【インタビュー】岸谷香の煌びやかなミュージシャン人生、「ソロ~母親、プリプリ再結成、そしてこれから」

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今、我々は未曾有の困難を乗り切ろうとしている真っ最中だ。音楽エンターテイメントの真骨頂の場であるライブやイベント、フェスもお預け状態だが、かならず来る素晴らしきライブパフォーマンスの猛反撃を指折り数えながら、今は#stayhomeを合言葉に自宅待機をじっと遂行している状況にある。

忘れられない名演奏や感動のステージはこれまでもたくさん経験しているが、<JOIN ALIVE 2018>の岸谷香 / Unlock the girlsのステージも素晴らしかった。歌、楽曲、演奏、演出、MC…全てのパフォーマンスをもってして、トラディショナルでクラシカルとでも言うべき鉄壁のオーセンティックJ-ROCK/POPS完成形を見せつけ、奇をてらず高潔なミュージシャンシップだけでステージを構成させるとこうなるのだと言わんばかりの貫禄と凄みを放って見せた。その気高い輝きはとても眩しく、それを礎にした圧巻の説得力は最高に気持ちの良いものだった。

岸谷香は、赤坂小町~JULIAN MAMAという目の出ない下積み時代から、プリンセス プリンセスのボーカル&ギターとして頂点を極めるまで、最大の振れ幅でアーティスト活動の悲喜交交を刻んできた。バンド解散後はソロ活動も経験し、作家やプロデュースワークとしても活躍すると同時に、出産を機に音楽活動から身を引き、十数年にわたってミュージシャンの自分を放置するという離れ業を行なった人物でもある。

インターネットインフラとITツールの急速な発達とともに、音楽鑑賞環境は劇的な変化を見せ、音楽自体の価値観も変容を見せた。音楽が売れずミュージシャンが音楽だけで食っていけないと叫ばれるなか、酸いも甘いも噛み分けた岸谷香は、今をどう見ているのか。そして彼女が今なお音楽を続ける才能の源泉はどのようにして湧き続けているのか、話を聞いた。


──岸谷香といえば、光と影もアーティストも庶民もどちらも経験し、極上のミュージシャンシップと平々凡々な一般人感覚を併せ持った貴重な人物だと思っているんです。

岸谷香:私、何の計画性もなくてここまでの人生になっちゃっているんです(笑)。「将来は絶対ミュージシャンになってやる!」みたいな夢とか根性とかまったくないまま「バンド合格しちゃった」って始めて、気がついたらプロの音楽家になっていた感じ。下積みといっても、ここまでの50年の人生を振り返ったら、そんなのほんの一瞬だから「あんなのは下積みって言うのかな」くらいのものでしかないと思っているし。

──自然体ですね。

岸谷香:プリプリが成功して、でまあ「お腹いっぱい」「もうごちそうさま」っ感じで解散して、ソロになったんですけど、なんか面白くなくて。

──面白くない?

岸谷香:今だからぶっちゃける話しちゃうとね、なんて言うか…プリプリですごく大きなことを散々経験してきたから、結局何をやってもそれの縮小版としか感じられないの。

──刺激がない?

岸谷香:うん。だから新しいことをしたいと思って、キーボードのいない4人編成を組んだんです。ほんとはトリオをやりたかったんですけど、私の実力じゃちょっと無理と思って(笑)、私+トリオで。プリプリが解散して「自分に刺激を」と思って課せたのが、鍵盤がいないことだったの。私の曲は分数コードとか鍵盤が必要となることがものすごく多いから、私の音楽で「鍵盤がいない」ってありえないんです。だから「これは大変だろう」っていうことをわざとやろうと思って、男の子3人と私で4ピースのバンドを始めた。面白かったですけどね。歳も一緒くらいの男子ミュージシャンとのバンドもやったことがなかったし。

──プリンセス プリンセスでできなかったことをやろうと?

