【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第82回「花園城(埼玉県)卓偉が行ったことある回数 1回」
凄すぎる城なのでたまには真面目にギャグ無しで書こうと思う。15年くらい前からずっと行きたかった城にこの間ようやく来城出来たので早速執筆。
この城は城の本にほぼ載らない、大きく紹介されない城である。城自体がマニアックなわけではないのに、何故かこの城が広がらずに今日まで来ている。っていうかマニアックな城だと思われている。それは違う。いかん、それではいかん。花園城は最強だとここに宣言したい。花園と聞くとなんだかちょっとメルヘンな響きだ。だがそのギャップに完全にノックアウトされる。ここ最近訪れた城ではダントツに良かった。ダントツにもほどがある。すげえ!何故?マジで?本気かよ!ここにも!こんなところにも!そういった言葉を何度も連呼しながらの見学となったのは言うまでもない。ただ、来城場者が少ないだけにちゃんとした道が無い。城マニアと一緒に行かないと遭難する。歴史も深くわかっていない部分もあり(そういうのがよっぽどたまんねえわけですが)どこが大手道かも定かではない。本丸跡に花園城の石碑が建っているがそれも昭和の40年代のこと。道や曲輪は全く整備されてはいないし、夏に行けば藪や草木が生い茂ってよっぽどわかりづらい見学になってしまうだろう。いくら晴れた日であっても前日雨が降ったならば足元は厳しい状態になると言える。しかも常に急斜面ときている。よって、日を選ばないといけない城なわけである。そんな私もずっとその日を待ち望んでいた。やっとスケジュール的にタイミングが合い、しかもここ最近では城内に山登りと同じように木にピンクのテープが巻き付けられているので(ありがたい)それを目安に登ることが可能になった。これがなかった時は本当に大変な見学だったと思う。
築城期は1500年代半ばとしか言えない。どれだけ調べても確かなことが出てこない。元々は北条家に仕えていた藤田氏の居城らしいが、鉢形城の支城として機能していたという。山梨県側からの敵を見張る為に建てられたという説もある(城を下山した後に道で会った爺様が言っていた)。支城にしては本気過ぎるだろと思うほどの縄張り、デザイン、アイディアに脱帽だ。この城が有名じゃないなんてマジで腹が立つ。広げる人がいないとどんなに良い城も広がらない、よって私が頑張って広げたい。こういう城を埋もれさせてはならない。体力に自信のある方、来城を!そして宣伝を!
1590年の豊臣の北条攻めの時期に鉢形城と同じく廃城となったとされる。近くに川は流れているが、山の麓を流れているわけじゃないので完全な外堀としての機能を果たせなかったことが攻め落とされてしまった原因かもしれない。
この城に来城するにあたって場合、城の見学の仕方をでもって紹介していきたい。まずネットに落ちているマニアが書いたいくつかの平面図を入手してほしい。これ絶対。これが無いと絶対に迷うこと間違いなしだ。城には全く説明書きが存在しない。迷ったらアウトだ。城山の麓にある善導寺を正面に見て、ちょっと左へ乳首鉄道、間違えた、秩父鉄道の線路沿いの道を歩くと(一回だけのギャグを許してほしい)諏訪神社の鳥居が見えてくる。この諏訪神社の境内まで上がり、その右手側から登山開始である。そこには「花園城はこちら」という木のボードが置いてある。ここからひたすら登っていくわけだが、この道も当時はなかったように思う、城マニアが歩いたことで?もしくは地元の方々が歩いたことで道らしきレベルになったということの様な気がする。
先にも書いた通り、大手がどこだか推測出来ない。見学し終わって自分なりに分析した結果ではあるが、城山を正面に見て、右から4つの竪堀が存在する。この一番右の一番長い竪堀を登らせて大手としたのではないか?と私は考える。というのもこの一番右の竪堀が一番太く、そして長く、真っ直ぐに伸びていて、途中に4郭と呼ばれている曲輪に登れる道があるのだ。他の竪堀にはそういった堀を跨いで曲輪に入れる道はないのである。もしくはこの4郭の更に外側から城に登らせて、合計4つの堀切を超えないと本郭に行けない仕組みにしていたか。話を戻すが、現在の道はその4つの竪堀の右から2本目の竪堀の付近を登るように繋がっている。途中にたくさんの曲輪がお目見えする、しかも石垣になっている。ここにまず感動。城内にはたくさんの岩があり、それを切っていた跡が残っている。全てが平べったい石なので牛蒡積みの石垣と言えるだろう。崩れかかっているが、いろんな場所に石垣が見て取れる。山城にこの石垣は凄い。
