【インタビュー】林部智史、「あくまでも歌の世界観を伝えるのが僕の役割」

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林部智史が10月23日に、カバーアルバム『カタリベ 〜愛のエクラン〜』をリリースした。

◆撮り下ろし写真

2024年を“カバーイヤー”として活動している林部。前作カバーアルバム『カタリベ2』から4カ月という短いスパンで発表された本作は、林部が生まれた1988年以前にリリースされた楽曲のカバーが全12曲収録されている。

前作では自身が影響を受けてきた楽曲のカバーを歌ったのだが、『カタリベ 〜愛のエクラン〜』(以下、『愛のエクラン』)はその逆で、まっさらな印象の楽曲を歌唱。 そのことによって、歌手・林部の新たな側面を味わうことができる。今回は“唄い手に徹した”という、林部のこだわりを聞いてほしい。

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◼︎歌えば歌うほど、時代の空気感のようなものが鮮明に浮かび上がってきた

──早いペースでまたアルバムが聴けて嬉しいです。本当に、“カバーイヤー”ですね。

林部:今年はデビュー8周年で、それにかけて「∞(無限大)の可能性」が僕の活動テーマなんです。カバーは僕の原点ですから、そこに回帰をすることで新たな可能性を見つけていけるんじゃないかという気持ちから、カバーの年にしたいと考えました。『カタリベ2』で、僕が生まれた1988年以降の曲をカバーさせていただいたので、それ以前の曲もカバーしたいという思いは、そのときからあったんですよ。前作は、自分が直接的に影響を受けたり、好きで聴いていた曲なども入っているため、僕という一人の人間の要素が強い作品だと思うんです。でも、僕が生まれる以前の楽曲となると選択肢が広すぎる。そこで、女性の繊細な恋心を歌った作品に絞ってみようというアイデアが浮かびました。実は、今回の選曲に、僕は一切かかわっていないんです。

──ご自分の作品なのに、選曲にノータッチなのですか? 

林部:テーマが「女性の繊細な恋心」ですから、女性でなければ理解できない部分だと思うんです。だったら、いっそのこと僕の要素を排除して、曲選びを信頼する方に委ねるほうがいいかと。歌に徹して作るわけですから、歌い手としての真価が問われるはずで。結構思い切った挑戦だなという気持ちとともに、これまでにいろんな曲を歌ってきたからこそやってみたいと思いました。最初にレコーディングしたのは、加藤登紀子さんの「愛のくらし」(1971年)と「難破船」(加藤登紀子・1984年/中森明菜・1987年)です。「愛のくらし」は5周年のコンサートやディナーショーなどで既に歌わせていただいたこともあったので、取り組みやすい曲でしたね。


──実際に歌ってみて1988年以前の恋の歌には、どんな特徴があると感じましたか?

林部:言葉の使い方が僕の聴いてきたポップスとは違っていて、情緒のある言葉がたくさん詰まっていましたし、学びが多いなと感じながら歌わせていただきましたね。その言葉を伝えるために、メロディもしっかりしているのだろうなと思いました。そもそも恋心という点で今とは大きな違いがありますね。男女の在り方というか、「男はこうあるべき」「女性はこうであってほしい」といった理想像みたいなものが、今よりずっとはっきりしていたように思います。いまは、女性だから、男性だからというジェンダーで価値観を語ることは減っていると思うので、その当時ならではの時代を感じましたね。

──確かに、か弱い女性が男性に頼る、すがるという描かれ方をしている楽曲が多いかもしれません。

林部:歌いながら「今では使わなくなったな」と感じる表現も少なくありませんでした。たとえば、「花水仙」(八代亜紀・1976年)のなかの“ゆかしさ”という言葉もそうでしょう。他の楽曲からも、女性のしとやかさ、いじらしさみたいなものは感じたので、時代を象徴する表現なのかもしれないなと。男性も自分のことを「おれ」と言ったり、恋人のことを親しみや愛情をこめて「おまえ」と呼んだりする歌が少なくないんですが、僕は自分のキャラクターに「おれ」はなじまないので、オリジナルではまず歌うことがないと思います。また、今だったら女性に向かって「おまえなんて、失礼な呼び方ですね」って叱られてしまうかもしれませんよね(笑)。歌えば歌うほど、時代の空気感のようなものが鮮明に浮かび上がってきたのは新鮮な体験でした。

──ほかにどんな気付きや発見がありましたか?

