブランドの成長にどのようなケミストリーを与えたのか。来日のタイミングでアンディ・ムーニーをキャッチ、話を聞く機会を得た。



──フェンダーのCEOに着任したきっかけはどういうものだったのですか?

アンディ・ムーニー:以前ディズニーにいたのですが、そちらを退職した時に、フェンダーの会長のマーク・フクナガさんから「CEOのポジションについてみませんか?」とご提案をいただいたんです。その当時、私はすでにフェンダーのギターは30本も持っていたんですよ。でも、ちょうど5歳の娘が免疫不全の病気であることが発覚したときだったので、住んでいるロサンゼルスからフェンダー本社のアリゾナ州スコッツデールへの引っ越しは無理だと判断したんです。できるだけ娘のためにやり尽くしたいので、妻とも話して「引っ越しはちょっと避けたいね」と。

──そうなんですね。

アンディ・ムーニー:ということでお断りをして、私の家の近くだったクイックシルバーのCEOのオファーを引き受けたんですが、実は2年も続かなかった。で、「私がクイックシルバーのCEOを退任した」というプレスリリースが出た翌日に、マーク・フクナガさんが私にコンタクトしてくださったんです。

──再び。

アンディ・ムーニー:本当に夢のような仕事なんだけれど、娘の病気があるので「本社はアリゾナですよね?」って返したんです。そうしたら、実はLAに移動させることが決まっていて、その新住所が私の自宅の15分くらいしか離れてなかった。

──決まりですね(笑)。

アンディ・ムーニー:ということで(笑)、最後に会話の締めとして「じゃあ、エリック・クラプトンのライブを一緒に観に行こうよ。今夜どう?」ということになり、あっという間にフェンダーのCEOに就任することになりました。2015年ですね。

──すでにフェンダーのギターもたくさん持っていたし。

アンディ・ムーニー:バンドが好きで、フェンダーも他社のメーカーのギターも使いながらずっとプロのミュージシャンになりたいと思ってイギリスで活動してきたんです。長い間セミプロ状態で活動していたので大学にも行きませんでしたが、25歳になった頃に「ナイキで働かないか?」という話をいただいて、その後「アメリカに行きなさい」という指令も出たことをきっかけに、その時持っていたギターを手放したんです。1966年製のストラトを700ドルくらいで売り払っちゃったりとか。

──うわ。

アンディ・ムーニー:で、アメリカに移住して、ナイキの仕事に集中するんだと気持ちを切り替えました。一旦は夢を手放すような形になってしまったわけです。でも当時、ピート・タウンゼントのローディをやっていたアラン・ローガンという友人が私の家に遊びに来てくれたときに、「あれ、あんなにあったギターはどこにあるの?」「いや、夢を諦めちゃったみたいな形になって…」という会話になったんですね。すると彼が「そうか、じゃあ、言いたいことが2つある」と言うんです。

──?

アンディ・ムーニー:ひとつは「とにかく今夜、コンサートに来な」ということ。もうひとつが「フェンダーのヒストリーブックとロックマン(ヘッドフォンアンプ)をあげる」と。ロックマンはイヤホンを突っ込んでギター・プレイを楽しむものですね。「もう、これをあげるから、プラグインするためにすぐにギターを買いに行け」って言うんです。で、私は翌日にショップに行って、白黒のストラトを買ってきました。

──いい友人だ。

アンディ・ムーニー:でね、もらったフェンダーのヒストリーブックギターに載っている写真のギターを全部1本ずつ収集し始めたんです。それが1984年ですね。そういう事があったおかげで、30代からフェンダーのギターを所有しフェンダーとは深い繋がりを持つことになりました。なので、マーク・フクナガさんが声をかけてくれた時には、私とフェンダーにはすでに強い絆ができていたんですよ。



──就任されて9年になりますが、その間日本の音楽シーンをどう見ていましたか?

