【インタビュー】森友嵐士、医療従事者へ贈る「ひとりひとりのありがとうを集めるプラットフォーム」
■過去の自分にしがみついてる
■男、親父ってどうなんだろうと
──音楽活動ができなくなった時期を乗り越えてこその、この心境なのでしょうか。
森友:自分に起きたネガティブなことに対して、「これがあったから、良かったんです」っていう人もよくいるじゃないですか。実は僕はそうは思っていないです。そりゃ、苦しいハードルなんてないまま、歌えるままでいけたほうが良かったですよ。
──…。
森友:あの時間を恨めしくも憎んでもいないけれど、歌えなくなるなんてことにはなりたくなかった。自分の生きたいように生きてきて、自分の優先順位を自分でつけてきて、それで自分を追い込んでいって結果的に声を失うという病気になってしまったことに関しては、「仕方がねえな、俺らしいな」っていう感じがします。とはいえ、まさか歌が歌えなくなる日が来るなんて思ってもいないわけで、最初の3〜4年は原因が分からなくて、日本中の数多くの名医と出会って、もうこの先生以外いないというところまで行きついたところで“心因性発声障害”だと分かった。「過去日本で、歌を仕事にしていてこんな症状の人は見たことがない」「過去に例がないので治療法もない」「10年後もこのまま歌えないかもしれません」って。ショックだったけど、そんなバカなことがあるかって感じですよ。
▲森友嵐士 (T-BOLAN) |
森友:だって、T-BOLANを作ってちょうど10年くらいの頃ですよ。ここまでの時間をかけても歌が戻らないなんて、そんなバカなことがあるかって。
──声が出ないというのは、どういう症状なんですか?
森友:僕の場合は、歌おうとすると声帯が閉まらなくなって、フーって息漏れしてしまうんです。声帯って空気が通るときに唇をブーって震わせるように振動して、それが共鳴して声が鳴るんですけど、僕の声帯は歌おうとすると閉まらなくて、フーって振動をしてくれないまま。
──だから声が出ないのか。
森友:そういう機能障害です。
──イライラしませんか?
森友:もちろん、イライラどころじゃないですよ。イライラっていうか、もうね、絶望なんですよ。症状が始まると、日常会話すらできなくなる、しゃべれなくなるんです。そうするともうそこにさえ居たくなくなるんです。どーんと絶望の淵に落ちるみたいな感じで、誰にも会いたくなくなる。
──そこからどうやって這い上がったんですか?
森友:見えない世界の力みたいなものにもいっぱい会いにいったし、ヒントも探しにいったし。僕に力をくれる人を探しては、それがどこであろうと時間をかけてでも会いにいった。要するに、この声の出ない症状を治せる一歩になるかもしれないと聞けば、なんでも、できることは全てやりましたよ。でも結局、誰かが僕を治してくれるということはなかったし、段々それに気付いていく。医学の基礎研究では、こうじゃなかろうかという予測を立てていくんです。それを証明していく作業で、過去に同じような症例がなければ治療法もない。イラつくけど、仕方ないよね。自分で歌っていて壊したものなんだから自分で治すしかないだろっていうことで、治療法をくれる人がいなかったから、自分自身で、自分の歌と向き合うしかない。
──孤独な闘いですね。
森友:仮説を立てて、その仮説を実験によって証明し何をやったら前進するのかを発見していく作業をひたすら模索していくんですけど、僕の症状みたいなサンプルになるものが何もなかったので、自分で手応えのあったものをひとつ、またひとつとそれを信用してやっていくしかない。要は歌うことに向き合うしかないんです。その過程で、ドクターや、トレーナー、セラピストの方々からアドバイスをもらったり信頼できる方の言葉を参考にしながら、自分自身を材料にして実験をしていくみたいな、何をやったら良くなったかをひとつひとつ検証していくみたいな作業でしたよね。
▲『森友オリジナル日本酒づくり』画像全8点 |
森友:でもね、僕はリハビリを始めて10年間くらいはずっと過去にしがみついてばかりだったんです。
──?
