【ボーカル座談会:前編】Eins:Vier × Gargoyle × Valentine D.C. × メリー × H.U.G「30年ぶりの復活です」

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■死ぬまで自分が楽しいことしかしない
■ただそれだけ。迷いはないですね


──HirofumiさんとKIBAさんが出会ったのも、心斎橋BAHAMAということになりますか?

Hirofumi:そうです。僕らがBAHAMAに所属したときには、既にGargoyleがいて。1980年代後半に始動したAfter ZEROはGargoyle中心のレーベルやったんで、絡む機会がどんどん増えていった感じです。

KIBA:HirofumiのEins:Vier以前のバンド(CHAOS MODE)も観てたんですけど、ちゃんとしゃべるようになったのはEins:Vierをやるようになってからかな。Ken-ichiが言ってたように、当時、一緒にファンクラブを立ち上げたり。After ZEROでオムニバスアルバム(『ゼロイズム〜西方見聞録』)を作ったり。

Hirofumi:BAHAMA時代はそうやって一緒に活動していたので、3バンドともすごく仲がいいんです。


▲Hirofumi (Eins:Vier)

──1990年代当時は、“関西ヴィジュアル系シーンを共に盛り上げていこう”という感じだったんですか?

KIBA:いや。大阪シーンではない。自分らを盛り上げていくため、だったと思う。

Hirofumi:そうそう。“シーンをみんなで盛り上げていこう”という発想が大阪にはなかったんですよ(笑)。そもそも僕ら3バンドって、全然バラバラなジャンルじゃないですか。だからシーンをみていたわけではなくて。東京はその頃、どちらかというと同じジャンルが集まってライヴとかをやることで、ムーブメントみたいなものが起きていたと思うんです。でも大阪は、仲良くて濃いバンド同士が、ジャンル関係なしに一緒にやる…そういう相手とつるんでやっちゃうところが面白かった。

──東京と大阪では違いがあったんですね?

Hirofumi:After ZEROっていうレーベルは本当にジャンルがバラバラで。

KIBA:唯一の共通点は、同じライブハウス=BAHAMAに出演してるということだけ。

Hirofumi:バックボーンやスタイル、やってる音楽が恐ろしく違う感じやったから。当時インディーズシーンには、エクスタシーレコードがあって、フリーウィルは最初は大阪やったけど1990年代に東京進出して。両方ともそれぞれカラーがあったじゃないですか。東のエクスタシー、西のフリーウィルみたいなのも含めて。


▲KIBA (Gargoyle)


▲Ken-ichi (Valentine D.C.)

──メジャーレーベルに引けを取らないパワーを発揮していました。

Hirofumi:レーベルが持つカラーに対してバンドもお客さんも集まって、勢いに拍車が掛かっていた感じがあったと思うんです。でも、After ZEROは多ジャンル過ぎた(笑)。

KIBA:他にはなかったよね(笑)。

Hirofumi:“そういうAfter ZEROが好き”というお客さんもいたわけですよ。いま考えたら、イベントに来てくれてたお客さんは、どんな心持ちで観てたんやろう?って不思議に思うけどね。

KIBA:“面白ければなんでもいい”っていうのがあったんじゃないかな。

Hirofumi:関西ならではの。

Ken-ichi:ミクスチャー感覚。流行りも分からんし。

KIBA:そう。東京みたいに情報が速くないし。流行ってないことでも面白かったら成立してたし、お客さんがライブハウスに集まってくる時代やったから。みんなが好き勝手やってた時代やった。

Ken-ichi:同じレーベルとはいえ、GargoyleはGargoyleやし、Eins:VierはEins:Vierやし、Valentine D.C.はValentine D.C.。やってることがバラバラだったから、そういう中にいると逆に自分たちの個性がはっきりと分かるんですよ。周りが似てるバンドばかりだったら、自分たちの個性を探すことになっちゃう。だけど、俺らの場合は探さなくても、そのままの形で個性になってたし、迷いがなかった。

Hirofumi:違いすぎてね。お互いやってることが。

Ken-ichi:やってることが最初から個性になってたから、“このままでいいんだ”と思ってたし。

Hirofumi:どこかのジャンルとかバンドに、寄せようもなかったしね。

KIBA:寄せようにも、あまりにも遠すぎたから。



▲ガラ(メリー)


▲ryo (H.U.G)

Ken-ichi:After ZEROというレーベルにはこの3バンド以外に、女性バンド(さくLaさく)とかハードロックバンドもいましたから。いろんなジャンルのなかで演ると、自分がやらなきゃいけないことが見えるんですよ。無理に考えずとも自分の道が。だからなににも染まらず、迷わずそこへ突き進んでいけたんだと思う。もちろん俺は、Eins:Vierみたいな音楽性も好きだから、Eins:Vierみたいなバンドになりたいと思ったこともあるんですよ。

KIBA:Gargoyleは?

Ken-ichi:ん?……うん(笑)。だけど、オシャレな音楽はEins:Vierがやってるし、もっとハードな音楽はGargoyleがやってるし。俺らは俺らっていう。だから、個性を探す旅には出てないんですよ。

KIBA:僕もそう。当時から今も変わらず、自分が思うことを超普通にやってるだけ。

Ken-ichi:全員、昔からやってることがブレてないってことは、すごくよくわかる。

Hirofumi:俺らがいたAfter ZEROは、それが普通だったから。

──西と東のシーンの違いを実感したことは?

KIBA:東京へライブに行くと、「君らは変わってる」と言われたり。

Hirofumi:「こんなバンド、他にいない」って言われたり。

KIBA:大阪で好きなことばっかりやって、他のものを取り入れる必要がなかったから、個性がどんどん熟成していって、濃くなっていったんだろうね。たとえば、バンドが料理店だとして、東京で流行ってるからって“ふわとろオムレツ”を出すのがいいのか、全国的に定番の“カレーとかラーメン”を出すのがいいのかって考えるのが普通かもしれないけど、“激辛納豆シュウマイ”が旨い!って、自分のなかで旬やったよく分からんものをずっと出し続けてた感じ。他の美味しいものとか、よく分かんなかった。自分にはこれが美味しいんだから、これでいいって。

Ken-ichi:バンドの成長期にそうやってきて。しかも、3バンドともそのやり方でメジャーデビューまでできてる。つまり専門店の味が認められてデビューできた、という土台ができてしまったわけで。“これでいいでしょ?”っていう気持ちでずっとやってますね。音楽性に悩んだこともないし、芯は変わってないと思います。

Hirofumi:そうですね。紆余曲折あったけど、Eins:Vierは特に再結成後は“これでいい”ってなったし。

KIBA:自分の人生、死ぬまで自分が楽しいことしかしないと思って生きてるから。Gargoyleやってて楽しいからやる。ただそれだけだから、迷いはないですね。

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