岸谷香:そう。16歳から29歳までプリプリやっていたんですけど、その頃は人生の中でも一番エネルギッシュで怖いものもないし、理由なく自分を信じられる年齢だったから、仕事的にも人間的にも非常にバランス良く10~20代を過ごせたんだと思うんです。でも30代になると、自分は中途半端だなって思った。ベテラン組の一番下なのか、若手組のトップなのか…結婚とかも考えるけど恋愛恋愛とも言っていられないし、仕事も大事だし。

──それはみんなが通る道…なのかな。

岸谷香:多分そうだと思います。女子は出産という山場があるので、それを考えると30代っていうのはいろいろ自分を考える時期なんですよね。「誰に向けてどういうメッセージを歌っていくのか」もちょっとわかんなくなっちゃって。

──そうなのか。


岸谷香:「ハッピーマン」っていう曲が私のソロの最初のシングルだったんですけど、「恋ばかりじゃなくて人生も考えなきゃな」っていう気持ちもあったと思うんですよね。なんとなく「恋」とかではなくて「生きる」みたいなことをテーマにしたんだけど、そればっかりじゃ音楽って成立しないし、そこでんーんーって言ってるうちに、子どもが欲しいかなみたいになってきて、34歳で最初の子を産んだんです。年に1枚アルバムを作ってツアーを演っていたんだけど「これじゃプリプリの時と同じじゃん」みたいな感覚もあって、「もうちょっとのんびりやろう」って言ってるうちに、子どもができて、そこからは何の計画性もなくそれどころじゃなくなっちゃって、音楽をやらなくなっちゃった。

──もう子育てに大わらわ?

岸谷香:別に休業を決めたわけでも引退を決めたわけでもなかったんだけど、いつ復帰するのかもわからないままファンの方を待たせるのは申し訳ないと思って、ファンクラブだけは解散させました。世間からは一旦休憩・隠居みたいに見えたと思うんだけど、全然計画性はなく、子育てが始まったらもうバタバタで、2年後に2人目もできて、もう音楽のことなんて忘れてました。「Mステ」より「おかあさんといっしょ」でしたから(笑)。

──完全に一般庶民ですね。

岸谷香:ただのお母さん。でもソロになったときよりも千倍くらい刺激的で「こんな人生あったんだ…」みたいな。面白くなっちゃって…って言うと言い方が軽いけど、ママ友もできて「良かった、この子たちと出会えて」と夢中で子育てして10年ですね。子どもたちも大きくなってきて、そしたら市村さん(註:プリンセス プリンセスを育て上げた名物マネージャー)に「たまに、年に一回くらい歌ったら?」みたいなこと言われて。私は「その日子どもが熱出したら行かないからね。行けないからね。そのときはお客さんの前で“今日は香ちゃんは来ません”って言ってくれるんだったらスケジュール切っていいよ」って(笑)、そんな脅迫みたいな感じでやったりしてね。

──<Act Against AIDS>には毎年参加していましたよね。

岸谷香:我が家のライフワークみたいな感じで、夫がエイズチャリティのコンサートを武道館でずっとやってて、年に1回だけ出てたんです。皆さんがチャリティで集まってくれているのに「君んちの奥さん、何やってんの?」ってなっちゃうから、ここは行きましょうってことで、お腹に子どもがいるときも、産んだ次の年も、おっぱいあげて「Diamonds」歌ってすぐ帰ってくるみたいな。

──そんな感じだったんですね。

岸谷香:でね、あるとき「Diamonds」を歌った時、歌い出すときに「探す」というか「このキーで良かったのかな?」みたいな感じがして、「あ…、私の中にドレミファソラシドっていうものがなくなっちゃったな」って感じたときがあったんです。そんな経験なかったから、すごくびっくりしちゃって。急にあいうえおを忘れちゃったような感じ。

──迷子な感じ?

岸谷香:イントロのメロを一緒に歌って誘導させないと「冷たい泉に♪」って始められない、みたいな。もうすごく怖くなっちゃって、このまま終わっていったらいくらなんでもやだなって思って、昔一緒にやってたミュージシャンに「ちょっと一緒にやってくんない?」って言ってリハビリを始めたの。すごくいいメンツでね「いいよ。やっとやる気になったか」「やる気になったんじゃなくてさ、ヤバいんだよヤバいんだよ」とか言って。「せっかく集まってやるんだったら、目標を持ってやったほうがいいんじゃない?」って市村さんの思いもあり、「じゃ、年に1回だけやるか」って渋谷duo music exchangeで演ったんです(2008年9月)。

