坂本龍一、“まるで隣で弾いているような”ピアノコンサート
坂本龍一が12月12日、都内某所にて<Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 12122020>を開催した。
◆コンサート画像(9枚)
最近ではさまざまな楽器を用いた即興音楽を主なパフォーマンスとしていた坂本だが、この日は彼の音楽史の中枢を担う“ピアノ”によるパフォーマンスに焦点を当てる。
ライブ演出には、独創的なメディアアートで数々のアートやエンターテインメントを彩ってきた真鍋大度率いるRhizomatiks、撮影監督にはNYを拠点とした新進気鋭のアーティスト・Zakkubalanを起用。坂本が信頼を寄せる2組のアーティストとともに、オンラインでしか見られない新しい音楽体験に挑む。
コロナ禍で行う活動に備え、坂本は11月中旬より来日し2週間の自主隔離期間に入っていた。ライブ当日は、万全の体制を以てライブパフォーマンスに臨んだ。世界が直面する危機的状況に対し、アーティストとして、そして文化人として強くメッセージを発信し続けてきた2020年。この厳しい環境下で生きるすべての人々に敬意を払い、坂本はピアノの前に立つ。
「まるでぼくがあなたの部屋にいて、隣で演奏しているような空気感が出せたら嬉しいです」
挨拶をしてから椅子に腰をかける一瞬の間にも、現場の静けさや緊張感が伝わってくる。息を吸う音と共に、「andata」から今宵のステージが始まった。複数の音が立体的に浮かび、耳を包むように届く。一音一音丁寧に鍵盤を押さえるたび、鍵盤に指が触れる音までも聴こえてきた。
ピアノの繊細な表情はもちろん、布や紙の擦れ、呼吸、指のタッチ、ハンマーが弦を打つ音に至るまで、坂本が直に耳にしているであろうすべての音を拾い上げるのは、“業界市場最高レベルの音質”と謳われるMUSIC/SLASHの魅力だろう。
白い部屋へ映像が切り替わると「美貌の青空(Bibo no Aozora)」に続き、今度は鮮やかな音色がよりクリアに、それでいて優しく響き渡る。必然的な距離が生まれる生の会場では感じ取りにくいようなささやかなニュアンスまで、余すことなく視聴者へ届ける。オンラインならではの贅沢な音楽体験だ。
ライブ前には「自身の代表的な楽曲を揃えた」と坂本自身が言っていたように、セットリストには坂本龍一の音楽史を代表する名曲ばかりが揃っている。ライブ中盤には、「水の中のバガテル(Mizu no Naka no Bagatelle)」、「Before Long」、「Perspective」、「energy flow」といった坂本の楽曲たちの中でも人気の高い楽曲が並んだ。
音源では見られないテンポ感や余韻の長短、指先のニュアンスづけに遊び心など、坂本の弾き方ひとつ、気分ひとつで生まれる違いを楽しめるのも魅力である。ライブ後半になると、「The Sheltering Sky」でぐっと演奏に引き込まれる。息を呑むほどの緊張感が押し寄せ、背景に映る荒廃した建物から唸る風が吹いてくるように、耳から身体へ、肌へ通ってゆく。
そのまま「The Last Emperor」と、ピアノの美しい重低音と迫力感を味わえる楽曲が連なり、ピアノ本体から直接伝わる音の振動を体験しているようだった。ピアノ一つで見せる壮大なスケール感を、遠隔でこれほど立体的に、そして身近に感じられるのも貴重だ。
「生の音楽が一定期間消えてしまったことで、音楽の楽しみ方をもう一度考え直さなければいけない。生・デジタルと分けるのではなく、新しいビジョンを持ってエンターテインメントの在り方を広く考えていかなければいけないと思っています」
と本編前のインタビューで坂本は言った。直に体験する“生の音楽”と、オンラインで発信する“情報としての音楽”を組み合わせた新しい形を目指すのが、このライブの挑戦でもある。そこで鍵となるのが、Rhizomatiksによる映像演出だ。
