いい音爆音アワー vol.113 「アリフ・マーディン♪特集」
いい音爆音アワー vol.113 アリフ・マーディン♪特集
2020年 7月15日(水)@ニュー風知空知
「すごい音楽人」シリーズ、その五です。これまで、大瀧詠一(vol.57)、ブライアン・イーノ(vol.63)、細野晴臣(vol.66)、坂本龍一(vol.99、 101)と、偉大な音楽家たちの足跡を辿ってきました。今回のアリフ・マーディンは、その活動が「プロデュース」という“裏方”仕事にほぼ限られるため、この中ではいちばん地味な存在かもしれません。
プロデューサーには主に3つのタイプがあります。
①ビジネスマン型:売れる企画を考えたり、売るための戦略を立てることに長けている
②エンジニア型:レコーディング・エンジニア出身。売れる音を作ることに長けている
③アレンジャー型:アレンジャー、あるいは作曲家出身。売れる曲・サウンドを作ることに長けている
マーディンは③タイプ。弦や管などのオーケストラ・アレンジという基本はしっかり押さえつつ、シンセサイザーやコンピュータ・プログラミングなど、新しい手法にも積極的に取り組み、常に半歩先のサウンドを創り出していました。ちなみに、彼が長年所属したアトランティック(Atlantic)・レコードには、ビジネスマン型のジェリー・ウェクスラー、エンジニア型のトム・ダウドもいました。この3人が揃えばもう無敵ってことで、3人でプロデュースした作品も、アレサ・フランクリンやダスティ・スプリングフィールドなど、多数あります。
何より興味深い点は、彼がトルコ人だということです。そしてアトランティックは、同じトルコ人のアーメット・アーティガンが立ち上げたレコード会社でした。アトランティックと言えば、ソウル、R&B分野で最も成功したレーベル。アフリカ系アメリカ人が生み出し、白人が広めたとされる音楽の陰に、トルコ人の力が大きく関わっていたという事実が、とても面白いと思っています。
福岡智彦 (いい音研究所)
セットリスト
▶アリフ・マーディン (Arif Mardin):1932年3月15日 - 2006年6月25日 トルコ、イスタンブール生まれ
裕福な家庭に生まれ育つ。父親はガソリン・スタンド・チェーン会社の共同オーナーだった。
インタンブール大学経済学部卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学ぶ。
姉の影響などで、編曲ができるほど音楽の素養もあったが、音楽関係の仕事に就くことはまったく考えていなかった。
しかし、1956年(24歳)、アンカラでディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)とクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)のコンサートを観たことが彼の人生を変えた。彼は、米国のラジオ局で働く友人に自作曲のデモを送り、友人はそれをクインシー・ジョーンズに届けた。やがて彼は、クインシーが創設したボストンのバークリー音楽院への奨学金の最初の受領者となった。
1958年、ボストンに移住。バークリー音楽院入学。61年卒業。
1963年、「Atlantic Records」創設者のアーメット・アーティガン(Ahmet Ertegün)の兄ネスヒ(Nesuhi)が、スタジオの研修生としてスカウトする。
スタジオ・マネージャーを経て、ハウス・プロデューサー&アレンジャーに。
▶1968年、ダスティ・スプリングフィールドのアルバム『Dusty in Memphis』をトム・ダウドとジェリー・ウェクスラーとともに手がけた。
▶1969年、Atlantic副社長となり、やがて上級副社長となる。
同年、ソロ・アルバム『Glass Onion』をリリース
▶1976年、第18回グラミー賞で、最優秀プロデューサー賞を獲得。1975年から始まった賞(75年はThom Bell)で、どの作品ということではなく、プロデューサーとしてコンスタントに優れたクリエイティヴィティを発揮していると認められた人に贈られる。マーディンは2003年にも同賞を受賞している。
▶2001年5月、Atlanticを退社、EMI Classics傘下で「Manhattan Records」を再編スタートさせる。
2003年、第45回グラミー賞にて最優秀プロデューサー賞を獲得(2回目)
▶2005年6月7日、Manhattan Recordsより、息子のJoeとともにプロデュースしたRaul Midon『State of Mind』リリース。
2006年6月25日、約1年間にわたる膵癌との闘病の末、ニューヨークで死去。74歳没。