Pヴァインがウェルドン・アーヴィンの原盤権・著作権を取得。カタログのリイシュー発売予定

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2023年1月1日に株式会社Pヴァインが、ウェルドン・アーヴィンの原盤権・著作権を取得する契約を締結した。

ウェルドン・アーヴィンの作品のうち、彼が設立したNodlew Musicの作品を中心に、関連作品や未発表作品も含め、遺族が権利を所有する全楽曲の原盤権、並びに彼の全ての著作権において、所有者であった遺族で妻のPauline Cole氏との間で全世界を対象地域として取得する契約を締結したという。70年代に活躍したウェルドン・アーヴィンはジャズの分野において先鋭的なスタイルで活動し、その結果、彼の残した楽曲は90年代以降にカテゴリーを超えて高く評価された。Nodlew Musicから発表したレアグルーヴ屈指の名盤『Time Capsule』は時代を超越したクラシックとして君臨し、『Liberated Brother』に収録の「Sister Sanctified」はスタンリー・タレンタインやブレイケストラ、メイシオ・パーカーなど多くのミュージシャンにカヴァーされている。またジャズに留まらず、『Sinbad』に収録された「I Love You」はニュー・ソウルの名曲としてブラック・ミュージックのリスナーに広く愛される。さらに、スタンリー・タレンタインによる「Sister Sanctified」のカヴァーがのちにブギ・ダウン・プロダクションズ「My Philosophy」においてサンプリングされたように、特にアメリカのヒップホップシーンにも多大な影響を与えており、彼を師と仰ぎ敬愛したQ-TIPが所属したア・トライブ・コールド・クエストの代表曲「Award Tour」において彼の楽曲「We Gettin’ Down」がサンプリングされるなどしている。さらにクラブシーンでも、セオ・パリッシュが「Black Music(I Love You)」という曲で「I Love You」をサンプリングしており、ジャンルやシーン、そして世代を超えて広く愛されているアーティストだ。

ウェルドンの作品の中でもとりわけ重要な意味を持つのが、1969年に発表した「To Be Young, Gifted and Black」。ニーナ・シモンの音楽監督としても活動した彼は、ニーナが60年代の黒人公民権運動の中で発表し、のちにアレサ・フランクリンやダニー・ハサウェイもカヴァーしたこの曲の作詞者としても知られている。この曲は、ブラック・ライヴス・マター(BLM)運動が熱を帯びる中で公開された映画『サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)』のクライマックスにおいてもフィーチャーされており、60年代から現代に至るまで、ブラック・パワーを象徴する曲として社会的にも世界中で認知され、さまざまな人に歌われ続けている。今回、Pヴァインが取得したウェルドンの著作権の中に、この曲の作詞も含まれている。

このように世代を超えて支持されるウェルドン・アーヴィンの楽曲の魅力をより多くの人に伝えていくべく、未発表曲も含む全作品、楽曲、付随するアートワークについては今後、株式会社Pヴァインが管理し、レコード、CDの製造および関連するアパレルなどを手がけていくということ。まずは順次、カタログのリイシューを発売予定だ。

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たくさんのレコードをコレクトしてきた個人的な体験、そして我々Pヴァインが50年、世界中の良質な音楽を紹介してきた組織としての経験をもって、最高峰に位置するとの確信があるWELDON IRVINEの音楽。
ご遺族から我々Pヴァインへとリレーすることで、より世界中に世代を越えてWELDONの素晴らしい音楽が聴かれるようにPヴァインは努力し続けます。
現代においてもジャズ、ソウルそしてヒップホップにまで多大な影響を与え続けるWELDON IRVINEの音楽を広めていくことに、我々Pヴァインが携われることを大変光栄に思っております。

株式会社Pヴァイン
代表取締役社長 水谷聡男

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WELDON IRVINE(ウェルドン・アーヴィン)プロフィール

作曲家、キーボード奏者。
1943年10月27日、バージニア州ハンプトンで生まれ。1965年にニューヨークに移り住み、ジャズ・ファンク、ジャズ、ヒップホップ、ファンク、リズムアンドブルース、ゴスペルなど様々な音楽ジャンルに関わった。 60年代後半からジャズ・シンガー、NINA SIMONEの音楽監督とツアー・バンド・リーダー兼、オルガン奏者を務め、彼女の代表曲の一つ
「To Be Young, Gifted and Black」の作詞を担当。この曲は、公民権運動の「公式」賛歌と呼ばれている。
1972年にファースト・アルバム『Liberated Brother』を発表。以後、70年代にかけて数々の作品をリリース。90年代にヒップホップをはじめとした最前線の音楽シーンで再評価され世代を超えて絶大な支持を獲得し、晩年はQ-TIPやMOS DEFなど多くのニューヨークのヒップホップ・アーティスト達とも共演。彼らが師と仰ぐ存在であった。
2002年4月9日死去。

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