【インタビュー】逹瑯&ミヤ [MUCC]、「世に出るタイミングをずっと待っていた曲がある」

ポスト

■今度、ボツ曲のコンペでもしますか?
■楽曲ロスをなくそうキャンペーン

──やはりコンセプトがあると、サウンド的にもアレンジ的にも絞りやすくなりますか?

ミヤ:メチャクチャやりやすくなる。歌詞の世界観もアレンジも、コンセプトを常に頭に入れてやるんで。“普段はやらないけど、このコンセプトならありだな”とか。でも実は、途中までコンセプトが決まってなかったんですよ。だから、決まる前に作った曲と、決まった後で作った曲が混在しています。出してくる曲もそれぞれ違うし、そこもおもしろいなって。

──なるほど。

ミヤ:この前、ツイッターで見たんですけど、“音楽とか曲作りの才能は9割が遺伝で、それはスポーツ選手の8割を上回る”と書いてあって。“楽曲を作れるか作れないということに、遺伝は関係ない”と言われてきたんですよ。でもスポーツ選手以上に遺伝が関係あるらしくて。

▲逹瑯 (Vo)

逹瑯:そういう感覚って分かるな。たぶん、絵を描く人もそうかもしれない。ミヤは曲を聴いたとき、どの音が重なって、どういうリズムにどんなフレーズが乗って、どんなグルーヴになるのか、そればパズルというか図になって立体的に見えている気がするんですよ。絵も、人と背景にあるものの位置関係で、このへんから線が始まるというバランスの取り方とかをパッと捉えられるじゃないですか。それと似ている気がするというか。

ミヤ:俺は絵を描けない。でも逹瑯は描けるんですよ。

逹瑯:感覚の捉え方って、誰かに教わるわけでもないから。ということはDNAの何かが関係しているのかもしれない。ミヤは親がずっと音楽をやっているし。

──遺伝と言われて、それぞれ思い当たるフシがある?

ミヤ:うちのおかんが家系では初めての音楽系なんですよ。それ以外は学校の先生系で。ところがおかん以降、全てが芸術系なんです。俺以外に、親戚には彫師、料理人、彫刻家もいるし。

──ミヤにはおかんの血が濃い?

ミヤ:おかんの血が濃い……のか? 親父は音楽っぽい感じでもないんですよ。親父から受け継いだと言えば、酒の場が好きってことがぐらいか(笑)。まあ、そのツイッターを読んで、遺伝というのもあるのかなと。でも遺伝じゃなくても音楽ができる人は、それだけ努力しているんだろうし。だから本当のことは分からないですけど。でも俺、どうやって作ったのか分からないこともあるんですよ、曲。気がついたら出来ていてということもあるし。もちろん一から作ることもあるし。

──でも、200近くのボツ曲があるわけだから、作曲のたびに作ろうと思って生み出してきたんでしょ?

ミヤ:もちろんそうです。でも、俺らはその曲はもういらないんですよ。

──ほう。

ミヤ:今度、ボツ曲のコンペでもしますか? お客さんに聴かせて、お客さんにプロデューサーになってもらって。俺はボツにしたものをやろうとは、もうあまり思わないけど、それはやっている側だけの考えなんで。お客さんからしたら、“メチャクチャMUCCに似合うと思う”ってアイデアが出てくるかもしれないじゃないですか。ボツ曲だからできることですよ。“いらないってジャッジしちゃったから、あとはどうにでも使ってください”っていう感じで。最近、流行りのお店の食材をアプリで登録しておくやつあるじゃないですか。知ってます? “何時までに食べなくちゃいけないパンを、低価格で提供します”っていう。だからお店は廃棄する食材がなくなる、ユーザーは十分の一ぐらいで買える。問題になっている食品ロスも少なくなるっていう。


