【インタビュー】S.I.、日本初レゲトンシンガーによる桁外れのおふざけと深い愛「明るい音楽で日本を照らしたい」

ポスト
no_ad_aritcle

TikTokで話題のS.I.をご存じだろうか? プエルトリコ発祥のラテンミュージック“レゲトン”に独自のジャパニーズテイストを加えた“ジャパトン”を世の中に広めるべく、福岡を拠点に日夜精力的な活動を続けるジャパトンアーティストだ。1日10本の神出鬼没な路上ライブをはじめ、ワンマンライヴのポスターを貼った自転車に乗って手を振りながら宣伝したり、TikTokアカウント『S.I.の恋愛相談所』がバズったり。その独特過ぎるスタイルと刺激的な楽曲にも注目が高まるばかり。

◆S.I. (エスアイ) 動画 / 画像

4月5日にリリースされた1st アルバム『JAPATON』には、「防波堤でカーセッ」「マスク外したあなたはブスでした。」「聖なる夜に土下座してる。」「不倫島」といった面白ソングと共に、「世界が悲しい歌で溢れないように」「愛に包まれて」「旅立ちの日に」など繊細でハートフルな楽曲まで収録。一見チャラそうなビジュアルからは想像できない振り幅の広さに、多くのリスナーが戸惑いを隠せないはず。S.I.とは一体何者なのか? その背景を探ると同時に、音楽への熱い想いや、アーティストとしての夢と野望を語ってもらったロングインタビューをお届けしたい。


▲1st アルバム『JAPATON』

   ◆   ◆   ◆

■コロナにかかって重症化一歩手前に
■そのとき“死ぬ気で音楽をやろう”と


──今回はS.I.さんとオンラインによるリモートインタビューとなりますが、今どちらにいらっしゃるんですか? S.I.さんの背景にはトロピカルなビーチが広がっていますし、先ほどのスタッフさんとのやり取りでは、「マイアミですか?」なんて言葉も飛び交ってましたが。

S.I.:今、僕はマイアミこと福岡にいます(笑)。デビュー曲の「不倫島」は出身地の長崎県対馬市を題材にしていますけど、15歳からずっと福岡です。

──では早速、リリースされたアルバム『JAPATON』を中心にうかがいます。まず、こういう作品が生まれた背景を知るために、S.I.さんが最初に音楽に触れたきっかけから教えてもらえますか?

S.I.:一番古い記憶は、中学校1年生の頃に流行っていたORANGE RANGEで。「上海ハニー」「ロコローション」とかを聴いて音楽を好きになったんです。シーンのド真ん中だったと同時に、曲がすごくセクシーだと感じて、性に目覚めたんですよ(笑)。そこからはいろいろなアーティスト…特に明るい音楽がものすごく好きで聴くようになりました。


──自分で歌うようになったのも、その頃ですか?

S.I.:よくカラオケに行ってましたね。RIP SLYMEさんの日本武道館公演のセットリストを全部覚えて、友だちの前でワンマンライブやったのが歌うことの始まりでした。15曲ぐらい歌って、それを友だちが聴いているっていうカラオケライブです(笑)。

──1.5時間くらいのステージですね(笑)。そこでシンガーやラッパーとしての表現欲求が高まっていったわけですか?

S.I.:RIP SLYMEさんの「FUNKASTIC」という曲のライブバージョンには、途中でスペースがあって。自分で作ったラップを入れて歌ったりしてたので、それがオリジナルの第一歩。当時、高速ラップがカッコいいと思っていて、歌詞を自分で書き換えてどんどん詰め込んで高速ラップしてました。

──オリジナルに目覚めたのもその頃ですか?

S.I.:15歳頃からは自分で曲を書いて、福岡の親不孝通りにたくさんあるクラブでライブをやるようになっていました。それと、2006年から2009年ぐらいまでフリースタイルバトル『ULTIMATE MC BATTLE』(Libra Records主催による全国的なMCバトル大会)に毎年参加してましたね。

──フリースタイルバトルと、今、表現してることとは異なる部分も少なくないと思うのですが、今のスタイルが形作られた経緯としてはいかがでしょう?

S.I.:25歳ぐらいまではずっと日本語ラップをやっていたんですけど、当時の僕はエンターテイメントじゃなかったんですよ。それこそ、“どの口が何言うかが肝心”(MACCHO, Norikiyo, 般若&DABOの「BEATS & RHYME」の一節)ってパンチラインみたいに、どちらかというと僕も自分のバックボーンにあるものとか悟ってきた道をラップしていたから、“無理して悪いことやんなきゃ”みたいな感じになってたところもあったんです。それに疲れたというか、ちょっと自分じゃなくなった気がして。そのタイミングで、もっと明るくてポップな音楽をやりたいと思うようになったんですね。で、25歳から“ずんだれ”っていうユニットを作って地元・対馬で5年ぐらい活動したんですけど、結局それもうまくいかず。

