【インタビュー】名渡山遼、20年続けてこられたことへの感謝を込めて。アルバム『Brand New Rainbow』リリース
ウクレレのトッププレイヤーは誰か?という問いに対し、名渡山遼の名前を真っ先に挙げることに異論を唱える人はいないだろう。11歳でウクレレに触れ、14歳で天才ウクレレ少年として脚光を浴び、18歳でのCDデビューを経て、現在はプレイヤーとして、ウクレレ製作者として、ドラマや映画の劇伴の作曲家として、後進を育てるウクレレ指導者として、多方面で活躍していることは言うまでもない。
最新アルバム『Brand New Rainbow』は、名渡山遼が11歳でウクレレを手にしてからちょうど20年目にリリースされる、20枚目のアルバムだ。代表曲のリメイクや話題のタイアップ曲、新曲などをたっぷり詰め込み、ソロやバンドなど様々なスタイルでウクレレの魅力を表現した、絶対の自信作。ウクレレ生活20周年を迎え、さらに力強く前進し続ける名渡山遼の活動を、今こそその耳と目でぜひ確かめてほしい。
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◼︎20年ウクレレを弾き続けてこられて本当に幸せ
──名渡山さんは十代前半から大きな注目を集めていたウクレレ少年だったわけですけど、プロのウクレレ・プレイヤーになるということをはっきりと意識されたのはいつ頃ですか。
名渡山遼:それは大学2、3年生ぐらいですね。
──その頃だと、もう最初のCDは出ていますよね。
名渡山:出ています。でもまだあまりピンと来ていなくて、「普通に就職するんだろうな」と思っていました。高校まで勉強を頑張って大学に入ったので、「好きなことを勉強させてもらって4年間は楽しむぞ」みたいな感じで、音楽を勉強したんですけど、そのまま音楽の道に進むという感覚は、正直最初はなかったですね。
──ちなみに大学はどちらですか。
名渡山:日芸(日本大学芸術学部)の音楽学科です。そこで大学3年生ぐらいの時に知人に誘われて、押尾コータローさんのメジャーデビュー10周年の国際フォーラム ホールAでのコンサートを見に行って、感化されちゃいました。「僕もこうなりたい」と思って、もう次の日からプロになろうという気持ちでしたね。一応、大学1年生から演奏でお金をいただいて、プロみたいな活動はしていたんですけど、半ば趣味というか、バイトの範疇だったのが、はっきり「これ一本で行こう」と思ったのはそのタイミングですね。2012年とか13年とかぐらいだったと思います。
──それは一つ、大きなターニングポイントですね。その後、キングレコードからのメジャーデビューが2016年。これも大きなポイントですか。
名渡山:そうですね。ただ2013年、14年、15年と、当時所属していた事務所のレーベルで、インディーズで活動していたので、活動の仕方に大きな変化はなかったです。気持ち的には「メジャーでやっていくぞ!」という感じだったんですけど、自分の手応えで言うと、事務所が色々やってくれていたので、CDを出すレーベルが変わったみたいな、それぐらいの感じでした。
──その後、事務所を離れて独立されますね。それも大きな出来事だったように思います。
名渡山:そうですね。どちらかというと独立後のほうが……独立する前に、一度インティーズに戻るんですよ。2016年にメジャーでリリースした後に、次の年はもう一回事務所のレーベルでCDを出したんですが、長く一緒にやっていると、どっちがいい/悪いとかじゃなくて、お互いに向いている方向が違うんだろうなというタイミングがあって、円満に独立させていただきました。
──それが2018年ですね。
名渡山:独立して1枚目にキングレコードからリリースされたのが『My Dear Ukulele』というアルバムなんですけど、これが僕にとって大きかったですね。ここが僕の中でのメジャーデビューみたいな感じです。レコード会社の方と二人三脚で趣向を凝らしてアルバムを作っていこうというのは、それがきっかけなので、そこはすごく大きかったし、本当にありがたかったなと思います。メジャーデビューアルバム『Made in Japan.To the World.』を出した時のキングレコードのディレクターさんが、僕が独立したのを知って「ちょっとお話でもしましょう。飲みに行きましょう」と言ってくれて。飲みに行くんだと思ったら、その方、飲めないんですよ。
──あはは。そうですか。
名渡山:ふたを開けてみたら飲めない人だったというのが、ちょっと面白かったですけど(笑)。その時の僕はやる気に満ち溢れていて、事務所を離れてもすぐに活動ができるように、自分で15公演ぐらいのツアーを組んでいて、そのやる気を買ってくれたのか、「アルバムをうちで出しませんか」というお話をいただいて、それが『My Dear Ukulele』というアルバムです。
──そこが本当の意味のスタート地点ですか。
名渡山:『My Dear Ukulele』は自分的にも、僕の妻も、「今出すべきアルバムだよね」と思ったんですね。なぜかと言うと、当時は事務所を離れたこともファンには言っていなかったので、たぶんみんな知らないんですよ。だから普通に順風満帆で「メジャーセカンドアルバム、出ました」みたいな感じになっていたと思うんですけど、実はいろんな事情があって……今までこんな話をしたことはないんですけど、いいですか?