──それが<準備体操ライブ~さびないようにね>シリーズですね。

岸谷香:そう。準備体操ってポジティブな言葉でしょ?何かの準備だから。でも何の準備でもなかったし活動再開するわけじゃないから「錆びないようにね」って付けたんです。めっちゃ錆びてたんで。ギターには本当にカビ生えてたし、私も錆びてきたから「これ食い止めよう」って始めたのが準備体操。「良かったね」「来年はもうちょっと演ろうかな」ってその日は言うんだけど、次の日から子どもとの生活が始まると「そんなこと言ったっけ?」って感じで、また1年。

──でも久々に音を出すのは最高だったでしょう?

岸谷香:楽しかったですよ。でも、シンデレラがかぼちゃの馬車に乗るまでは良かったんだけど、屋根裏部屋に戻るとやっぱりいつもの屋根裏部屋なんですよね。シンデレラで魔法が解けたかのように、現実は笑っちゃうくらい子どもたちとの生活がまた1年続くの。毎年だましだましやって「東京と大阪やってみる?」「そんな子どもだけ置いていけない」って感じ。あくまで私の中では、錆びないための準備体操だけになってたんですよね。

──目的は、錆びないことで。

岸谷香:そうそう。だから全然音楽活動再開とかそんな野望はゼロ。そんなときに東日本大震災があって、市村さんにだまされて、東阪名を演ったんですよね(註:<準備体操ライブ~さびないようにね!パート5~>)。

──だまされて(笑)。

岸谷香:でもそこで良かったことは、ミュージシャンがすごい好意的でね、リハーサルにもたくさん付き合ってくれたんですよね。本番はたったの4本なんですけど、リハは2週間くらいやりました、みたいな昔っぽい感じで、感覚的に戻ってきた。

──で、震災復興支援のため、あのプリンセス プリンセス再結成につながるんですね。


岸谷香:被災時、我が家は事なきを得たけど、同じ思いをして最悪の境遇にあった人がどれだけいたのかと思うと、これはどうにかしないとと思って再結成したの。私にできることはこれしかないと思ったし、ここで再結成しなかったら一生後悔するっていう思いが大きかった。

──それが再結成の原点か。

岸谷香:現役に戻るべく1年半かけて水面下のお稽古を経て、2012年の活動が始まったんですけど、ご存じのとおりとんでもない大がかりなことになっちゃって、自分たちの枠を越えて社会の出来事みたいになっていたから、一生懸命やるしかなくて、いろんな方々に協力してもらいなんとか終わって、2012年12月31日のNHK紅白歌合戦なんか出ちゃったりして。で、1月1日からはまた普通のお母さんですよ。

──そのギャップ、すごいですね。

岸谷香:現役のミュージシャンの1年間と現役お母さんの1年間が、1月1日で背中合わせ。もちろんどちらも楽しかったんだけど、ひとつだけ「最近あたし、笑ってないなあ」って思ったんです。

──?

岸谷香:もちろん子どもたちと笑ったりもしてるけど、叱っているほうが多いし(笑)。「再結成していた1年ってすごく笑ってたな…何でだろ」って思ってたら、やっぱり音楽があったからというのが否めない事実だった。バンドのメンバーがいるだけでおかしくて、長い付き合いだからいろいろね、そういうので爆笑していたのもあるんだけど。

──音楽の必要性を再確認したんですね。

岸谷香:してしまったんですね。自分の中でフツフツと「あたし音楽好きだなあ」みたいな。準備体操も何のための準備だかわからないけど、ひたすら年に1回やっていたので、「いったいどこまで何の準備するの?」って感じで、ソニーのスタッフも「また香さん、やりましょう、やりませんか?」って言ってくれて、子どもたちも大きくなったことで音楽の時間も増えて、気づいたら今のような状況になっていたって感じなんです。

──現役完全復活するまでのお母さん時代、音楽とはどのように触れていたんですか?

