【インタビュー】KNOCK OUT MONKEY、<猿爆祭>アフタートーク「楽しい祭りにしたかったんです」

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KNOCK OUT MONKEY主催イベント<猿爆祭2022>が7月18日、大阪城音楽堂で開催、大盛況のうちに終了した。開催当日は曇りのち雨の予報を覆して、大阪城に青空が広がる絶好のフェス日和。正午12時のトップバッターである我儘ラキアから、-真天地開闢集団-ジグザグ、打首獄門同好会、FLOW、NOISEMAKER、PassCode、MY FIRST STORY、そしてトリのKNOCK OUT MONKEYまで全8アーティストがトータル約8時間の熱演を繰り広げた。

◆KNOCK OUT MONKEY 画像

2004年にスタートした<猿爆祭>は舞台を大阪城音楽堂に移して3年ぶりに復活。KNOCK OUT MONKEYと所縁のある前述の8アーティストは同時代を駆け抜けてきた朋友から、シーンを切り拓いてきた先輩、エネルギッシュな後輩まで、世代もジャンルも問わずさまざま。しかし、本格的な夏の始まりを告げる海の日の野外で、全アーティストが<猿爆祭>というひとつのバトンを見事につないだ。その模様は【特集】リアルタイムレポートでお伝えしたとおりだ。

BARKSは開催翌日、彼らの地元神戸にあるw-shunのプライベートスタジオにて、<猿爆祭2022>アフターインタビューを実施した。主催フェス開催の感想はもとより、<猿爆祭>の成り立ちや出演アーティストとの関係性、そして今後について、じっくりとメンバー4人に語ってもらった。

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■最後のあの一瞬のために
■この半年間を賭けてきた

──昨日7月18日はお疲れ様でした。<猿爆祭2022>が終わって、まだ15〜16時間ほどしか経っていないわけですが、表情からは疲労感も伝わってきます(笑)。そもそも<猿爆祭>は、約15年ほど前に初回をライブハウスで開催しました。どういうきっかけからだったんですか?

w-shun:自分たちのバンド仲間を集めて作る1日がかりのライブハウスイベントを、当時いろんなバンドがやっていたし、自分らもそこに呼ばれたりしていたんです。そういう経験をして、純粋に羨ましいなってのと、ライブハウスの普通のブッキングにはない贅沢なことやなって。ある種、それだけの活動をしてきたっていう歴史というか、そういう轍(わだち)が形にできるというのが主催イベントでもあるんで、自分らも一度やってみようかって。

亜太:一発目に開催したのは2004年のことで。第1回目の<猿爆祭>には、僕は別のバンドで出演してるんですよ。それ以前からKNOCK OUT MONKEYとは仲が良かったんで、僕は主催バンド側ではなく、呼ばれて出る側でした。

──それはPassCodeというグループで?

亜太:いやいや(笑)。PassCodeのメンバーは今何歳だ!?っていう話やないですか。

──昨日の<猿爆祭2022>で亜太さんはPassCodeに飛び入りして踊ってたんで、メンバーの方かなと(笑)。

亜太:違いますって(笑)。


──その第1回目の<猿爆祭>は、自分たちも納得いく形で成功を?

w-shun:そうですね。楽しかったから、その後不定期ではありましたけど、ちょこちょこやっていて。でも一時期は長い間、開催してなかったんです。自分たちの作品リリースであったり、ツアーを廻ることに活動の重きを置いていた時期があったから。

亜太:<猿爆祭>という名前を使わなくなったということですね。何か作品をリリースしたら、“そのリリースワンマン”とか、そういう名目のリリースツアーとかになっていったんで。

w-shun:それに、対バンするにしてもバンド数を絞って、ツーマンとかスリーマンが多くなっていったかな。7〜8バンド集めてワーッと楽しむイベントは主催してなかったですね。

──その時期は、バンド主催フェスやイベントが多くなっていった時期だとも思うんですよ。

w-shun:そうですね。僕らはその時期、フェスをやりたいというよりは、フェスに呼ばれる側のバンドでありたいと思ってたから。今でもそのモードは変わってないところはあるんです。フェスに呼ばれるってことは、自分たちのライブのポテンシャルであったり、リアルな話をすると数字だったり、しっかりと精査された結果だと思うんで。そこに呼ばれるバンドでありたいっていうことのほうが大きかった。いろんなバンドがフェスを主催しているのを見て、“すげーことやってるな” “大変そうだな”っていう、傍観者でしかなかったですね。

──でも2019年に神戸ハーバースタジオで久しぶりに<猿爆祭2019>を開催したんですよね?