林部:スペイン語で歌った「アドロ」(アルマンド・マンサネーロ・1967年/グラシェラ・スサーナ・1971年)のように、新しい言語での表現も新しさのひとつです。でもやはり、僕にとって特に新鮮だったのは、僕自身の歌い方へのアプローチというか、立ち位置のようなものの違いでした。今までのカバー、そしてオリジナルともちょっと違っていたんです。『カタリベ2』では個人的に思い入れのある楽曲も多く、曲の主人公になり切る感じの歌い方をした部分もありましたが、この『愛のエクラン』に関しては僕個人の感情を投影してはいけない、僕らしさを出してはいけないなと感じました。

──歌い手として、自分の色を消すというのは難しいことのように思うのですが。

林部:はい。おっしゃるようにいくら出さないようにしていても、自分の色というのは出てしまいます。それが僕の個性でもあると思うので、そこは無理に消すことはしませんでした。ただ、そもそもこのアルバムは、オリジナルの楽曲を聴いて親しんでいた方々に向けて作りたいという気持ちが出発点になっているんです。かつて誰かに思いを寄せた、美しいあの頃を思い出していただきたいなという願いがありました。ですから、僕が主人公になって歌うのは違うと思ったし、自分の中にある男らしさや女らしさを歌に込めないようとても気をつけながら歌いましたね。


──その中でもより気をつけた楽曲といえば?

林部:「難破船」は特に、歌い手としての立ち位置が難しい曲の1つでした。自分の影を映さないよう細心の注意を払いつつも、最後のシーンでは、ところどころ主人公に寄っていかないと歌としての奥行きが出せないと思ったからです。そもそも女性心を歌う楽曲集なので男性である僕が心を込めてしまうことで嘘になってしまうとも思ったのですが、この曲では、僕なりに気持ちを込められるいい塩梅を探しながら歌わせて頂きました。

──重厚な恋愛観の楽曲が多いので、逆に男性の林部さんが歌うことでほどよい距離感が生まれ、アルバムを心地よく聴けるのかなと感じました。

林部:そうかもしれませんね。“恋人がいなければ生きていけない”というような歌詞は、聴きようによってはかなり重たくもあるので、女性が心を込めて歌うと「この人も似たような経験をしたのかな?」って想像してしまったり、聴き手が苦しくなるかもしれません。男性である僕の声で歌うことで、柔らかさや軽やかさが生まれて心地よく聴いていただけるのだとしたら、頑張って12曲を歌ってよかったなと思います。

──歌に寄り添うサウンド面でのこだわりについて教えてください。

林部:『カタリベ2』のときもお話しましたが、レコーディング前にかなり綿密に話し合いを重ねながらサウンドを作っていきました。今回は原曲が流れていた時代を知らないからこそ、また、その当時を懐かしく思い返していただきたいと思っているので、当時のサウンドにより忠実でありたいと思いました。ただ、原曲を聴いてその音を再現しようとしても、それがなかなか難しくて。

──なぜ、当時の音は再現が難しいのですか?