岸谷香:ミュージシャンなのにそんなこと言っちゃなんだけど…あのね、正直どうでも良かったんですよ。まったく聴いてなかった。それこそ「ELLEGARDEN再結成だ」って息子が大騒ぎしてて「それ、なに?」ってくらい。1990年代の洋楽とかも何がなんだかひとつも知らないです。ほんと「おかあさんといっしょ」しか知らなかった。「ステージに立ってプレイし歌うミュージシャンの自分」と「作家の自分」は半分ぐらいずつが私の中の音楽なんだけど、私が思う現役の定義は「新譜…今現在の曲がある」ことだから、「やろうかな」っていうことは「新譜を作る」っていうことなんです。私は、懐メロおばさんは現役とは認めないから、準備体操中の私は懐メロおばさんですし、現役ではなかった。だけど新譜を作ってリリースを始めたのがこの数年ですよね。

──表現欲求は留まることはない?

岸谷香:いや、なんかうまく言えないんだけど、「出したい!出したい」という欲求でもなくて、どっちかっていうと使命感というか、まだ世の中に私の1曲を待ってる人がいるんだったら出さなきゃなっていう感覚。

──まだ出し切ってないっていうことですか?

岸谷香:いや、多分、出し切って空っぽになって辞めたんだと思うんだけど、やっぱり生きてると溜まっていくんですよね、貯金みたいに。

──貯金は貯まらないけど。

岸谷香:そうですね(笑)…でもそうかもしれない。貯金は貯めてるんですものね。子育て中はモードが違うから貯めていなかったんですけど、モードが切り替わったときに「なんか、貯まってたんじゃん」って思い出すみたいな。きっと貯めてるんですよね。

──なるほど。

岸谷香:作曲依頼が来て、いざ書こうと思ってもそういうモードじゃないから「どうやって書いてたっけな?」って何にも出てこないの。「あたしもう曲とか書けなくなっちゃったのかなあ」って思ってた時期もあったんですよ。とにかく絞り出して絞り出してぎりぎりセーフみたいな感じで書いてたんですけど、これがミュージシャンモードになっていると「あれやってないじゃん」「これやってないじゃん」「ていうかこういうのいいじゃん」ってなるんです。

──音楽の素養はどうやって得てきたんですか?


岸谷香:生まれたときから家にアップライトピアノがあったんです。ピアノを習ってちょっと上手くなってきて小学校のクラスで伴奏する2~3人のうちのひとりだったんですよね。「あの子、ピアノが弾ける」みたいな、それが唯一の私の特徴だったんだと思う。勉強好きでもなかったし、特別かわいかったわけでもないし、ちょっと太ってたし。

──ぷ。

岸谷香:笑ったらダメです。とにかく特徴がなかったんだけど「奥居さんと言えばピアノ」みたいな感じだから、うちの母もピアノだけは続けさせていたんです。でも私、辞めたくて、高学年のときに「ピアノ行ってきまーす」って言ってサボったの。そしたら母がキレて「唯一のアンタの取り柄なのにね、だったらもう辞めてしまいなさい」「はい、辞めます」って辞めたの。そしたら「辞めるんだったら二度と弾かなくていい」って、ピアノに鍵かけちゃったんですよ。

──もう弾けない。

岸谷香:でもそこから私の音楽人生が始まったんです。どういうわけか私、その鍵を見つけて母が買い物行ってる間に弾きたくなっちゃうわけで、ショパンとか「月光」とか好きな曲はあったし、ラジオとかで流れている歌謡曲を弾いていたんです。ヒットしているポップスとかを聴いてそれを弾くと、友達が「え?なんで弾けんの?」みたいな。「え、弾けないの?」って言ったらみんな「弾けない」って言うから、「ああ、私、人ができないことを弾けるんだ」って初めて認識したんです。別に勉強とか努力したわけじゃないんだけど、5個の黒鍵と7個の白鍵で構成されている1オクターブの中で行われているコード感は分かったので、ピアノができる子だったということが、バンドを始めるきっかけなんですね。

──最初はどんな曲を?

岸谷香:最初誘われたのは「YMOのコピーバンドで鍵盤弾いてくれ」って。「ライディーン」を耳でコピーしてやったらちょっと面白くなってきちゃって、中学校でドラムも叩いたりしていたんだけど「前に出てみたいかな」って思って、ギターはできなさそうなのでベースを始めました。あるとき曲をコピーしてたら「キックとベースって同じことやってる」って気がついてしまいまして、それで「アンサンブルってなんだ?」って面白くなってきて、もうそこからはバンドまくり。学校でバンド組んで曲によって楽器を持ち回って好き勝手やって、バンドにのめり込んでいった。で、高校受験に見事に失敗して家中でガックシして、そんなときに赤坂小町のメンバー募集を見つけたっていう。

──私は「音楽はリズム」だと思っているんですけど、岸谷さんのリズム感も天性のものと思いますか?