ナオミチ:ワンマンとかリリースツアーばっかりに振り回されていてもどうかなと思ったからですね。地元の神戸にKNOCK OUT MONKEYありきということを示したかったというか。今まで一緒にツアーを廻った仲間とかツーマンした相手を神戸に呼んで、地元を盛り上げたいってところもありましたし。年一回、自分らのお祭りを持っていたほうがいいかなって。区切りにもなりますからね。そういうことで、「もう一度始めようか」って話になったことを覚えてます。


▲w-shun (Vo, G)@<猿爆祭2022>

──2019年のとき、会場のフードコートには『串かつ でんちゃん』(dEnkAのお店)も出店したんですか?

dEnkA:そのときはまだやってないです。

w-shun:でも、なにかフード出してなかったっけ?

dEnkA:あれは『RideMe』(ナオミチのブランド)のやつ。

w-shun:ナオミチはアパレルブランドとお店をやってるんですけど、そっち主催のイベントも年末にちょいちょいやっていて。KNOCK OUT MONKEYは『RideMe』に呼んでもらう側です。

ナオミチ:僕がKNOCK OUT MONKEYのマネージャーにめちゃ丁寧なメールを送って、出演してもらうんです(笑)。

──というか、KNOCK OUT MONKEYのメンバーはバンド以外にもいろいろやってるんですね。w-shunさんは今まさにおじゃましてるプライベートスタジオ『One Life Studio』を持っていて若手もプロデュースしている。dEnkAさんは神戸で一番うまい串かつ屋として知られる『串かつ でんちゃん』経営。ナオミチさんはアパレルブランド『RideMe』。

ナオミチ:『RideMe』名義でタコスとお酒の店もやってます(笑)。

w-shun:鉄道貨物コンテナを2台重ねて店舗にしていて、1階がタコス屋で2階が服屋さんになっているという。

ナオミチ:亜太も、昨日の<猿爆祭2022>からアパレルブランド『MiORiA』を始めました。あとPassCodeで踊ったり、亜太は昨日いろいろ始まったんです(笑)。

w-shun:メンバーそれぞれが、また別の新しいつながりをバンドに持って帰ってきてくれるという部分はメリットですよね。向かってる方向は一緒やけど、それぞれが違う角度からもモノを見ることができるので。それでKNOCK OUT MONKEYや<猿爆祭>を、どうおもしろくできるか、どんなアイデアを持ち寄れるかっていう感じなんです。


▲dEnkA (G)@<猿爆祭2022>

──今回の<猿爆祭2022>は、地元神戸ではなく、大阪城野外音楽堂で開催しました。これはどう決まったんですか?

w-shun:いろんなアーティストに出てもらうことを考えると、いつもライブハウスに遊びに来ているお客さんではない層の方もいるじゃないですか。自分らのファンの年齢的にも結婚して子供が生まれた方も多いんですよ。だったら、こういうご時世でもあるし、屋内でやるより野外で開催したかったということが一番大きいですね。それで会場を探したところ、キャパ的にもロケーション的にも大阪城野外音楽堂が一番バシッとはまったという。

──野音の抽選は競争率が異様に高いと聞きます。

w-shun:本当にその通りで、今年は野音のスケジュールが空いてなさすぎたんですよ。だけど奇跡的に7月18日という海の日で祝日、夏が始まる日をたまたまブッキングできた。“だったらこれはやるしかないな”と。この半年間はメンバー全員、その方向にしか向いてなかったですね。昨日のMCでも言ったんですけど、最後のあの一瞬のために、この半年間を賭けてきた。

──新曲「Summer Days」を披露して、みんなで乾杯をするっていう。

w-shun:そうです。雨も降らずに無事に終わったから、今はホッとしています。昨日の朝起きたときは、死ぬほど雨が降っていたからビックリしましたけどね(笑)。

──雨予報でしたからね。でも開場前に雨も上がり、開演前にはすっかり晴れ。で、本日は雨。これも奇跡的ですね。

w-shun:ホントに。

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