林部:以前に比べて技術が格段に進化しているので、どんな音も作れちゃうんじゃないかと思いますよね? でも、意外とそうじゃないんです。たとえば、エレピの音ひとつとっても似たような音はあるけれど、全体的にきれいというか、いい意味でノイズがなくクリア過ぎるんです。音源としては美しいものになりますが、懐かしさという点ではすこし物足りなくなってしまうのかなと。録音の仕方も今とはかなり違っていますね。少し専門的な話になるのですが……。

──BARKSは、その手の話は大好物です(笑)。

林部:あははは。空気を含ませるような録り方をかなり意識しました。歌も、マイクから少し離れて歌って録るなどしました。今は、マイクに唇がくっつくくらい近づいて歌録りすることが多いのですが、あえて距離を取って空気を含ませてみるなど、いろんな試行錯誤しながらレコーディングしていきました。


──細部にまでこだわりながら、丁寧に制作されたのですね。

林部:こだわりを捨ててしまうと、手軽に、イージーに作れてしまうと思うんですよ。だからこそ、作り手はできる限り誠実に作品と向き合わなければいけないと思います。このアルバムに収められた楽曲は、すでに9月から始まったコンサートツアー<遠き日のセレナーデ>でも歌唱しています。ライブでも、衣装を含め僕の要素をあまり感じさせないように配慮していますし、できるだけ大きな動きをしないように気をつけながら歌っています。

──ご自分のソロコンサートで、自分らしさを消すのですか!?

林部:この『愛のエクラン』の楽曲は、それだけ世界観が濃密なんだと思います。ですから、その楽曲を中心に歌うセクションと、他のオリジナルなどを歌うセクションをはっきりと区別して、魅せ方もきっちりと分けるように創っています。世界観ががらりと変わるので、同じ衣装や動きでは見てくださる方も違和感があると思いますので。

──なるほど……。そこまで歌い手に徹するという意味で、『愛のエクラン』は、“語り部”というタイトルにふさわしい作品だなと感じます。

林部:ありがとうございます。『愛のエクラン』は、自分はあくまでも歌を歌い継ぐ、歌の世界観を伝えるのが僕の役割だと思っています。語り部に徹するところが僕にとっての挑戦でもありますから、ジャケット写真の撮り方ひとつも含めて、自分らしさを極力出さないようにしているんです。オリジナルアルバムでも実は同じ撮り方なんですが、そちらは僕の顔や表情がしっかり映っているんです。『愛のエクラン』のアートワークを見て、「もっとしっかり顔が見たいな」ってご指摘を受けないとよいのですが(笑)。そもそも今回、『カタリベ3』ではなく、『愛のエクラン』としたのも、「他のカバーアルバムとも違うものですよ」「コンセプチュアルで特別な作品ですよ」ということを分かりやすく伝えたかったからなんです。

──こだわりが詰まっているので、興味深いエピソードが尽きませんね。ちなみに、「愛のエクラン(宝石箱)」というタイトルの由来は?

林部:さまざまな愛の美しい形、姿を宝石に例えて、それを詰め込んだという意味を込めました。エクランはフランス語で宝石箱という意味なのですが、響きが素敵だなと思いましたし、また、2024年はパリ五輪が開催されました。そうした記念すべき年に制作されたことを記憶にとどめたいという意味もあるんです。


──この1年、カバー曲に向き合って、オリジナル曲の考え方、捉え方に変化はありましたか?

林部:僕はオリジナルのほかに、J-POP、歌謡曲、古い曲まで幅広く歌わせていただくので、そうした自分がカバーに向き合うことで、今まで開けられていなかったいい引き出しを開けることができたなと感じられる1年になりました。今すごく思ってるのは、本当に1曲1曲だなということです。オリジナル曲で自分が作ったものであっても、その曲の主人公になって歌うとは限りません。たとえば、友人のために創った曲だとしたら、誰かのために歌う曲になりますから。そう思うと、カバーでも主人公になれる歌もあれば、今回のように歌い手に徹する曲もあり、意外と垣根がないのかなって。それが今の僕の率直な気持ちですが、歌い続けるなかでまた変わっていくかもしれません。ただ、 カバーには原曲があり、この『愛のエクラン』のように、自分が知らない時代に触れたり、その当時を意識しながら歌うことができます。それはカバーならではの魅力かなと思いますし、だからこそ原曲へのリスペクトは忘れてはいけないなと思いますね。

──そろそろ2025年、9周年の方向性は見えてきましたか?

