YOSHIKI、過労で倒れる
8月30日、YOSHIKIが過労により倒れ、ロサンゼルスの主治医である富澤医師により治療を受けていることがわかった。
この事態に伴い、9月に予定されていた「MAISON YOSHIKI PARIS」によるパリコレへの参加は来シーズンに延期。ただし現時点で、9月5日東京、7日ニューヨーク、11日ロンドン、14日ロサンゼルスで行われる、YOSHIKI初監督の映画『YOSHIKI:UNDER THE SKY』の公開プレミアには参加する予定。
YOSHIKIはこの数ヶ月間、世界を飛び回りながら多忙なスケジュールをこなしてきている。7月1日には幕張で行われた日テレ系の『THE MUSIC DAY』に生出演し、自らプロデュースするボーイズ・バンドXYのデビュー曲「Crazy Love」でDJを、さらに新曲「Angel」では初の歌声を披露し、さらに他界した母に捧げる新曲「Requiem」も演奏された。翌日2日には、ロサンゼルスで開催されたアニメエキスポに登壇し、「Requiem」のアートワークを、作者であるアート界の巨匠・天野喜孝氏と共同でサプライズ発表した。
4日にはパリで、デベロップメント・ディレクターであるKuki de Salvertes氏と記者会見を開き、「MAISON YOSHIKI PARIS」のパリでのパリコレ参加を表明。その後LAに再び戻り、13日にはまたパリでフランスのテレビ番組ARTEの収録をこなした後、翌日14日にはベルリンへ移動。自らプロデュースするシャンパーニュ(「Y by YOSHIKI×CHAMPAGNE POMMERY」)をドイツ市場で発売することを記者会見にて発表し、15日はフランスに渡りJAPAN EXPOでライブパフォーマンスを披露した。
その後再びLAに戻り、8月1日に、ハリウッドで制作されYOSHIKIが初監督を務める全世界プロジェクト『YOSHIKI:UNDER THE SKY』が世界に先駆け日本全国の映画館で9月8日より公開されることを発表した。なお9月8日の日本に続き、ニューヨーク、ロンドン、ロサンゼルスでも劇場公開されることが決定している。
そして8月上旬には日本へ帰国。4日にTHE LAST ROCKSTARSの記者会見と『ミュージックステーション』への生出演をこなし、さらに同日から始まった16公演にわたるディナーショーを完走した。そして休む間もなく、24時間テレビのための館山ロケやウクライナから来たアメリアちゃんとの楽曲アレンジ・プロデュースおよびリハーサルなどを行い、26日、27日にかけて2日連続で本番組へ生出演。止まることなく動き続けたYOSHIKIは、28日には再び海外に向かったが過労により倒れドクターストップがかかった。現在、医師の指導のもと安静にしている。
7月だけでも3度に渡ってパリを訪れており、その準備の模様と多忙な様子は、本人のインスタグラムでも公開されていた。
なお、「MAISON YOSHIKI PARIS」によるパリコレでは、仏Baccarat(バカラ)とのコラボレーションによるコレクションが発表されることになっていた。YOSHIKIが、Baccaratのアルクール・グラス180周年を記念したデザイナーに選ばれたことから、今回「MAISON YOSHIKI PARIS」のコレクションの1つとして、Baccaratの参加も決定していた。
この後も準備に向け、9月の大半はパリに滞在予定だったが、10月に行われるYOSHIKI CLASSICALワールドツアーの準備もあり、今回はやむなく、パリコレへの参加を来シーズンに延期することとなった。なお、今の時点では、10月のYOSHIKI CLASSICALワールドツアー、および11月のTHE LAST ROCKSTARSのコンサートは行われる予定だ。
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