ジョン5、デイヴィッド・リー・ロスとの出会いは自伝に記載されていた電話番号から

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ギタリストのジョン5は、デイヴィッド・リー・ロスの自伝に記載されていた電話番号にかけてみたのがきっかけで、ロスが1998年にリリースしたソロ・アルバム『DLR Band』の制作に参加することになったそうだ。

彼は『The Sessions』のインタビューで、こう語った。「友人の家にいて、(ロスの自伝『Crazy From The Heat』を)読んでたんだ。そしたら最後にマネージメント会社に繋がる電話番号があった。で、俺は“ふーん、どうなるか電話してみよう”って思ったんだ。俺はヴァン・ヘイレンとデイヴィッド・リー・ロスが大好きだったからな。電話して、“いま、曲とか何か募集してます?”って訊いたら、“いや、でもCD送ってくれれば考える”って言われたんだ。“オー・マイ・ゴッド!”だよ。ちょっとのことだけど、衝撃だった。それで、レコーディングしたんだ。もちろん、ヴォーカルなしで、俺は全力でヴァン・ヘイレンになりきった。それを送ったら、“気に入った。あと3曲送って”って言われたんだ。こんなクレイジーなこと初めてだ。3曲送ったら、さらに3曲って言われ、そのとき“申し訳ないが、もう金がないからできない”って断らざるを得なかった。いまは家でも(レコーディング)できるが、当時はスタジオ代に金がかかったからね。そしたら、デイヴが会いたがっているから、彼の家に行けって言われたんだ」

「行ったよ。“Pretty Woman”を撮影したところだった。初期のヴァン・ヘイレンの撮影が行われ、彼らがリハーサルしていたのが、その家だった。そこで、デイヴから“ジョン、会えて嬉しいよ。俺ら、アルバムを作る。俺は君のやっていることが気に入った”って言われたんだ。信じられなかったよ」

ジョン5はついでに自伝にもサインしてもらったそうだ。

ロスとジョン5のコラボ関係は、現在に至るまで継続しており、ロスは昨年10月、エドワード・ヴァン・ヘイレンが亡くなったとき、数年前にジョン5と制作したという未発表曲の1つ「Somewhere Over The Rainbow Bar and Grill」と共に追悼の言葉を捧げていた。

Ako Suzuki
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