岸谷香:はい。ビート/リズム感というものを考え出したのはバンドを始めてからですけど、それまでも私はあんまり理屈を知らずにやっていた気がします。小学校の入試試験でのタンバリンに合わせたけんけんとか、好きなテニスに3拍子のリズム感を感じたり、興味があるものに関しては全部リズム感が関わっていたのかな。私、後から理屈を教わってきたんです。例えば譜面、例えば転調、例えばリズムも知らずにやってきたことばかりだから、やっぱりそれは神様からのプレゼントだと思います。自分で作った曲に「この曲でどこが一番好きなの?」って笹路(正徳)さん(註:当時のプリンセス プリンセスのプロデューサー)に訊かれて、「ここ」って答えると「どうしてか、その理由を説明してあげよう」って言われて「ここで転調してるんですよ」と教わるんです。私は「は?」って。

──天然すぎる(笑)。転調に気付いていないのか。

岸谷香:ほんと、最初はそれくらいだったんです。「どうも、元のキーに戻れないなと思ってました」って。

──ぶははは。

岸谷香:で、だんだん分かってきた。自分がやってきたことに対しての理屈を知るだけだから、簡単ですよね。「なるほど」って。リズムにも興味が出て、プリプリの曲のベースって「ここしかない」というものすごく厳密な長さの八分音符が8ビートを刻んでいるのが特徴で、ピックで音をつなげて弾いちゃうと全然違うサウンドになるんですよね。指とピックではグルーヴが全然違う。歌もね、「もっとゆったり歌え」って言われたときに「テンポ決まってるんだから、ゆったりってなに?」って思うけど、でもそれは、ひとつの音に対してスピードを早く歌い出してぎりぎりまで伸ばすんだみたいなことも理屈で学んで、そこからスタッカートとか四分音符を伸ばした場合とか全部分かってきた。今となっては、究極一番大事なのはリズムだと思ってます。

──バンドアンサンブルにとどまらず、弾き語りでも同じですよね?

岸谷香:たったひとりの演奏でも、何が一番大事かって言ったらリズム。グルーヴがよければもっていけちゃうんですよね。どんなに素敵な音を弾いたり上手くても、ノレない音楽はダメなんです。めっちゃ間違えたりしても、グルーブさえよければOK。ひとりだとそれは如実ですよ。最初の頃は、自分が思うような演奏をすることで頭がいっぱいだったので、ピアノもギターも「こう弾きたい」って一生懸命練習してそれができるように頑張っていたんだけど、でもなんかね「それが正解じゃなかったんだな」って今、初めて分かるの。毎年経験させてもらって、学んで最終的に「最初から最後までひとつのグルーヴが流れていることが一番大事で、伴奏なんて多くは要らないんだな」って。

──ひとりっきりのライブを始めようとしたきっかけは何だったんですか?

岸谷香:ピアノも好きだしギターも好きだし楽器に執着があったので、プリプリ時代に「NOKKOさん(REBECCA)のように歌って踊れ」って言われても「絶対に楽器離さない」ってこだわったような楽器好きなんです。でも弾き語りのライブも3~4曲やったらネタ切れでもたない。結局友達呼んだりしたりして、「みんなでわいわい演って、たまに1~2曲ひとりで演るくらいがちょうどいいわ」って思ってたの。そしたらあるとき朝倉真司くん(ドラマー/パーカショニスト)が「ひとりって最高なんだよ」「香さんみたいなタイプの人って、ひとりでやったらファンの人喜ぶよ」って。「なんで?3~4曲ならいいけど、それで1時間とか飽きない?」って言ったら「何言ってんの!」って言われたの。「香さんの歌、香さんの曲、香さんの声、香さんの演奏、香さん三昧」「香まくり」だって。「これ、ファンは嬉しいんですよ」って。

──言われないと、そんなことも分からないんですか(笑)?