急斜面の道を登り切ると2郭と3郭の間の堀切、竪堀の下に到着する。高さも凄い。これを登るに当然ながら階段などない。なんとなく曲輪の端から登れるような道とも言えない道を上手く木に掴まって登ってほしい。そうするとわかるのだが、山自体は割と縦には奥行きがなく、横に広い城だということがわかる。登ってきた道を正面にして左側に移動していくといずれ本郭なわけだが、これまた藪をかき分けて進む。そうするとまたしても同じような堀切に遭遇、これでもかという堀切が何本もお目見えする。しかも岩盤を切って堀にしているところもある。当時はもっと深かったはずだが現在でも十分に深い。当然曲輪から曲輪に移動するにも橋などはないので(当時は絶対に橋が架かっていたと思う、じゃなきゃ城内を移動出来ない)また曲輪の端の部分からなんとか本郭へ登ってほしい。この曲輪の角にも石垣が見て取れる、崩れているが良よく見てみると相当な場所が石垣だったことがわかる、となると本郭は当時全部石垣が組まれていたのではないか?とイマジン出来る。
本郭は土塁に囲まれており、当然ながら一番高い場所になる。その先が搦手口なのかと降りてみるとまたしても空堀、堀切、この本郭は全部空堀に囲まれた曲輪だということがわかる。段になっている曲輪が下までいくつも存在することが見て取れるが、この先になるとピンクのテープが巻き付けられてないので急に不安になる。こっちを大手と考える場合もあるようだが、この先には竪堀や堀切がないので、いわゆる搦手口だと推測。平面図で見る限り虎口が存在する。
城を諏訪神社側から正面に見て、本丸の下にはいくつも段になった曲輪、そして竪堀、堀切、空堀が物凄く入り乱れる。この場所は圧巻。だがここも道がないので先へ進むにはちょっと勇気がいる。あまりにも藪が多すぎて冒険好き探検好きの私も諦めた。平面図によると最高な構造になっているので、これは次回把握したい。
帰りの道は来た道と違う道で帰りたいという血が騒ぎ、本丸から2郭、3郭、4郭へ渡り歩く事にした。相変わらず堀切を移動するのに一苦労。これは本当に攻めずらい。城を横に移動するだけでこんなに大変な城はない。パンナコッタをフォークの腹でざっくりと筋を入れたような状態。その筋が毎回崖のような堀切なのである。4郭まで降りてきて、私がイマジンする大手道かもしれないという竪堀を下り、下山することを決めた。
しかしこの竪堀も急斜が凄く、木の枝やなぎ倒された木に掴まっていかないと滑り落ちる。仕方なくケツを付き、落ち葉を滑らしながら滑り台を降りるような感じで下りなんとか下山。最初の諏訪神社に戻れた。諏訪神社が見えた時の安心感と言ったらなかった。
もしこの城を整備出来たら、ちゃんと道を作れたら、中世の山城本の1ページ目だろう。それくらい最強な城だと評価したい。絶対に攻め落とされてはならないという信念が痛いほどに伝わってくる。もしかしたら攻めさせない為に登る道すら作らない城だったのかもしれない。謎が多いことが最大の魅力だ。
現代になり、城の土地が人の所有地になったりすると色々と問題は起きる。観光客が増えてゴミが増えると迷惑に決まっている。こういうのが一番難しいところだ。だが、この城のこの素晴らしさ、この最強具合、どうにか伝えたい。そしてこの凄さを体感してもらいたい。みんなで共感したい。いや、むしろ共感すべきである。人力でここまでやったという事実。汗水垂らし作った当時の人を讃えたい。じゃなきゃ報われないではないか。廃城になり、廃墟になり、でも現代になってもここまでの保存状態、圧巻にもほどがある。もっと詳しくこの城の歴史を知りたい。マニアから言わすと近所の人こそこの城の本当の凄さを知らないパターンである。凄すぎて震える花園城である。城マニアとして花園城に行ったことがあることが誇りである。それほど感動した。40歳にもなると簡単なことでは感動しない。だが痛く、心から感動したのだ。
あぁ 花園城 また訪れたい…。いや、マジですぐに。
◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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