真鍋は、“まるで隣で弾いているような”というコンセプトに添い、“坂本の自室”を表現する白い部屋をベースとし、海、波、雨、荒野などのシチュエーションを用意。坂本の音楽を、“空間”という手法で支え、各楽曲が持つ世界観や魅力を引き立てる。特に自然が背景に映る時は、坂本が自然の一部となったように溶け込んだ。近年自然との共生を訴え続ける坂本を、真鍋は視覚的に表現したのだろう。
中でも「aqua」では、とびきり美しい光景が広がった。画面上にいくつも雫が落ち、雨に濡れる窓から坂本の姿を覗いているようだった。坂本の愛情を象る温かく、清らかな音色に連なり、背後には光り輝く水面や揺れる。時折白い髪が透けて、海と同化しそうになる坂本の姿には、儚さを感じた。ここで、音と映像のどちらかに身を寄せるのではなく、2つが溶け込む様をじっくり見るのが、このライブパフォーマンスの醍醐味でもあるのだと気づく。
窓の外で雨が降るのをぼんやりと見つめている時のように、ピアノを弾く坂本の姿や跳ねる水滴をぼんやりと見つめ、“無”の時間を楽しむのもひとつ。いつもより身近に感じる演奏と映像に、「隣で自分のためにピアノを弾いてくれているのではないか」と思うほど入り込んで楽しむのもひとつ。どちらもまた、コロナ禍で不安や悲しみを抱えながら励む人々へ寄り添うあたたかな時間だった。
また、Zakkubalanによるカメラワークがまた面白い。坂本の顔がクローズアップされる瞬間も多く、プレイヤーの表情の変化をこれほど目の当たりにする機会も少ないだろう。坂本は、一瞬一瞬の響きを楽しむために、耳で聴くだけでなく、身体全体で味わおうとする姿勢についてインタビューで語っていたが、それを体現するように、坂本は全身で音楽を奏で、耳で受け取り、余韻を楽しんでいる。その姿を見て、彼の呼吸や身体の動きに合わせて、自然と身体を動かせる視聴者も数多くいたことだろう。
生のライブ空間と同じように、プレイヤー・来場者すべてが一体となるのは難しい。しかし、オンラインでしか見えない角度により、プレイヤーと視聴者が一対一で呼吸を共にすることはできる。これが、坂本が言う“身体性のあるパフォーマンスの実現”に繋がる大きな一手となったのではないだろうか。
ライブ終盤、誰もが歓喜する場面が訪れる。映画『戦場のメリークリスマス』の劇中歌「The Seed And The Sower」と主題曲「Merry Christmas Mr. Lawrence」を二曲続けて演奏するという、粋な計らいだ。リズミカルなフレーズが押し寄せたのち、静と動を切り替えながら艶のある低音を響かせながら壮大な盛り上がりを見せる前者と、同じフレーズワークを繊細に弾き分け、移ろう情緒に観客を誘う後者。劇中を思い出して涙する人もいれば、押し寄せる美しいメロディにただただ感極まる人もいただろう。これまでの流れを踏まえた “坂本龍一”という一アーティストを象徴するに相応しいライブパフォーマンスだ。
そして、昔から今へと繋がる。最後に披露するのは、今回が初披露となる「MUJI2020」だ。背後に映る限りない自然と大地は、配信を通じて世界中の人々が繋がっていることを象徴しているようだった。約2分の短い演奏を終えると、ピアノの脇から小物たちを取り出し、近年坂本が行っている即興音楽を添える。
陶器の欠片を擦り合わせると、透明感のあるノイズが生まれた。この陶器の欠片は、坂本の2020年の活動をまとめるコンプリートボックス『2020S』に同封される「陶器のオブジェ」と同じものであり、坂本が自ら絵付けを行い、自ら割ったものだ。さらにピアノの中を叩き、弦を擦り、ティンシャの響きを空間いっぱいに広げたところで、全プログラムは終了した。
坂本の音楽への向き合い方は、日々変化している。ノイズと音楽の境界線を持たず、一音ずつの響きや自然の揺らぎを大切にしたい。そういった坂本の想いは、冒頭のインタビューや最後に見せた数分間の即興音楽の断片により、多くの視聴者に伝わったのではないだろうか。