アンディ・ムーニー:ナイキ時代も含めると、これまで日本には100回くらい訪問しているんです。私は本当に日本の大ファンなんですが、日本の音楽シーンも活況を迎えているなと感じています。日本くらいの人口の国だと国内だけでミュージックシーンが完結するので、わざわざ海外に出向かなくても大丈夫な規模だと思いますが、国内だけで完結せずにどんどんグローバル化している方も増えていると思いますね。

──世界初の旗艦店として「Fender Flagship Tokyo」が日本で立ち上がったのには驚きましたが、何故ロサンゼルスでもなくニューヨークでもなく原宿だったんですか?

アンディ・ムーニー:いくつか理由がありますが、まず世界を見渡したときに、この規模で商業的に成功するであろうストリートの候補は3つしかないと思っています。ひとつはここ、原宿の表参道。もしかしたら渋谷も含むかもしれません。あとはロンドンのオックスフォード・ストリート、もうひとつは上海の南京路(Nanjinglu Street)。今はそこだけかと思います。












Fender Flagship Tokyo

──アメリカにはないんですか?

アンディ・ムーニー:ありません。ナイキがフラグシップストアをオープンするときも、当時はロンドンとニューヨークと東京だという話でした。ですが、ニューヨークはオープンしたけれども、今はもうありません。オックスフォード・ストリートは今も活況ですね。

──そうなんですね。

アンディ・ムーニー:「なぜ上海ではなく東京なのか」というと、主にふたつありまして、そもそも東京はすでにビジネスがうまく発展していて、販売店・小売店の方々ともいい関係性が築けているという点があります。もうひとつの理由には、日本のアーティストコミュニティと良い関係性があり、アジア太平洋において素晴らしいリーダーがフェンダー社内にいるということ。アメリカ人ですが日本語も流暢で、前職のラルフローレンで東京のフラグシップストアをオープンした経験がある人物なので、彼さえいれば、この店舗環境の中で日本のオーディエンスにきちんとリーチすることができると確信を持ったからです。

──アジアパシフックを統括しているエドワード・コール社長ですね。そんな日本のフェンダーですが、海外から見てFender Made in Japanのギター/ベースはどう評価されているのですか?


フェンダーミュージック株式会社の代表取締役社長兼アジアパシフィック統括のエドワード・コール氏

アンディ・ムーニー:ギターに造詣が深い方々であえば、日本製のフェンダーは、アメリカ版やメキシコ版と比べて違いがあるというのはすぐにわかっていただけると思っています。特に個人的にも優れている要素だなと思うのはネックのグロス塗装ですね。ラッカーのつやつやした塗りに違いを感じます。日本のギタリストも、美しく磨き上げられたギターが高品質なものであることをすぐに理解してくれています。もちろんいろんなタイプの方々がいらっしゃって好みも様々ですけど、こういったフィニッシュ仕上げは高く評価されているポイントのひとつです。

──なるほど。

アンディ・ムーニー:私が入社する前は、いわゆるスーパーストラト系が日本人にフィットするモデルとして人気を博していましたが、そういったモデルもアメリカでの一般的なギターと違う仕上がりになっていたりするので、日本以外でもすごく売れるかというと必ずしもそうではない。アメリカ側との違いもあった上での特徴ですよね。ただ一方で、今ではアジアの消費者も増えてきていて、実際に来日されて店舗に来て見ていただくと「Made in Japanはいいね」と好意的に見てくださるんです。こういった需要は中国からも上がっていて、京東のJDドットコムや天猫のT-MALLのような中国のECサイトでもかなり人気が上がっています。

──フェンダー・グループにはシャーベル/ジャクソン、EVH、グレッチがありますし、他社ではギブソン、リッケンバッカー、PRS…と様々なブランドがありますが、フェンダーが他ブランドから学ぶことはありますか?

