【コラム】映画『ボヘミアン・ラプソディ』、特大ヒットの理由を考える
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映画『ボヘミアン・ラプソディ』がついに6月4日(金)、日テレ系『金曜ロードショー』にて地上波初放送される。
ひとつの映画作品が劇場公開されてからテレビ放送されるまでには、おおむね約1年、長くても2年程度と言われている。その中で『ボヘミアン・ラプソディ』は、地上波初放送まで2年半以上かかった。これはもう「待望の地上波初放送」に間違いないだろう。2週間くらい前から金曜夜のTwitterトレンドに『ボヘミアン・ラプソディ』って入ってたよね。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』は日本での興行収入が130億円を超え、2018年公開の映画としては最大のヒット作となった。この興行収入は音楽映画としての記録を塗り替えるものであり、評論家たちは本作について様々な考察を繰り広げている。
本作の興行収入の高さは、リピーター率の高さに由来する。アンケート調査の結果、本作を2回以上鑑賞した方はなんと回答者全体の7割強にものぼった。回答者の属性がファンに偏っているとしても、ちょっと流石にとんでもない数字である。
そういえば筆者の知人も「オレはあの映画そんなに好きじゃなかった。2回見たけど納得いかない」と言ってたっけ。バッチリ2回見てるじゃないですか。
何故こんなに繰り返し観る人が多いのかって、この作品は「終わり方」がめちゃくちゃ良いからだと思う。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の熱量配分は、物語部分で5~6割、クライマックスのライブシーンとエンドロールで4~5割。考えてみればめちゃくちゃなペース配分である。
よく知られた宣伝文にもあるように、本作のラストを飾るのは1985年開催の<ライブエイド>でのクイーンのステージを“完全再現”したライブシーンだ。バンド側の心情描写を最低限に抑え、役者の表情とこだわり抜かれたカメラワーク、そして音楽の良さで押し切るパワープレイは圧巻で、凄まじいアクションシーンを観たかのような満足感がある。
よくよくシナリオを見て行くと、映画『ボヘミアン・ラプソディ』の“文字的な物語”自体は、<ライブエイド>の前までに完結している。紆余曲折ありつつも最後には軽口を叩き合い、信頼の視線を交わしてステージへ飛び出すバンドの姿を見て、ライブの成功を疑う人はいないだろう。
極論言ってしまえば、この映画って<ライブエイド>直前でフェードアウトしても、物語的には一応終わるっちゃ終わるのだ。本作における<ライブエイド>は「起承転結」の「結」というより、「起承転結、そしてライブエイド」。ライブ中にはモノローグやバンドメンバーの台詞、MCも無いため、そこにどんな感情や物語が重ねられているのかは視聴者の想像に委ねられている。
改めて考えると変わった構成だが、それがめちゃくちゃ気持ちイイ。陰鬱な展開も、登場人物への苛立ちも、積み重なる苦悩も、ついでに鑑賞者の日々の鬱憤も、壮絶なライブシーンがぶっ飛ばす。そして観客は好きなバンドのライブに行って来たかのようにスッキリした気分で、映画館を後にするのである。
この爽快感を何度も味わうため、人々は映画館に繰り返し足を運んだ。それは結果として、130億円を超える興行収入に繋がっている。「傑作」は多々あれど、「チケット代を払って映画館で繰り返し観たくなる作品」はそう多くない。その中で、『ボヘミアン・ラプソディ』は後者となったのだ。
ところで本作『ボヘミアン・ラプソディ』には、主人公フレディ・マーキュリーやクイーンの才能をわかりやすく台詞で解説するシーンが少ない。フレディが初めて歌声を披露する場面だって、「凄い声だ、おまえは才能があるぞ」「おまえがいれば成功間違いなしだ」みたいなことは言わないし、評論家やマスコミの声は基本ボロクソ。メンバー同士も特に褒め合わない。
多くのバンドものの創作では、「ひとつのバンドが結成され、大きな成功を掴むまで」が大きな山場となる。しかし本作では、その辺りが結構アッサリしている。小さなパブで歌っていたバンドはとんとん拍子でレコード会社に見初められ、国と地域を跨ぐ大きなツアーをこなし、サクサクとヒット曲を飛ばしては、世界中の観客を熱狂させていく。
