バーニー・マースデン「デイヴィッド・カヴァデールと一緒にもっと曲を作りたかった」
ホワイトスネイクの初代ギタリスト、バーニー・マースデンは、デイヴィッド・カヴァデールとの共作期間が短かったのを残念に思い、やろうと言っていたのが実現しなかったのは「大きな間違いだ」と話した。
1978年から1982年までホワイトスネイクに在籍し、「Fool For Your Loving」「Here I Go Again」など初期のヒット曲をカヴァデールと作ったマースデンは『Classic Rock』のインタビューで、こう語った。「バンドが壊れかけていたとき、僕らがホワイトスネイクに関し最後に交わした会話が、彼と僕は一緒に曲を作っていくべきだってことだった。でも、全く実現しなかった。僕はそれを本当に大きな間違いだと思ってるよ。僕らはかなりいいライターだったからね」
「デイヴィッドは、僕なしでできるか考えたんだと思う。彼は一人で良くやり、バンドはデカくなった。いい曲もある。でも僕は、僕らはもっと一緒に曲を作れたはずだって思いたい」
また、マースデンはホワイトスネイクを脱退し、自分は終わったと考えていたとき、コージー・パウエル(Ds)と日本に救われたと話した。「僕は“自分はもう30だ、終わった”って思っていた。あのとき、コージー・パウエルが僕にすごく良くしてくれた。彼はぶらっと訪れては、メンタル面で僕をピシャリとひっぱたいてくれた。“しっかりしろ! お前は曲を書くんだ、ギターをプレイし歌え。自分のことを憐れむな。前に進め”ってね」
続いて、音楽をやめることを考えことはあるかとの質問にはこう答えた。「何度かあった。ヤマハ・ミュージックには感謝している。自分が思っている以上に落ち込んでいたとき、バーニー・マースデン・ギター・クリニックをやるため、2週間日本に行ったんだ。僕はまだ日本では有名で、僕のソロ・デビュー・アルバムもそこでは好評だった。彼らは、ものすごく僕に良くしてくれて、そのおかげで(ホワイトスネイク脱退の)最初の打撃を乗り越えることができた」
マースデンは昨年秋、自叙伝『Where’s My Guitar?: An Inside Story of British Rock and Roll』を出版した。
Ako Suzuki
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