林部:そういう時期ですよね。実は、頭の中に2パーセントくらいしか来年のことは浮かんでいないんです。アルバムを2枚制作し、そのアルバムを携えたツアーも回らせていただいていて、それに向き合うだけで精一杯というか。とくに、今回のツアーは新しい世界への挑戦だったこともあり、すごく集中して取り組んでいるという感じです。ですから、今浮かぶ目標は「体調を崩さないこと」。僕は器用に見えても、実はあまりそうじゃなく、性格的にマルチタスクは苦手なタイプです。こだわりたい気持ちが強いから、何事もゆっくりなんですよね。ちょっと変に聞こえるかもしれませんが、あるときから神頼みをしなくなったんです。

──なぜ、神頼みをやめたのですか?

林部:結局は、他でもない自分がやるしかないんだなと気づいたからです。初詣や、神社にお参りすることは好きなのですが、「いつか〇〇させてください」とか、「〇〇が叶いますように」といった個人的な願い事はしなくなりました。手を合わせて、「今日も頑張ります」とか「いつもありがとうございます」ってお伝えするだけです。もしも、一つ願いごとをするなら、この『愛のエクラン』に収録された12曲のどれか1曲でも、聴いてくださる方の心に寄り添うことができ、想いを重ねていただけたらうれしいなということです。歌を聴いてくださるつかの間、心が温かくなったり、懐かしい気持ちに浸れたり、優しい気持ちになれたら……そう願っています。

取材・文◎橘川有子
写真◎淵上裕太

『カタリベ 〜愛のエクラン〜』


2024年10月23日リリース
AVCD-63655 ¥3,400(税込)
配信リンク:https://satoshihayashibe.lnk.to/ecrin

【収録曲】
01.どうぞこのまま(丸山圭子 / 1976年)
02. 夢一夜(南こうせつ / 1978年)
03.花水仙(八代亜紀 / 1976年)
04.愛のくらし(加藤登紀子 / 1971年)
05.秋冬(中山丈二 / 1980年, 高田みづえ / 1984年)
06.忍冬(因幡晃 / 1985年)
07.よろしかったら(梓みちよ / 1979年)
08.難破船(加藤登紀子 / 1984年, 中森明菜 / 1987年)
09.つぐない(テレサ・テン / 1984年)
10.アドロ(アルマンド・マンサネーロ / 1967年, グラシェラ・スサーナ / 1971年)
11.少しは私に愛を下さい(小椋佳 / 1974年)
12.合鍵(しばたはつみ / 1974年)
※(   )内→オリジナルアーティスト/発表年(後発曲がより一般的な場合は併せて表記)

<林部智史 CONCERT TOUR 2024・秋 ~ 遠き日の セレナーデ ~>

2024年9月28日(土)16:00開演 結城市民文化センターアクロス 大ホール(茨城県)
2024年10月1日(火)17:00開演 大宮ソニックシティ 大ホール(埼玉県)
2024年10月8日(火)17:00開演 愛知県芸術劇場 大ホール(愛知県)
2024年10月13日(日)16:00開演 サンポートホール高松 大ホール(香川県)
2024年10月14日(月祝)16:00開演 NHK大阪ホール(大阪府)
2024年10月20日(日)16:00開演 昌賢学園まえばしホール(前橋市民文化会館) 大ホール(群馬県)
2024年10月25日(金)17:00開演 東京国際フォーラム ホールC(東京都)
2024年10月27日(日)16:00開演 東京エレクトロンホール宮城 大ホール(宮城県)
2024年11月2日(土)16:00開演 熊本県立劇場 演劇ホール(熊本県)
2024年11月4日(月祝)16:00開演 キャナルシティ 劇場(福岡県)
2024年11月15日(金)17:00開演 札幌市教育文化会館 大ホール(北海道)
2024年11月22日(金)17:00開演 鎌倉芸術館 大ホール(神奈川県)
2024年11月24日(日)16:00開演 やまぎん県民ホール 大ホール(山形県)
2024年11月29日(金)17:00開演 東京国際フォーラム ホールC(東京都)

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