創作ならば、こういう展開は作らない。創作では「結果を出すための説得力ある過程」を作らないと、ただのご都合主義になってしまうからだ。週刊少年ジャンプの合言葉は、「友情・努力・勝利」。この中で「努力」の過程が抜けると、物語は陳腐になりやすい。
しかし映画『ボヘミアン・ラプソディ』では、「努力」の過程がそこまで描かれない。フレディがワンフレーズ歌っただけでバンドは成功を確信し、ブライアン・メイがリフを奏でただけで観客は熱狂の渦に包まれる。曲を出せば大ヒット。瞬く間にバンドは成功を駆け上って行く。
これって本来、だいぶご都合主義な展開だ。しかし繊細な音響で描き出されるクイーンの音楽、そしてフレディの歌声を聴けば、観客はこのバンドの成功を信じてしまう。フレディの歌声には「この歌手は絶対ビッグになる」と確信させる圧倒的なパワーがあり、その前にはどんな説明も無駄なものになる。
だから本作において、「クイーンがなぜ成功したのか」という所はあまり掘り下げられない。なぜクイーンが成功したかって?そんなの音楽が良いからに決まってるじゃないか。だいぶゴリ押しな作りだが、大衆映画でウケるものは「現実を忘れさせるほどのノリと勢い」。本作はこの辺りのバランス感覚が良く、上映時間がそこそこ長いにもかかわらず、「ヒットの理由は説明不要!次の展開へGO!」みたいな感じでテンポが良いことも魅力となっている。
そんな音楽とあわせて、キャストのこだわりも半端ない。公開当初は賛否両論と言われた本作だが、キャストに対する批判はほとんど無かった。ブライアン・メイとジョン・ディーコンはほぼ本人である。ブライアン役、声までソックリ。
主演のラミ・マレックは、よく見るとそこまでフレディ・マーキュリーに似ていない。しかしこの俳優は、とにかく画面上での存在感がある。観客はなぜだか彼の方へ視線を向けてしまうし、無意識のうちに彼の姿を目で追っている。この「カリスマ性」はフレディと同じ種類のものであり、彼がステージの真ん中で演技する姿には「こいつは世界一のスターだ」と思わせられる抜群の説得力がある。
そう、結局は説得力なのだ。世界的なロックスターは、その立ち振る舞いに音楽性と見合う強烈な説得力を持っている。「本物の音源」を使った映画『ボヘミアン・ラプソディ』では、音楽が持つカリスマ性と釣り合う強烈な俳優が要求されていた。それがラミ・マレックだったのだと思う。
本作のライブシーンには、ミュージカル的・ミュージックビデオ的な要素がほとんど無い。ちょっとカメラワークに凝ったライブ映像、といった趣である。だからこそ、役者には演技力以上のカリスマ性が求められる。そういう視点で観て行くと、決して「容姿がフレディそっくり」ではないラミの背中の躍動や足さばき、指の細やかな仕草、そして瞳の輝きは、まさにスターそのものだ。
ところで本作、実はメインキャスト“以外”の登場人物へのこだわりこそが最もとんでもなかったりする。一般には顔が知られていないフレディの両親や、クイーンのマネージャー、プロデューサーなどにもソックリな俳優を取り揃えているし、2~3秒程度しか映らないローディー役も信じられないほどにソックリ。あまりにも似ている俳優が出てくるので、映画館で思わず声を上げてしまった方もいる。
そうなると、人は考える。「もしかして、画面上に出てくるモブにも何か“元ネタ”が仕込まれているのでは?」と。結論から言うと、おそらく結構いろいろ仕込まれている。筆者はブラック・サバスのトニー・アイオミとギーザー・バトラーっぽい人、知人はシン・リジィのフィル・ライノットっぽい人を見つけた。
その他にもメンバーや関係者が変装して写り込んだり、背景や小物に細かなネタが仕込まれたりしているので、是非注目してほしい。特に、お尻がやたらセクシーなトラック運転手は見逃せない。
しかしまあ、なんだかんだ言って『ボヘミアン・ラプソディ』がヒットした最大の理由って、「題材がクイーンだから」だと思う。“ズン・ズン・チャ”の音とともにフレディの後ろ姿を映しただけで「このバンド知ってるぞ?」と興味を惹かせるポテンシャルの高さは、クイーンならではだ。
音楽性にしても、フレディの声質は個性的で時代感が薄く、バンドのサウンドはいつの時代にもド王道。楽曲も「ヒット曲」という言葉では足りないほどの著名曲が山ほどあり、それゆえクラシカルでありながら、悪い意味での「古さ」をほとんど感じさせない。
加えて、メンバーの姿も個性的かつ見目麗しい。「映画だから美化してるんだろうなと思っていたら、御本人もっとイケメンでびっくりした」と驚いていた方は数知れず。当時のバンドとしては品行方正で、ドラッグやスキャンダルのイメージが薄く、華麗で知的な印象が強いのも、多くの国でヒットする原因になっていると思う。
