【インタビュー】KEISUKE、痛みや喜びを純粋で泣きそうになる歌声で表現した『Tale of melody』

ポスト

自身の叶わなかった片想いをきっかけに書いたという「君想い」のMVが500万再生を突破し、SNSで披露している弾き語りカバー曲にもたくさんの反響が寄せられているKEISUKE。最近では絢香の新曲「キンモクセイ」にもコーラスで参加するなど、じわじわと、でも確実にその名を全国へと広げている広島在住のシンガーソングライターだ。そんなKEISUKEが、自身初となるミニアルバム『Tale of melody』をリリース。痛みも喜びも、純粋すぎて泣きそうになるほどの歌声で表現された6曲にぜひ耳を傾けてみて欲しい。

■「栞」を作って披露したのが「これをやりたいんだ」って思った瞬間
■そこから僕の音楽活動が始まっていったっていう感じです


──KEISUKEさんは広島在住とのことですが、生まれ育ったのはどんな街ですか?

KEISUKE:そんなに都会ではないですが、住宅街があって緑もあって、落ち着いた綺麗な街です。家族間のつながりというか、近所の人や友達の家族とも仲が良く、そういう輪のある温かい街ですね。

──音楽は小さい頃から親しみがありました?

KEISUKE:<サウンドマリーナ>という広島のフェスがあって、毎年、父と見に行っていました。秦 基博さんやSEAMOさん、ゴスペラーズさんや鈴木雅之さんなどのステージはよく覚えています。ちなみに父はもともと音楽が好きなんですが、最近はサックスを始めたいって言っているんです(笑)。

──では、音楽にまつわる最初の記憶というと?

KEISUKE:おばあちゃんの子守唄ですね。歌がすごく上手で。僕はおばあちゃん子だったんですが、寝付きが悪い僕をおんぶして、いつも夜の散歩をしてくれていたんです。その時に「ねんねんころりよ」って歌ってくれていたことは今も鮮明に覚えています。

──なるほど、素敵なご家族なんですね。その後、好きになった曲やアーティストは?

KEISUKE:衝撃的だったのは、スキマスイッチさんの「ボクノート」です。ドラえもんの映画の主題歌になっていて、テレビのCMで聴いた瞬間にすごく良い曲!と思ったんだけど、小学6年生だったからCDを買うという発想にならなかったんですね。曲を聴くために映画を観に行ったんですが、ただただ普通に映画に感動し(笑)、エンディングで聴いてさらに感動しました。そこからスキマスイッチさんはもちろんですが、誕生日にコンポを買ってもらった時にはMr.Childrenさんの「名もなき詩」を繰り返し聴いたりしていましたね。


──学校での思い出というと?

KEISUKE:英語の教科書に、カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」が掲載されていたんです。男子校だったんですが、授業の時に友達から「KEISUKE、これ歌えるじゃん」みたいな無茶振りが入り(笑)、先生も「歌ってみろよ」みたいな感じだったから歌ったんです。そしたら、みんな「うぉー!」みたいな反応で(笑)。それが、人前で歌った初めての経験だった気がします。あまり覚えていないけど、そう言えば歌わされることは多かったかなと思いますね。

──ギターを始めたきっかけは何だったんですか?

KEISUKE:スキマスイッチさんから始まってアコースティック系の音楽を好きになったので、自分もギターが欲しいなと思い、中学3年の時におばあちゃんに買ってもらいました。その時はまだエレキギターとアコースティックギターの区別もついてなくて、ただ「木のやつが欲しい」くらいな感じ(笑)。楽器店の人にも「最近の若い子はみんなエレキだけど、いいの?」って言われながら、“木のやつ”を買ってもらいました。動画を見ながら簡単なコードを覚え、コード譜を買ってサザンオールスターズさんの「TSUNAMI」をひたすら練習していましたね。

──オリジナルの曲作りもその頃からですか?

KEISUKE:高校1年生の時でした。初めてできた彼女にフラれて、この悲しい気持ちをどう消化しようかなと思ったんですが、身近にあるストレス発散法は音楽しかなかったから曲にしたんです。自分の中から、本当に辛いっていう気持ちを正直に出す感じでしたね。この歌を聴いてどう思って欲しいとかじゃなく、自分の気持ちをそのまま歌詞にしました。

──その後も順調に曲を増やしていった感じですか?

KEISUKE:いえ、全然。ずっとカバーをやっていたので、自分で曲を作らなきゃっていう気持ちがあまりなかったんですよね。でも、大学生になって帰省した時に実家で飼っていた犬が急に亡くなって。昨日まで元気だったのに、まるで僕が帰ってくるのを待っていてくれたみたいにして亡くなったんですよ。僕は気持ちが“うわっ”となった時に曲にしたくなるみたいで、その時も、悲しみを音楽で消化する感じで曲を作りました

──大学は東京だったと伺いましたが、東京での生活は、良くも悪くもソングライティングに影響を及ぼしそうな気がします。

KEISUKE:本当にそうなんですよね。かなり自分勝手で、東京の波に飲まれてしまった時期でした。確固たる信念というか、音楽で成功するっていう気概もなく行っていたので、お酒だったり友達と遊ぶことだったり、いろんな誘惑に負けてしまったんです。楽しければいいやって感じで音楽のこともあまり考えなくなって、かなり親にも迷惑をかけちゃって、決して良い4年間とは言えませんでした。それで、とりあえず今のこの状況を振り払うというか一度リセットしようと、広島に帰ったんです。


──それこそ感情が大きく揺さぶられて、曲が生まれそうなタイミングでは?

KEISUKE:はい。帰る間際に作ったのが、「クズの唄」っていう曲で。タイトル通り、そういう自分のことをそのまま歌ったものでした。

──その曲を作ったことで、何か変化はありましたか?

KEISUKE:曲を作るということに対して本気でやってみよう、音楽の道に進みたいと思うきっかけになりましたね。実はその頃、いとこの結婚式のために「栞」という曲を作ったんです。初めて自分の感情ではなく、誰かのために何かを届けたいという気持ちで書きました。結婚式の時に披露させてもらったんですが、涙を流してくれている人もいたりして、自分の中ですごく「これをやりたいんだ」って思った瞬間だったんですよ。そこから、僕の音楽活動が始まっていったっていう感じです。

──今おっしゃった2曲は、その後2019年にリリースした「My voice」に収録されましたね。初めてオリジナル作品を出してからここまで、ご自身の音楽活動を振り返ってみていかがですか?

KEISUKE:自分の歌を歌いたいという気持ちが強くなったし、いろんな人に聴いてもらいたいと思い始めました。SNSを中心にカバーなどの動画を上げ続けてきたんですが、徐々に聴いてくださる人も増え、いろんな人に出会って、いろんなライブをする機会が増えました。マツダスタジアムで国歌斉唱をさせていただく機会などもあり、自分の音楽の範囲が広がっているなって感じています。

◆インタビュー(2)へ
この記事をポスト

この記事の関連情報