──楽曲ロスをなくしていこう、これからのMUCCは(笑)。廃棄と決めた曲を人に提供するっていうね。これだけいい曲があるのが今回で分かった以上は。

逹瑯:いや、“これは廃棄だ”って決めた曲が、その後にバカ売れしてたら、なんとも切ない気持ちになるじゃないですか(笑)。“あれ〜っ”みたいな。“ちょっと待って〜”みたいな(笑)。

──そこは、作曲と作詞クレジットは、そのまま活かしでしょう。

ミヤ:楽曲ロスをなくそうキャンペーン。いいっすね、おもしろい。ネタになる(笑)。

逹瑯:いろんなアーティストのボツ曲を集めたら、それだけでおもしろいマーケットのサイトもできそうですよね。

ミヤ:人の曲をやるのはおもしろいってことを、この前、DEZERTとやって (MUCC × DEZERT 2マンツアー会場限定CD DEZERMUCC「蟲/ガチャガチャムクムク」)思ったんですよ。俺が作った「蟲」をDEZERTが演奏したんですけど、録音しているときに千秋(Vo)が「このメロディの動き、俺の引き出しにはなかった。変えていいですか?」って変えていくんだけど、それによってすごくDEZERTの歌になっていったんですよね、「蟲」が。それが良かった。メロディラインの動きに、それぞれのクセがあるなと思って。あと、千秋がドヴォルザークの「新世界より」を歌ってて、そのメロディラインがMUCCの「生と死と君」に似てることに気付いたんだけど、わざとそういうメロディにしたとアイツは思ってたらしくて。でも、そうではない。根っこにある刷り込まれているものって、自分で出そうと思っても出ないんですよ。

──他のメンバーが作ってくる曲も、同じバンドとはいえ、人の曲じゃないですか。未だに刺激は受けていますか?

ミヤ:その曲に説得力があれば。あと、“こういうことをやりたいんだな”って伝わってくるものであれば。何となく作ってきた曲って、すぐに分かるんですよね。曲から“何となく作った感”が出てるから。本人は何も考えずに作ってきたけど、“こっちの引き出しだったら、こういう楽曲になるよ”ってことを、今まで続けてきているんで。アイデアをもらうことはあるけど、俺の曲がメンバーにアレンジされたことがないっていうか。そういうのをなるべく減らしたくて、今回、俺が作詞作曲したものは1曲だけにしたんです。

逹瑯:曲出しでメンバーの曲を聴くのは、楽しみではありますね。“今回、俺はこう解釈して、このイメージで作ってきたけど、みんなはどう解釈して作ってきたんだろう?”って聴き方をするのが、楽しいです。人間、考えることが違うんで、そこも楽しいんですよ。

──逹瑯が書き下ろした新曲「Living Dead」は、真正面からシンガーとして歌に向かっている気がしますよ。

逹瑯:アルバムのコンセプトがあって、“Living Dead”という具体的なワードも出てから作り始めた曲なんで。ホラー感があって、俺の思うタイトルを背負えるような曲。感情が死んでいるって方向のエモさに持っていきたいなと考えて作っていったんですよ。最近、Spotifyでいろんな曲を聴くのが好きでね。このあいだ、たまたまリンキン・パークを聴いて、“やっぱカッコいいな、エモいな。ああいう匂いのするものがいいな”って。そうしたら「Living Dead」がこういう曲調に落ち着いちゃったみたいな(笑)。

ミヤ:リンキン・パーク感は全くないけどな。マニピュレーターの趣味もだいぶ入った仕上がりになってます。それが良かった。

──でも創作する者として、常にアンテナは張っているんですね。

逹瑯:いや、張ってないんですよ。好きなものを、やっぱ掘っていくというか。気持ちの入るものって、好きなものをやっているときなんですよ。好きなもののほうが説得力も出るし、気持ちもグッとこもるから。それをMUCCに持っていって、メンバーにアレンジしてもらったらMUCCになるんじゃないかって。とりあえず俺は、好きなもの、自分の中でメッセージがこめられるものを作って、楽しい思いでやっている感じなんで。

◆インタビュー(4)へ
◆インタビュー(2)へ戻る
この記事をポスト

この記事の関連情報