──もちろんです。聞きたいです。
名渡山:『My Dear Ukulele』は、ウクレレのソロアルバムなんです。僕は学生時代から機材が好きで、当時は宅録が少し流行り始めた時期で、「家にスタジオを構えて、家で録れるようにしたい」と思っていたんですが、その頃はまだ色々言われる時代だったんですよ。「いいマイクを買うぐらいだったら、そのお金でいい人と組んでいいスタジオで録れ」とか、そういう時代だったんです。だから機材が好きだという話をしても、「そんなことやってないで作曲しろ」とか言われていたんですけど、僕は自分を信じて「絶対宅録の時代が来る」と思っていたし、自分の楽器のことは自分が一番よくわかっている。だから一番きれいに録れる機材を集めようということで、大学時代から貯めたお金を全てそれに費やしていたので、「やっとそれを生かす時が来た」と。一文無しで独立したので、CDを作るとなってもスタジオを借りてバンドでやったら、アルバム1枚にすごい制作費がかかっちゃうわけじゃないですか。そんなお金はないし、宅録なら0円で作れるぞと思ってソロアルバムを作るんですけど、ファンの方に「独立して、お金がないなりになんとか作りました」と思われるのは嫌だったんですね。
──はい。なるほど。
名渡山:僕は自分でウクレレを作るんですけど、その当時10本あって、初めて作ったものと二番目に作ったウクレレは、もう壊れて音が出ないんです。3作目以降もいつ壊れてもおかしくない状態で、その子たちを自分の我が子のように見て「家族写真を撮りたい」というか、壊れる前にしっかりその子の音を残してあげたいと思って、残っている8本の楽器で8曲録った。だから8曲入りのアルバムなんです。1曲ごとに使うっているウクレレが全部違うんです。
──それがこの、『My Dear Ukulele』のジャケットに写っているウクレレたちですか。
名渡山:そうです。それだったら僕がやる意味があるし、今だからこそできるなと。お金もかからないし、自分が頑張れば作れるということで、それを作ろうと思っていたら、「うちでやりませんか」とキングレコードに声をかけていただいたのがきっかけで、それが『My Dear Ukulele』というアルバムなんですね。だからすごくやりがいがあったし、自分の中ではそこがスタートという感じです。僕のデビューです。
──すごい。ドラマチックです。
名渡山:それまでは無我夢中に曲を作って、僕の意思は二の次でどんどん出来上がっていくみたいな感じだったので、すごい時間をかけて作ったものが評価してもらえなかったり、パッと作ったものが良かったりして、頑張り方がわからなくなっちゃったんですね。でも『My Dear Ukulele』は、頑張ったぶんだけ報われる感じがして、すごく楽しかったです。
──よくわかりました。名渡山さんの、音楽活動への思いが。
名渡山:ただ、当時の事務所のみんなもすごくいい人たちで、基本的には僕の意見をしっかり尊重してくれましたし、離れた後も何度か一緒に仕事をしています。あくまで円満に、お互いの信じた道を進むために一度離れたほうがいいんじゃないか、という感覚で独立できたので、運が良かったなと思います。
──名渡山さん、持ってますね。人との出会いという意味で。
名渡山:本当にご縁とか、運とか、すごく恵まれていると思います。今までに20枚もアルバムを出していて、ファンの方も「当然夏はアルバムを出すんでしょ」みたいな感じだと思うんですけど、実は毎回綱渡り状態で(笑)。たまたま出せた、みたいな部分もあるんです。今年はないだろうなというタイミングで、「ミスター・ロンリー」(TOKYO FM「JET STREAM」テーマ曲)のオファーをいただいて、CDを出すことになったり、その次は『ウクレレによるドラゴンクエスト』の話もいただいて、CDリリースするつもりがなかった2019年に2枚も出しているんですよね。もう宝くじばりの運の良さです(笑)。すごい運が続いて、ありがたいことに、ここまでやってこられている感じです。
──これまで出されたアルバムを聴いて、思ったことがあるんです。名渡山さんの活動には、広める、深める、変えるという、三つの柱があるような気がしていて。
名渡山:ありがとうございます。それ、すごくいいですね。
──わかりやすいカバー曲や、アマチュア・プレイヤーへのレッスン活動などでウクレレを「広める」ことと、ソロやバンド形態など、様々なスタイルで自身の音楽性を「深める」ことと、ウクレレをエレキギターのように弾いたり、ベースのようにスラップ奏法を取り入れたりして「変える」ということと。
名渡山:嬉しいです。これから、それを信念に活動していきたいと思います。
──そんな、恐縮です。それは今回の20周年記念アルバム『Brand New Rainbow』も、まさにそういうアルバムだと思います。しかも20年でちょうどアルバム20枚という、素晴らしいタイミングですね。
