【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第96回「土浦城(茨城県)卓偉が行ったことある回数 4回」
関東にも見学しやすく初心者にもわかりやすい城はまだまだある。まずありがたいのは平地に建てられた平城であるということ。アップダウンがないと見学しやすい。と思っているお前、どんだけ体力ねえんだコラ!本丸太鼓門、霞門、西櫓、旧前川口門が修復もありながらも現存、本丸東櫓も復元ということで1600年代の建造物をこれだけ堪能出来る城も関東には珍しい。明治時代に払い下げられ土浦の城下町に移築された門も多い。建造物が多く残る土浦城だ。
築城は古く、1400年代の室町時代とも言われている。平将門だという説もある。この城も城主がかなり入れ替わっており、最後の城主の土屋氏が一番長く治めたが、この城の形にしたのはやはり徳川家の血筋松平氏だと言えるだろう。霞ヶ浦のほとりに築かれた平城で、川と霞ヶ浦の水を上手く引き、何重もの水堀に囲まれ、水害にあっても沈むことなく城が水に浮かぶ亀の甲羅のように見えたことから亀城(きじょう)とも呼ばれていた。まさにオーストラリアのエアーズロック的な感じか。プチエアーズロックか。先住民のアボリジニもびっくりだ。
土浦城は石垣と空堀は無く、土塁と水堀だけで作られたシンプルな城である。これだけの建造物が残っていても当時の面影は本丸周辺にしか残っていない。よってイマジンが難しいかとも思うがまあそれでも良い。まず本丸周辺を見学してもらい、すぐ隣にある土浦市立博物館をマストで見学してもらいたい。ここには見事な土浦城のジオラマがあり、これを見るだけでいかに粋な城だったかがわかってもらえるはずだ。
まずは何と言っても太鼓門だろう。土浦城の写真と言えばこの太鼓門だ。途中で櫓門に増築したらしいが本丸の正面の門として威嚇も見た目のデザインも素晴らしい。日本の城は太鼓櫓、太鼓門などが多くある。戦国時代では戦の準備、敵が攻めて来た時の合図を城内に知らせる意味などで太鼓を叩いたとされるが、江戸時代は使い方が変わり、城主が帰宅する際、または来客が本丸に入る際のウェルカム的な意味、または帰る際に櫓の中、または櫓門の二階にあった太鼓を鳴らしたことで太鼓門と呼ばれるようになったらしい。この太鼓門、本丸側から見ると軸になっている柱が割と細い。二階部分がでかい割にこの細さで良く支えているなと感心する。頭がでかいのに足が異様に細い、まさにニューヨークドールズではないか。ジョニー・サンダースも顔負けだ。また二階に登っていく階段の幅も狭いし急だしなんだか凄い。是非ここにも注目だ。途中で二階部分を増築したから元の柱が細いのか。階段を上った先の間口も狭い、一体どれほどの大きさの太鼓が置かれていたのだろうか?この間口だとケンちゃん太鼓くらいしか入らない気がする。
本丸には太鼓門の他に、西櫓、東櫓、本丸搦手の霞門があり、東櫓は中を見学出来る。西櫓は昭和24年の台風で破損。翌年に復元修復を条件で解体。だがそこから一切復元されず、なんと約40年近く経った1992年にようやく復元された。おそっ!いろんな事情があったのだろう。
1998年には東櫓が復元。土塀なども復元された。当時本丸には御殿があり、幕末後も解体されず役所として使われていたらしいが火災で焼失。平城なだけに一度火災が起きると軒並み燃え移ってしまうので、それを防ぐ為に水堀をこれだけ増やしたという考え方もあるようだ。確かに土浦城の本丸は面積が小さいが当時は全面水堀に囲まれていた。本丸の水堀がなかったらもっと大きな本丸に出来ただろうがそこを敢えて水堀にしているところに防御と火災の工夫が垣間見られる。本丸だけ土塁で高くなっているのでこれが外から見たら亀の甲羅のようだったということである。粋だ。亀の寿命は100年を平気で超すと言うが土浦城の堀には1600年代から生きている亀がいるそうだ。嘘です。(嘘つくんかい)