アンディ・ムーニー:実は私、ヘヴィメタルが大好きなんです。自分にとってのギター・ヒーローはディープ・パープルのリッチー・ブラックモアなので、ストラトでヘビーなロックをやってくれるというのは最高ですよね。なので、特に好きなギターが2本あって、ひとつはジム・ルートの2ハムのシグネチャーモデル。もう一本がMade in USAのジャクソンのハードテイルのもの。この2本は今特に気に入ってよく弾いているモデルなんですよ(笑)。


Jim Root Telecaster

──ゴリゴリのメタルだ(笑)。

アンディ・ムーニー:で、特にブランドとしてジャクソンの方がオーディエンスがより特徴的と言いますか、よりヘビー寄りだと思うんですよね。シャーベルのカスタマーも比較的ヘビー寄りだったり、スーパーストラトみたいな形でどんどん改造も加えたいという方々が多かったりもします。いろんなオーディエンスやプレイヤーがいるのですから、私たちとしては、別にハムバッカーをプレイしたっていいじゃないかみたいな、割と寛容なんです。グレッチはグレッチで興味深いブランドですよ。セミアコみたいなホローボディのモデルを思い浮かべる方が多いと思いますけど、一方でソリッドなモデル…エピフォンとかギブソンなどと比類するようなモデルもラインアップされていますから、グレッチのチームは、より若手のオーディエンスを発掘・開発していこうという姿勢がみてとれます。ロカビリーやカントリー・ミュージックもさることながら、ロックなサウンドに軸足をおいていますよね。

──今後フェンダーが進むべき方向はどういったものですか?

アンディ・ムーニー:私が入社した時にやりたいと言っていたことのひとつに、スタンダードなラインナップで戦略的に勝負するということがありました。そもそも私が初めて買ったストラトは1984年製のアメリカ製だったんですけど、2015年に入社した当時、チームの人たちに「1984年製と2015年製の違いは何?」と聞いたんです。つまりね、整理されたアップデートの計画というのが実は存在してなかったんですね。調べると、アップデートをかけるライフサイクルが7年以上あったりもしていた。今日の世界では「ちょっと長すぎだよね」と私は思ったので、「各モデルのライフサイクルを4年にしてくれよ」と提案し「名前自体も変えようよ」と。

──ほう。

アンディ・ムーニー:「名前はAmerican Professionalにしよう」って言って、それはもう喧々諤々の意見が社内で交わされましたよ。もちろん「全てのプラットフォームに対して、ライフサイクルは4年」としたのには理由があります。ProfessionalであれUltraであれPlayerシリーズでも、4年のサイクルを持てば、少なくとも2年ごとに消費者の声をきっちり拾い上げるチャンスが2回も得られるんです。1年目はとにかくマーケティングを手厚くし、実際にプレイヤーに使っていただいて、その情報を収集する。そうすると4年後には豊富なデータプールが積み上がっていますから、例えばProfessionalシリーズから得られた知見を基にProfessional IIへと進化させることができる。それに4年の年月があれば、ディーラー/ギターショップ側も、その在庫をうまくコントロールすることが可能になりますよね。

──いい事ずくめですね。

アンディ・ムーニー:2015年当時を振り返ると、フェンダーの企業規模は$400 millionだったんですが、そのうちマーケティングに投資したのは$16 millionだけでした。まだ商品販促のためにしか費やしていなかったので、それだと消費者としてマーケットを見た時に「一体どんな新しいことが起きているのか」ということがうまくつかめないんですね。でも今は、SNS通じて消費者向けに直接働きかけるマーケティングもしています。何か新たな商品の発表があった時には、必ず消費者とディーラーを繋げるような働きかけをSNSを通じて行いますので、企業規模は今では1 billionまで伸びていますが、そのうちマーケティングに使われている費用は100 millionにまで上がりました。

──楽器プレイヤーの気持ちを組み上げる作業ですね。

アンディ・ムーニー:プレイヤーの数も世界で2億人まで伸びてきているようですので、新たな商品が発表されると消費者の方々が実際に楽器店に出向いたりして売上も上がりますし、プレーヤーの興味もどんどんと広がっていきますよね。

──私は個人的にハイウェイ・シリーズを高く評価しているんですが、これまでになかったもの/潜在的なニーズに応える画期的なプロダクツの開発も大事ですよね?