名渡山:20年続けてこられたことへの感謝の気持ちが、今回のアルバムは大きいですね。ファンの方はもちろん、家族や友人、今まで応援してきてくれた全ての方々に対しても、20年ウクレレを弾き続けてこられて本当に幸せだなと思っています。おかげさまですごくカラフルな人生を送らせていただいているので、これからはもっと新しい虹をファンの方と一緒に描いていきましょうと、そういう感謝の気持ちを含めて。今までの人気曲のリ・レコーディングの曲もありつつ、新しい曲も入りつつ、過去も見つつ、また全く新しい未来も作っていきたいなという、そんな意気込みのアルバムです。
──聴いた感触も、まさにそういうアルバムでした。
名渡山:僕はまだまだ全然ルーキーの気持ちで、自分はこれからだと思っていますので。20年というとベテランのようですけど、そんなつもりはなくて。これからも発展していきたいと思っていますから、まだまだ攻めていきますよ。今までこれだけ作品を出してきたからここからは保守的に、とか、そういう感じで活動していくんじゃなくて、ここからもまた全然違う新しい名渡山遼を作って、毎年デビューぐらいの気持ちで活動できたらなと思っています。
──集大成であり、新しいスタートでもありますか。
名渡山:はい、そうです。
──再録音の曲で言うと、「Way To Go!!」はかなり古い曲ですよね。
名渡山:高校生の時に作った曲なので、すごく昔の曲なんですけど、「Way To Go!!」は自分の代表曲にもなっていて。作った当時はまだ柔道をやっていた頃ですから、ウクレレをやっているもう一人の僕の人格が、柔道をやっている僕を鼓舞するような、励ますような意味合いの曲なんですね。「Way to go」という熟語は「いいぞ、その調子」というような意味で、柔道をやっていた僕を励ましてくれるような、自分のための曲でした。それをずっと弾いていくにつれて、「この曲で元気が出ました」と言ってくださる方がたくさんいて、ファンの方との大事な曲になってきたので、今回もう一度レコーディングしたいなと思いました。でも昔作った曲って、BPMがすごく速いんですよ。30歳を超えると、どうしても昔よりちょっと丸くなる自分もいたりするので、そこは能動的に丸くならないように、あえてBPMを上げたので、オリジナルより速いんですよ。
──ああー。確かに。
名渡山:めちゃくちゃ速いんですよね。10年後にもし30周年のアルバムをリリースする夢が叶ったら、「Way To Go!!」はさらに速くしてみたいです(笑)。
──「Athlete」も、何度目かの再録音になりますか。
名渡山:「Athlete」も「Way To Go!!」も、2014年の『RAINBOW』というアルバムに収録されているんですが、これもなんだか面白くて、今回が『Brand New Rainbow』じゃないですか。10年前に『RAINBOW』を出して、そこに収録されている曲が『Brand New Rainbow』で新しくなって帰ってきている感じになっていますね。
──「Athlete」は、ピアニストの菊池亮太さんと二人で演奏していますね。
名渡山:そうです。僕は兄貴と呼んでいるんですけど、兄貴は大学時代の先輩なんです。僕の同級生に菊池くんという仲のいい友達がいたんですけど、その子のお兄ちゃんなんですね。弟はドラムを叩いていて、実は2014年にリリースした『RAINBOW』や、 2013年にリリースした『WONDERLAND』のドラムは弟が叩いているんですよ。「Way To Go!!」も菊池弟が叩いています。最近全然会ってないから、元気なのかな?とか思ったりするんですけど、兄貴とはまた久しぶりにご一緒する機会があって、今回もコラボさせていただいたという感じですね。
──それも良き出会いですね。
名渡山:菊池兄貴は、2015年ぐらいからずっと僕のサポートをしてくれていて、2016年の『UKULELE SPLASH!』のピアノは菊池兄貴だし、その次の『Made in Japan.To the World』も兄貴が弾いてくれました。当時はサポートで入ってくれていたんですけど、今回はゲストとして、ですね。彼は今めちゃくちゃ大人気で、YouTubeも70万人ぐらい見ているし、Xでも7万人ぐらいフォロワーがいて、すごい人気のピアニストになっているので。本人は、以前と全然変わらないですけどね。僕と一緒にスタジオに入ると、3時間のうち最初の10分ぐらいでリハーサルを終わらせて、あとはずっとセッションして遊ぶみたいな、大学時代と何も変わらないことをやっていました。すみません、キングレコードに借りてもらったスタジオで、ずっと遊んでいました(笑)。
──素晴らしいですね。そういう関係は。
名渡山:それもご縁だなと思っていますね。
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