本丸の外、二の丸の敷地内に旧前川口門が移築されている。これも現存だ。これも明治時代に払い下げられて一度は城下町に移築されたがボブ・マーリーが亡くなった1981年に城内に戻って来た。同じ場所は開発が進み街が整備されてしまっていた為に現在のこの場所に置かれたそうな。年季が入っていて良い感じの門である。ここからイマジンが可能であれば少し城下町を歩いてみることをお勧めしたい。現在の地形で当時の土浦城をイマジンするのはなかなか難しいとは思うが、まず現在の土浦小学校の校門前が大手門の跡である。現在は石碑が建っている。枡形の正面と奥に二つの門が並び、奥の大手門は本丸太鼓門よりも大きな門だったとされる。これが残っていたら!とても切ない。土浦城の構造で面白いのは大手門と搦手門が同じ東側に並んでいるということだろう。通常は城の正面が大手で、城の裏に搦手があるのが基本だが、何故か同じ道の並びに大手門と搦手門が存在したのである。大手門から三の丸に入ると右手に搦手門が見えるという構造だ。城の外側には北門、南門もあり、それぞれ馬出しもあったことが当時の平面図でわかる。水戸街道を城内に通し、絶対に城内、城下町を通らないと行けない仕組みになっている。にしても大手と搦手が同じ方角にある城なんて土浦城だけだ。とてもユニークな発想だ。大手から南、北と回らせて、水戸街道に戻させる意味があったのかもしれない。城内に入っても水戸街道へ決して近道が出来ない構造にした、私の推理も悪くはないと思うのだがどうだろうか。
先ほど述べたように最後は土浦市立博物館への見学をお勧め。土浦城だけでなくこの地の歴史が事細かく説明されていてとても勉強になる。いろんな展示物も満載だ。何より土浦城のジオラマ。これを見て改めて納得。この城の粋な部分が伝わると思うし、何より、大手門と搦手門の近さ、並び、構造に笑ってしまう。凄い。こういう発想力は素晴らしい。ちなみに土浦市立博物館の駐車場は博物館に入館する際に駐車場の券を提示しないと出られない仕組みになっている。お金を払えばということじゃない、博物館を見たか?でなければ出られないのである。そのことを知らず駐車場が機能している時間内、いわゆる博物館が開いている時間内に戻らなければマイカーが一晩博物館と言う名のジェイルハウスになってしまうのだった。ここまで来ると「きみは土浦城を見たか?」ではなく「きみは土浦市立博物館を見たか?」である。彦根城そっちのけでひこにゃんと握手しなければ城から出られない的なグルーヴである。もちろん彦根城にそんなシステムはないが。博物館を一通り見学し、駐車券を出すと受付の方に「ご覧になられました?」と言われた。え?いや、そりゃあもちろん当然ですよと思ったが、受付のおばさまは早口で申し立ててきた。
「いやね、ここを見てもらわないと出られない仕組みなのね、よくいるのね、見ずに駐車券だけ出して出ていかれる方、残念なわけ!わかるでしょ?歴史好きだったらわかるでしょ?興味無さそうにしている方にも見ていってもらいたいシステムなのね、でもよく配達の方とかさ、いるでしょ?ジュースを販売機に補充している人とか、いろんな配達の方がいるじゃない?そういう方がさ、うちの駐車場入れて、いろいろこの辺を周って仕事終わって出ようと思ったら出られないって言って駐車券出してくるわけね、そういう方にもね、それでも見て行ってほしいわけね。時間ないかもしれないけど!ハハハ~」
おそらくこう言われていたと思う。おそらくというのはこれがまた非常にネイティヴな茨城弁だったのだ。きっとこう言われていた、と思う。なのでこれをネイティヴな茨城弁に訳し、文字におこせる方、今度教えてくれ。しかしこのシステムこそ当時の土浦城の大手と搦手にそっくりではないか。なんなの?このデジャヴな感じ。
おばさまは言葉の最後に「べ~。」「へ~。」「っぺ」「っぺよ~」がとにかく多かった。どうしてもそこに印象が行ってしまった。アクセル・ローズの歌を聴きたいはずなのに、タモリさんが「笑っていいとも」で使っていたようなマイクに目が行ってしまうのと同じ感覚だった。駐車場を出る時に倅が言った「土浦って国にまた来ようね」
国じゃねえし。
あぁ 土浦城 また訪れたい…。
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