Highway Series

アンディ・ムーニー:私が入社当時に掲げたいくつかの目標のひとつに、アコースティックの世界をエレクトリックとつなげていきたいという事がありました。でも実現するにはアーティストの皆さんに使ってもらうことが重要ですよね。でも当時は、マーティンやテイラーではなくフェンダーを使ってくれと説得するのは難しいと考えたので、「もし自分たちがレオ・フェンダーだったらどんなアコギ作るか」と社内に問いかけたんです。「逆に、彼がやらないであろうことは何なんだろう」ということも。例えば「コントロールのつまみを、扱いにくいところには置かないよね」「こんな上の方だとやりづらいよ」「こっちだよね」ってね。それに彼だったら「新たなテクノロジーは活用するに違いない」と。なので、「ステージ上で、アコギの音1種類だけではなく、もし12種類もプレイできるんだったら、絶対それを採用するよね」みたいな話もしました。

──いいですね。

アンディ・ムーニー:今ではエフェクト・ペダルもたくさん駆使する時代ですから、「そんなにペダルを踏まなくても、アコギ側でできるならそれもいいよね」という話も出ました。そうやって、ペグは6連で、ネックはボルトオンで…と考えていくと、「あれ?これって結局、テレキャスやストラトになるんじゃないの?そこに収束していくよね」という話になるんですね(笑)。そうやってアコスタソニックの原型ができていきました。いろんな変更を考えながら、今ではビリー、アイリッシュのお兄さんでもあるフィニアスやジャック・ホワイトのアコスタソニックのシグネチャー・モデルもリリースしました。こういったメジャーなアーティストの方々が協力してくださることで、彼らから「こういうところをもっと変えてほしいな」とか「こういうものがあるといい」といった意見やアイディアを教わって、それを取り入れることで私たちも成長していくという、そういう道のりを歩んでいます。


FINNEAS Acoustasonic Player Telecaster

──アーティスト・モデルはファンにとって見逃せないアイテムですからね。

アンディ・ムーニー:そうは言っても、シグネチャー・モデルって高価になってしまいますよね。なので、手に取りやすい廉価版も出そうじゃないかということで、メキシコ製のモデルも作りますし、2025年にはもっと手頃な価格帯のモデルを出そうとも思っています。初めてギターを手に取るような若い方がエントリモデルから始めて、そのつながりを感じながらレベルをどんどん上げていけるような形で、最終的にはUSモデルも使ってもらえるように、という戦略ですね。

──これからフェンダーは、どのように発展させていくのでしょうか。

アンディ・ムーニー:今日までの進展に対して、私は本当にハッピーだと思っています。フェンダーが高品質なアイテムであるということをうまく訴えることができましたし、この「Fender Flagship Tokyo」も、その目的を達成するのにとても役立つ象徴的なものになりました。ですから今後は業界全体としても、自分たちの商品の見せ方やプレゼンテーションの仕方も、もっとクオリティを上げていかなければならないと考えています。

──これからがより一層楽しみですね。最後に意地悪な質問なのですが、純粋にギタリストとして3本選ぶとしたら、何をチョイスしますか?

アンディ・ムーニー:おう…そうですね、じゃプレイしたい3本を残すとしたら…まず1本は、ハードテイルのアンティグア・ストラト(70th Anniversary Vintera II Antigua Stratocaster)かな。2本目は、ハムバッカーが2発載っているジム・ルーツのシグネチャー・テレキャス(Jim Root Telecaster)、そして最後の1本は、1984年に購入した白黒のストラトということになるかな。レオ・フェンダーが実際にギターを作っていた日々も、買収された時も含め、ヒットしているときもあればミスを重ねたときもある。そういうブレはあると思うんですけど、今思えば、私が1984年にポートランドのオレゴンで買った白黒のストラトは、一切の改造をすることもなく、完全にオリジナルスペックのままずっと使い続けることができている本当に特別なギターなんです。特別という点では、私がフェンダーに戻ってくるきっかけにもこのギターが関わっているので、そういう意味でも大切なギターなんですよ。


70th Anniversary Vintera II Antigua Stratocaster


1984年に購入した白黒のストラトキャスター

──今後の新製品にも期待しています。ありがとうございました。


アンディ・ムーニーの自宅。以前はワインセラーだった部屋を改装し、今ではお気に入りのギター約20本を保管しているのだとか。


取材・文◎烏丸哲也

◆フェンダー・オフィシャルサイト
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