岸谷香:全然。もたないとしか思ってなかったから。ただその頃、イベントやフェスのお誘いを頂いても、サポートメンバーのスケジュール調整が困難でいろんなチャンスを逃してて、でもバンド気質だから他のメンバーじゃイヤだし、うーんって感じでね、「ええい!もういい、私ひとりでやってやる」ってなったの。「ったくもう、みんなスケジュール、スケジュールってなんだ!」みたいな(笑)。たまたまビルボード東京でお話を頂いたので、「最初で最後、これで失敗したらもういい」って一日だけやってみることにしたんです。もう本当にめっちゃ大変で「もうやだ私死ぬ」と思ったんだけど(笑)、その先の可能性を感じてしまったっていうか。

──宿題も得た?

岸谷香:できないこともわかったし、もうちょっとできるかもしれないことも見えちゃったし、楽しくなかったかって言われたら、ちょっと楽しかったし(笑)。これも音楽のひとつのあり方だし、ひとりで演っているとすっごくバンドを演りたくなるし、バンドを演っているとスケジュールが鬱陶しくて「あたし、明日ひとりで全部できまーす」とかなる。

──マンガみたいだな。

岸谷香:楽器もたくさんあるんだから、やろっかなって思ってたら、勿論課題もどんどん出てくる。アコギが思ったように弾けないな、とか。「ジャンジャカジャンジャカやる以外になんかできないのかなあ?」って(笑)。スタッフが「香さんがアルペジオを弾いてるの見たことねえよな」とか言ってて「ほんとだよね、だって弾いたことないもん」みたいな。

──はは(笑)

岸谷香:死ぬ気でやったりして、マーティンのアルペジオの音の美しさに感動しちゃったり。

──今頃?

岸谷香:「これ、あたしの出してる音かあ」みたいな。バンドだとうるさくて何がなんだか分からなくなるけど、ビルボード東京とかだと、反響から何から全部聞こえてホントに気持ちいいんですよね。できないことが次々見つかってできることもどんどん見つかって、ピアノとか生まれて初めて本当に練習しました。だから上手くなったと思います(笑)。

──ミュージシャンって、究極的にはそういうひとりの世界に向かうのだろうか。


岸谷香:いや、人によるとは思います。まず歌が歌えて楽器ができないと成立しないから。楽器もひとつで勝負するのはめっちゃ大変だと思う。私みたいな「あれもこれもやりたい」みたいなタイプは、ファンが見てて面白いと思うんですよね。全然スペシャリストじゃないんだけど、あたふたやってる感じや間違えるのも込みで、ファンは喜ぶんじゃないかな。だからバンドと全然違うものですね。

──ライブでは昔の曲から新曲までこだわりなく?

岸谷香:やります。

──過去の曲に照れくささやあの頃の気持ちには戻れないといったもどかしさはありませんか?

岸谷香:私って、99.9%メロディの人間なんです。今は作詞もしますけど、それは作家に頼むのが面倒くさいから自分で書いてるだけで、全然作詞家ではないんです。だからこの歳になって「19 GROWING UP」って歌うのはちょっと恥ずかしいんですけど、「でもあたしが書いた詞じゃないし」みたいな(笑)開き直りもある。言葉って年代や考えていることをものすごくわかりやすく誰にも分かるように表現されたものだから、私の「このコード進行でこのメロは恥ずかしい」という気持ちより100倍恥ずかしいと思います。

──かもしれないですね。

岸谷香:若いときに書いた私の歌詞も恥ずかしいけど、開き直って「どうぞ笑ってください」って感じかな。だってあたしも笑っちゃうくらいだから。むしろ10代の頃に書いていた曲は、誇らしくってかわいくって仕方がないですよ。そんな曲はもう絶対書けないから。

──キャリアやスキルを重ねても、書けない曲ってあるんですね。

岸谷香:重ねちゃったから。何の理屈も知らず、いったいどこで転調して何が起きてどうなっちゃってるのか分からずに書いてたときの曲のエネルギーは二度とないと思うしね。デザイナーのミハラヤスヒロさんの明言なんだけど「若さっていうのは誰しもが持っている才能だ。その才能には敵わない。だけどその若さという才能は誰しもが必ず失うもの。だからその後どうするかが人生の勝負なんだよ」って。私は若くからバンドを始めたから、音楽ライフ・音楽人生を存分に曲に活かせたことは、運と神様に感謝するのみですよね。あのぶっちぎりの若さ=才能があった頃の作品が残っているっていうのは、感謝していますよ。

