【インタビュー #2】吉本大樹、doa15周年とレーサーの両輪「絶対に自分は速い。でも追い抜くことは難しいんです」

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■徳永さんもここまで僕がレースしてると
■思ってなかったんじゃないかな

──資料を見ると、帰国した1999年にレーシングドライバーとしてデビューしていますよね?

吉本:そう。1999年に帰ってきて何回か練習して、すぐにレースに出るようになったんです。そこは結構、早いですよね。オーストラリアは16歳半で車の免許が取れるから、向こうで乗り回していたというものあって。

──レースの経験はほぼなかったわけですよね。

吉本:皆無だったんですけど、いけるんちゃうか?みたいな(笑)。変な自信はあったんですよ。

──そもそも、レースにはどのような経緯で参戦することになるんでしょうか?

吉本:日本でレースに参戦する場合は、自分でフォーミュラカーをレンタルするという方法があるんです。レースの世界の底辺ですけどね。その頃の僕はパチンコ屋の寮に住み込みでバイトしていたんですが、自分の給料の範囲内で車を貸してくれるところをレース雑誌で見つけて、『FJ1600』という、登竜門の一番下のカテゴリーに参戦しました。乗ったこともないのに、自分は速いと最初から思っていた。

──その言葉どおり、1年目から結果も出されたようですね。

吉本:最初は鈴鹿と岡山の地方選に出場して、年末に『日本一決定戦』という勝ち抜きトーナメント戦があって、そこでグループ優勝したんです。最後はエンジンが壊れて終わりましたけど(笑)。

──激しい走りをされたことがわかります。それにしても周りは“突然、凄いヤツが出てきた”と思ったでしょうね。

吉本:カート時代から一緒に戦っているみんなが顔見知りみたいなレースに、誰も全然知らない僕が入ってきたわけだから、“誰っ!?”っていう感じだったと思う(笑)。

──優勝を機にレーサーの仕事が軌道に乗っていくわけですか?

吉本:いや、全然です。2年目に『フォーミュラ・トヨタ』にフル参戦したんですけど、そこにかかる費用が1,000万円を超えると。スポンサーなんていないから、自分の金はもちろん、姉や親に援助してもらったり、ありとあらゆる方法で借金をしました。借金地獄ですよね。この年に芽が出なかったら、プロは諦めようという状況で参戦したんです。その年末、「韓国の市街地レースにスポット参戦しないか」という話があって。結果、勝てなかったんですけど、韓国で無敵と言われているドライバーを追いかけ回したら、その日のうちに「来年、うちで走らないか」という話をいただいて。韓国でレーシングスポーツは全然メジャーじゃないんですけど、そのときの自分にはなにもなかったし。それにギャラもいただけたので、通いで韓国のレースに参戦することにしたら、その年にシリーズチャンピオンになって。

──すごい。

吉本:同時にトヨタの『スカラシップ』に参加したんです。これは3日間の育成合宿で、一番成績のいいレーサーを翌年フルサポートするというプログラム。そこで僕はトップの成績を収めることができたんですが、いろいろあって、もう一つ上の『全日本F3選手権』という世界統一カテゴリーのオーディションを受けさせてもらえることになり、結果を掴み取りました。そこからトヨタにサポートしてもらえるようになったんです。

▲ベストアルバム第2弾『doa Best Selection “MIDDLE COAST”』

──実力でレーシングドライバーの道を切り拓いていかれたんですね。そもそもは自分が速いことを知っていたから邁進できたレーサーの道だったんでしょうか? それとも、好きなことにただただ没頭して今があるんでしょうか?

吉本:物心ついた頃から将来の夢はレーサーだったんです。だから、レーシングドライバーになるとずっと思っていたんですよね。「パイロットは儲かるらしい」という話を聞いて、そっちに興味がいった時期もありましたけど(笑)。

──ははは。そこからdoaを始めるまで、脇目もふらずにレーサーを志してきたという。ただ、そうするとレーシングドライバーとしての活動が軌道に乗ってきた頃、doaに参加したことになりますか?

吉本:そうですね。知り合いに徳永さんを紹介された初対面の時は、失礼ながら徳永さんがどういう人なのか知らなかったんですよ。前回の3人インタビューにもありましたけど、「ちょっと歌ってみてよ」という話も軽いノリというか遊びみたいな感覚で、その後、一緒になにかやることになるとは考えもしなかった。

──そもそも吉本さんの音楽的な背景は?

吉本:doaの音楽性のような1970年代ロックとかは知らなかったですね。ボン・ジョヴィだったり、オーストラリアで当時流行っていたテクノやUKロックを聴いていたんですよ。ただ、コーラスは好きでした。さっき話したオーストラリアの友達はクリスチャンで、僕はクリスチャンではないけど、毎週日曜日は一緒に教会に行っていたんですよね。そこでは毎回、生バンドが演奏をしたり、ゴスペルがあったりして、みんなで歌うことの楽しさを知っていたんです。だから、徳永さんと初めて話をしたときに、歌ったりハモったりすることは楽しいだろうなって。でも、それ以外のことはよくわかっていなかったから、doaが本格的に動き出すと、思ったよりも大きな話で“えっ?”と思いました(笑)。

──でしょうね(笑)。

吉本:その頃の僕は『F3』に乗っていて。レースのスケジュールはフィックスしているけど、それ以外は結構自由に時間を使えたんですよ。徳永さん自身も最初は僕がそんなにがっつりレースをしているとは思ってなかったんじゃないかな。だから話が進んでいくうちに、徳永さんもこれはマズいなと思ったような気がするんですよ(笑)。でも、制作に関するいろんなことが進んで、レコーディングから何から全てが面白かったですね。

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