ただ、坂本の音楽には情緒があり続けることは変わらない。ピアノ演奏であれ即興音楽であれ、特定の感情ではなく、受け手が持ちうるもので想像し、感じ取ることができる自由がある。聴く人々の数だけあらゆる音楽のかたちが生まれるからこそ、坂本は音楽そのものに対して、限りない自由を求め続けているのかもしれない。そして、「May the silence be with you.(沈黙とともにありますように)」。沈黙もまた、情緒を感じさせるひとつのファクターであり、自由と共に常に存在するものであるのだと、我々は音楽を通じて知ることができる。
坂本は現在、自身のコンプリートボックス『2020S』の制作に励んでいる。「アート作品を作りたい」という坂本の予てからの願いから、音楽はもちろん、音楽を包むもの、添えるもの一つ一つにこだわり尽くした作品だ。
作品を通じて“記憶”を共有することで、坂本と購入者が繋がるのはもちろん、この作品を手にする同じ時代を生きる人々とも繋がることができる。また、同作品には陶器の割れる音を使用した新曲も収録されている。このライブで映像・演奏の両方から、これまでにないリアリティを以て坂本の音楽を体感した今、作品や音楽をより身近に楽しめるのではなだろうか。坂本が抱く想い、記憶を、ぜひともに体験してほしい。
文◎宮谷行美
セットリスト
2. 美貌の青空(Bibo no Aozora)
3. Aqua
4. aubade
5. 青猫のトルソ(Aoneko no Torso)
6. 水の中のバガテル(Mizu no Naka no Bagatelle)
7. Before Long
8. Perspective
9. energy flow
10.The Sheltering Sky
11.The Last Emperor
12.The Seed and The Sower
13.Merry Christmas Mr. Lawrence
14.MUJI2020
『2020S』
販売価格:200,000円(税抜)
発売日:2021年3月30日
【アナログ盤】
■12inch盤 ホワイトヴァイナル仕様
[Disc-1]
Cinema
映画:蔡明亮監督作品『あなたの顔』(英題:Your Face)O.S.T.
[Disc-2]
Exhibition
「S/N for Lee Ufan v.2」李禹煥個展音楽
[Disc-3]
Omnibus - Cinema / Fashion / NPO
・映画:コゴナダ監督作品「After Yang」 O.S.T.
After Yang - Theme
After Yang - Arpeggio
・「BV」for Bottega Veneta Short Film
・「Passage」for MOR(Music of Remembrance)
■7inch盤 ホワイトヴァイナル仕様
[Disc-4]
Omnibus - TV / CM
・ミニドラマ:「きょうの猫村さん」主題歌
猫村さんのうた
猫村さんのうた - Instrumental -
・「MUJI2020」
・「へいわってすてきだね」
[Disc-5]
新曲書き下ろし
・仕様
凵(はこ):[本体]桐
(more treesの森がある宮崎県諸塚村産 https://www.more-trees.org/forests/project6/ FSC認証材)
[付属陶片スタンド]真鍮(新潟燕三条)
サイズ: w335mm × d335mm × h175mm
陶片のオブジェ:陶芸家の岡晋吾氏が製作した陶器の皿に坂本龍一が絵付けをし、その皿を割る音を採取して新曲を書き下ろす。この「陶片のオブジェ」は、その楽曲で使用された陶器の断片である。土で作られる陶器は、割ることで再び自然へと還る。陶器を割るという行為には、坂本の自然回帰への想いが込められている。また、陶器の断片は 2020 年という歴史的 1年の「記憶の断片」であり、作り手と受け手とを繋ぐ存在でもある。
※角が尖っている部分がございますので、お取り扱いにご注意ください。
冊子:詳細は後日お知らせ
◆『2020S』特設サイト
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