──未熟だろうがなんだろうが、若さが放つパッション自体がアートなのかもしれないですね。

岸谷香:だからモノ作りの人って、そことの勝負に苦しんで時に自殺しちゃう人とかもいる。若さという才能を失い、その代わりに得た知識や経験だけでこなすようになるとつまらないですよね。多分本人が一番つまらない。ものすごい罪悪感と落ちぶれた感があるんですよ。

──岸谷香にもそんな経験が?

岸谷香:そういう時期はありました。「あたしやってること、すっごいダサいな」みたいな。もちろん、ダサいと思ってることはしないようにしているけど、知識と経験だけで作る曲って本当にダメなの。もちろん職業作家は別ですよ。でも私はアーティストだから、それはやっちゃいけないことだと必ず自分を奮い立たせるし、キラッとときめきみたいなものがないとその曲は合格させない。知識は増えるばかりでどうやっても減っていかないから、きらめきを探すのに年々大変になっていく。

──経験を重ねただけ、初めての感動が少なくなりますね。

岸谷香:そうなんです。でもね、50歳も越えてここまで来るとリセットのような気持ちもあって、逆に「あなたに会いたいです」みたいなラブソングもいいなって思います。ここからまた楽しいんじゃないかなって気がするし、全部分かったから、音楽を楽しもうって思う。

──その強みは怖い(笑)。

岸谷香:若さには負けるかもしれないけどおばさんだってときめくし、そういう開き直り感みたいなのはある。自分で「これ最高!ここ好きなんだもーん!」と思えるものしか発表したくないから、そのハードルは上がる一方で苦しいけど、しょうがないですよね。それでも作りたいんですから。


──それにしても、ソーシャル時代において、ミュージシャンは音楽だけをやっていればいいという時代ではなくなりましたが、そこはどう感じていますか?

岸谷香:子どもたちが聞いてる音楽を聞いてると、音楽の在り方がほんとに変わったなって思います。「死ぬほど音楽が好き」じゃなくて、「ツールとして音楽をやる」のもありだと思うし「ファッションとして音楽やっててもいい」と思う。だけど私は生まれたのも1967年だし育ってきたのも1980年代で、溢れかえっていた心ときめく音楽の素晴らしさを知ってるから、今こんな時期だからこそ初心に返って作った曲があるんです。

──お!

岸谷香:こんな時にこんな曲を出したら、若い子たちが「このおばさん、気が狂っちゃったの?」って引くと思うんだけど、胸がきゅんとするトキメいている青春みたいな、エネルギッシュで多幸感満載な音楽…そういうもの。だってそれが私じゃん、みたいな。

──最高じゃないですか。

岸谷香:もっとクールにやりたいと思って、いろんなこともやってきたけど、自分でキュンとしないとダメなんですよね。だからそこに辿り着くまで本当に大変なんだけど、今回は辿り着くまでやろうと思った。それで「よし!」って思う曲ができた。最終的に「唯一無二、これしかできない」でいいんじゃない?それがミュージシャンって思っています。隣の芝生はカッコいいけど…そんなもの採り入れようと思っても無理(笑)。自分のスタイルがあるだけ良かったじゃんって思って、それを恥ずかしげもなくやれればって思ってます。

──開き直った=覚悟を決めたミュージシャンは無敵ですよ。

岸谷香:そう(笑)。10代の頃の無敵さに匹敵するおばさんの無敵さは怖いですからね。その頃の自分との勝負だと思ってます。

──結局、音楽家は音楽を作り続けるんだということがよくわかりました。

岸谷香:あたしは「好き」ってだけ。作るのもプレイするのも、とにかく好き。好きだからやめられないんですよ。

──それらは、人に披露しないとダメなことなんですか?