音楽だけでも100点満点中100点だから、演技諸々が乗って200点。ちょっと引いても180点。そんなガバガバ計算をライブシーンで納得させられる作品だから、映画『ボヘミアン・ラプソディ』はヒットした。正直、気になる部分はある。納得できない場面が無いわけではない。しかしエンディング曲が流れた瞬間、言葉にできない感動があふれてくる本作は、間違いなく名作なのである。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』の中で、フレディは様々なことに悩み続ける。移民という出自から来る違和感、才能を発揮し続けなければいけない重圧、常人には考えられないほどの多忙な生活、自らが性的マイノリティであること、仕事やプライベートの人間関係などなど。才能を持って生まれたがゆえに、悩みも多く、深くなる。
しかし、才能ゆえに生まれた悩みを打ち砕くのもまた才能だ。映画の中では「なぜフレディの音楽は人々の心を揺り動かすのか」がハッキリと説明されない。しかし半世紀近く前に録音されたものとは思えないほど生々しく新鮮な“本物”の音源を聴いていれば、自ずと答えは見えてくる。
本作は解釈の大半が視聴者に委ねられている、“隙間の多い作品”だ。作品のどこに共感するか、感動するかは観る人が自由に選んで良い。才能をもってしても抗えなかった運命を嘆くのも、映画という手段で友の偉業を後世に残そうとしたバンドメイトの姿勢に感動するのも、作品を彩る音楽にただ酔いしれるのもアリだと思う。いっぱい出てくる猫を観察するのも大アリ。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、110分かけて観客をクイーンのファンに育て上げ、最後の20分で英国ロック史上最高ともいわれるステージに連れ出してくれる、そんな作品である。だから初鑑賞後の感覚は、「デビューから見守り、長年愛してきたバンドの最高のライブの帰り道」が最も近い。好きなバンドのライブって理由も無く泣けるものだから、本作もめちゃくちゃ泣ける。言語にできない感情で涙が込み上げる独特な衝撃を、これから味わえる方が羨ましい。
今回の地上波放送で本作を始めて観る方は、「映画館で観ておけば良かった!」と後悔するだろう。実はこの作品、クイーン“以外”の楽曲も全て既存曲というこだわりようなので、「えっ、この曲使われてたの?!映画館で流れたの?!」が結構あり、音響の良い劇場での鑑賞価値が非常に高かった。それにしても、数秒しか流れない曲もオリジナル音源っていうのは、著作権使用料が気になるところである。
しかしテレビ放送にはテレビ放送の楽しみ方がある。SNSでは、ファンやオフィシャルがたくさんの「小ネタ」を解説してくれるだろう。クイーンのオフィシャルYouTubeを覗くと、無料で視聴できることが申し訳なくなるほどのコンテンツが並んでいる。関連書籍も山ほど復刊しており、欲しい情報はすぐ手に入る。
そういう意味で、クイーンはたぶん世界一福利厚生が充実したバンドである。映画を見てクイーンに興味を持ち、「本物のライブ映像ってどこで観れるのかな?」「資料とかあるのかな?」「現在のメンバーはどうしてるのかな?」と思ったとき、検索すればノータイムで何でも出てくるのはまありに“強い”。
こういう所が積み重なって、映画『ボヘミアン・ラプソディ』は大ヒットしたのだろう。本作のヒットは、「ライブ映像、今度DVDショップで探してみよう」「サブスクで聴けるみたいだけど加入してないなあ。加入したら聴いてみよう」から生じるタイムラグが、想像以上に興味関心へ悪い影響を与えることを教えてくれる。
ちなみに本作、筆者の周囲では「観たらお酒が飲みたくなった」と言っている人が非常に多かった。そこまで印象的な飲酒シーンがあるわけでもないけれど、確かに私も鑑賞後にビールを飲みまくった記憶がある。休日を前にした金曜日の夜、お酒片手に1985年のウェンブリー・スタジアムへ。あすの放送時間が待ちきれない。
文◎安藤さやか(BARKS編集部)
■映画『ボヘミアン・ラプソディ』放送情報
2021年6月4日(金)21:00~地上波初放送
金曜ロードシネマクラブ オフィシャルサイト:
https://kinro.ntv.co.jp/
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