──紆余曲折あったんですね。

S.I.:そうなんです。転機は30歳のときで。コロナウイルスにかかって、40.8度の熱が14日間続いたんですよ。重症化一歩手前ぐらい。そのときに“もし今、死んでしまったら、音楽に対して後悔が残る”と思ったんです。“一回死んだようなものだから、死ぬ気で新たに音楽をやろう”と。それでS.I.として活動するようになったんです。

──レゲトンシンガーS.I.の誕生ですね。

S.I.:レゲトンは、プエルトリコ発祥のラップ/ラテンミュージックで世界中に広がっているんです。情熱的でセクシーなレゲトンを、僕がジャパトンとして体現して、自分のルーツである対馬から福岡、いずれ日本中に旋風を巻き起こせたらいいなと思って活動しています。

──もともと明るくてセクシーな音楽好きだったというS.I.さん自身のルーツに戻ってきた感じもあるんでしょうか?

S.I.:僕の中でヒップホップはファイトミュージックみたいなイメージがあるんです。でも、僕が育った対馬はゆっくりとした環境だったし。もっと音楽をやりたいと思ったとき、やっぱり明るいラテンミュージックとかレゲトンが自分に合っていたんですよね。もともとクラブでもDaddy Yankeeとかを聴いていましたから。


──1stアルバム『JAPATON』がリリースされてから1ヶ月ほど経ちましたが、反響はいかがですか?

S.I.:「防波堤でカーセッ」とかがTikTokでピックアップされて世の中に広がって行ったんで、そこから知ってくれた人には“S.I.ってふざけたやつ”みたいなイメージがめちゃくちゃ強いと思うんですよ(笑)。でも、アルバムには母への想いを歌った曲(「旅立ちの日に」)とか、犬のことを想って作った曲(「愛に包まれて」)も収録しているので、そのギャップにみんな結構びっくりしてくれてます。

──情熱的だったりセクシーだったり愛深さに加えて、ユニークな側面はS.I.さんならではのレゲトンで。そこも前面に打ち出してやってきたからこそでしょうか。

S.I.:世界的なコロナの影響もあると思うんですけど、最近、世の中に暗い音楽が溢れてる印象があって。でも僕は、明るい音楽で日本を照らしたいと思ってるんです。路上ライブをするようになったのも、クラブの中じゃなくて、もっと広くみんなに聴いてもらいたいと思ったからですし、僕のスタイルも結構ふざけてるので、その結果、どんどんエンタメっぽくなっていったんだと思います。

──そういう路上ライブをTikTokに公開していったら、ますます反響を得たという。

S.I.:「防波堤でカーセッ」を路上で歌うと、乗りやすい曲調なので道行くお子さんがみんな聴いてくれるんですね。だけど歌詞を聴いたお母さんが「こんな曲聴いちゃダメ」って連れて帰る…という動画が300万回再生されました(笑)。そういうので少しずつ広まっていってるんだと思います。

──警察官の前で歌ってる動画にはちょっとびっくりしましたけど、警察官も方もウケてますよね(笑)。

S.I.:警察の方たちとも結構仲良くしてる…と言ったらあれですけど、路上ライブ自体が違法とか禁止なわけではなくて。ただ通報が入ったりすることもあるようで、現場を確認しに来たり、場合によっては止めなきゃいけないっていう感じみたいなんですね。僕は注意されたらすぐやめるので、警察と揉めたりしたことはないんです。自転車移動で路上ライブするようになったのも、そういうときに移動がラクだったりするからで。“ここがダメなら、次の場所へ”ってライブ回数も移動距離も稼げますから、一人で路上ライブするには機動的でいいんですよ。自転車乗りながら手を振って宣伝してますし。


──“ファン0人にも関わらず、250人キャパの会場でワンマンを開催した”と資料にありますが、これは一体どういうことですか?

S.I.:2022年11月23日に公開した「ロック画面」のミュージックビデオで僕、初めて顔出しをしたんですよ。そこからプロデューサー(Moito / 福岡を拠点に活動するMusic Producer、Beat Maker、DJ)が勝手に会場を押さえて、2023年2月23日にワンマンライブをやることになっちゃったんです。決まった以上はやらなきゃいけないから、路上ライブでひたすら変な曲を歌い続けて注目を集めて(笑)。

──変な曲って(笑)。

S.I.:ははは。ひたすらチケットを手売りして、福岡The Voodoo Loungeをソールドアウトすることができたという。それこそ3歳のお子さんから上は70代まで。

──手売りで250枚ってすごいことですけど、お客さんの層の広さは路上ライブでのアピールの結果ですね。

S.I.:僕の曲が刺さりそうなギャルたちもたくさんいて、本当に老若男女が来てくれた感じでした。そもそも僕はいろいろな人に曲を聴いてもらいたいですし、こういうシーンに僕みたいなやつが1人ぐらい居てもいいんじゃない?と思ってます。

◆インタビュー【2】へ
この記事をポスト

この記事の関連情報