森友:というのも、T-BOLANの森友嵐士にもう一回戻りたいって思っていたから。1990年代に活躍していた自分の声を取り戻したい一心で、お手本になる自分のCD音源と今の自分の歌を並べて、そこに近づけるためにはどうやったらいいか、ずっと続けていたんです。それしか浮かばなかったから。
──その姿勢は間違っていないように聞こえますが。
森友:間違いなんです。これほど苦しい時間はない。歌えないのに、歌えていた頃の自分の歌を聞きながらやるのは、傷に砂と塩を塗り込むような作業で、何が良くないかって何にも楽しくないんです。ずーっと苦しいだけ。これ、進化しないですよ。でも10年間、俺は気付けなかった。
──何かきっかけが?
森友:息子が生まれたときにいろいろと考え方を整理した。歌えていた歌が歌えないから、ずっと過去の自分に負けてると思ってやってきたけど、時間も、経験もそのまま重なっているのに「過去の自分に負けてる今の自分ってあるの?」「経験が増えているだけなんだから、歌えなくなったことで、過去の自分に負けてると感じている俺自身がおかしいんじゃないのかな」って思った。もちろん悔しさはあるんだけれど、この理屈の中で“負けていない”と考えようとした。あとね、歌を取り戻すために毎日を生きていて、向き合っている自分をカッコ悪いとは思わなかったけど「ちょっと待てよ」と。父親の背中を見る息子にとって、「過去の自分に戻りたい、過去の自分にしがみついてる男、親父って、どうなんだろう」って。俺の人生の歩き方、考え方はこれでいいのかという視点に立ったとき「挑戦はしているけれども、挑戦のやり方に問題があるな、カッコ悪」って思っちゃったんですよ。
──なるほど。
森友:歌えていた歌を歌えない自分にがっかりするのは否めないから、そこに触れるのはやめようって思った。今をゼロにするためにT-BOLANを封印し、レコードになってない今まで録音したことのない曲を歌えるようになることから始めようってね。それまではマイナスからのスタートだったわけですよ、歌えていた歌を歌えない自分とひたすら比べてるから。毎日毎日負けてる、負けてる、負けてる、負けてるがずーっと続く。1日の終わり、毎晩気分悪いわけですよ。だけど、今日をゼロとして、まず「上を向いて歩こう」を一発目に歌った。歌詞カードに息が漏れるところをチェックし書き込んだ。これがまずゼロの状態です。マイナスではなくてここがスタートのゼロ。そこから息漏れ箇所を意識することで、赤のチェックが消えていくわけで、そこにはプラスしかないんですよね。「今日は3ヵ所前進した」とか。
──ちょっとハッピーですね。
森友:そうなんだよ。今日がハッピーになるやり方をしなきゃだめなんだよね。スタートがあってゴールがある。今までの僕は、20%進んでも足らない80%を責めていた。そうじゃなくて、20%を褒めてやる方向に思考を変えたほうが力になるんです。もうひとつ発見もありましたよ。全くできないことをいちから頑張るよりも、できるようになってきたことがあるなら、それをもっと上達するように頑張ったほうが、できないことがある日突然、できるようになったりします。
──ほう。
森友:歌えないものをやってるとどんどん良くないほうへいくんです。それを克服したい気持ちもあるんだけど、やっぱり少し歌えるようになったもののほうが楽しいでしょ? 歌いたくて楽しいほうを選んでそこで頑張っていくと、いつのまにか全く歌えなかったものが歌えるようになっていたりするんです。子どもたちを見てもわかりますよね。怖がって登れなかった岩場が、1年ぶりに来たら平気で登れるようになっている。その岩を登るという練習や努力はしていないけど、他のことで力が付いたことで一気にできるようになる。喜びのある努力をしたほうがいいということを学びました
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