岸谷香:周りの人に?あ~…考えたこともないな。作ったら絶対に発するものだと思っているから、「作る」=「発信する」です。そして作ったらライブもやる。ライブでやったら作品にする。鶏と卵ですけど作ることと演ることは一緒にあるから、どれかがやれなくなるまでやると思います。

──というか、楽しんでいるだけに見えてきた(笑)。

岸谷香:そうなのかもしれない(笑)。計画性もないのは私の一番の特徴だな、とも最近思うんです。同世代の男性ミュージシャンと話をすると「よく10年休んでたよね」「子育て中は、ずっと音楽を我慢してたの?」とか、休んでる最中も「勇気あるよね」みたいなことを言うんですよ。ホントは、別にたまたまそうなっただけというか、音楽演るの忘れてただけなのに。いつも自分がやりたいことを最優先にして、それが音楽じゃないときもあったりして、だけど今また音楽になっちゃっただけ。バンドを演っていると、グルーブにしてもアンサンブルにしても「あ、そうなるんだ、じゃあたしこうするね」みたいなことが全員瞬時に行われているわけで、それでガチっと決まった時にはもう、ニヤニヤが止まらない。バンドの4人だけしか分からないこの喜び。みんなが我ながら全員誇らしいって思ってプレイしてて、これを知っちゃうともう辞められないんですよ。

──音楽という麻薬ね(笑)。

岸谷香:私が何を語れるわけでもないけど、本当にいいメンバーと知り合って、これがみんないいミュージシャンで、面白くてたまらないんです。多分これが私の最後のバンドだと思うし、本当の意味で長い時間かけてやり遂げたい。成功するということをこの子たちにも絶対味わって欲しいし。

──メンバーが全員女子であることに理由はあるんですか?



岸谷香:それはほんと説明がつかないんですけど、女の子といるのが居心地がいいんですよね。男子といるのも嫌いじゃないですけど。

──男性のプレイヤーと女性のプレイヤーで根本的に違うところってあるんでしょうか。

岸谷香:一番違うのはステージかな。男のミュージシャンってみんな、私を引き立てるの。優しいんでしょうね。私は「俺を見てくれ」って前に出てきて欲しいし、そうじゃなきゃつまんないと思うんだけど。

──いやいや、岸谷香を前にそれは無理でしょ。

岸谷香:そんなことないですよ(笑)。「おとなしくいいプレイしようなんて絶対考えないで」って、「私より目立って私よりとにかくカッコよくして。あたし絶対負けないから」って言うの。「バックバンドみたいにやったら、ほんとにギャラあげない」って(笑)。その点女性は、メイクして衣装を着て、とびっきりかわいく見せたいと思うから、やりたいミュージシャンとステージに一緒に立っていたいミュージシャンが一致するんですよ。

──なるほど。

岸谷香:ちゃんと自分を見せる。自分が一番かわいく見られる姿でステージ立ちたいって思ってくれる…そこが一番違うのかな。プリンス・アンド・ザ・レボリューションとか、みんなで踊ったり振りを決めたりしてるのを見ると、もうグッときちゃう。

──シーラ・Eも死ぬほどカッコよかったですよね。

岸谷香:そう。音楽性は違えどマイケル・ジャクソンとかマドンナとかもダンサーと同じフリでキメたりして、ああいうのがライブだって意識があるから、プリプリでも「演奏はちょっと端折って、みんなでこういうのやろうよ」「何なら同期で流しちゃって、ステージ上ではもっと見せることをやろう」ってやってた。ただ演奏して聴くんだったらCDを家で聞けばいいじゃん?って。

──これからもキラッキラなミュージシャン生活が待っていますね。

岸谷香:神様に感謝しちゃうな。私はいつも自分がやりたいことを優先してきたから「あんときやっときゃよかった」みたいなものはないんです。子育てもミュージシャンも、たまたまそういう環境にいて、そのとき自分が一番興味のあることに挑戦できたことはありがたいと思っています。

──初心に返って作ったという新曲も楽しみにしております。

岸谷香:レコーディングもこれからだけど、みんなしんどい状況だから、ちょっとでも救いになったり、昔みたいに「もう一回がんばろっ」と、恥ずかし気もなくそういう曲をいっぱいやりますよ。楽しみに待っていてください。


取材・文◎烏丸哲也(BARKS / JMN統括編集長)

◆岸谷香オフィシャルサイト
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