【総括レポート】<LUNATIC FEST.>、「この場から愛と狂気、そして感謝の念が失われてしまうことは、絶対にない」
<LUNATIC FEST. 2018>開催から、まもなく1ヵ月。酷暑の日本列島では、日々どこかで魅力的なフェスや音楽イベントが開催されていて、そろそろその記憶が薄れてきてもおかしくないはずなのだが、むしろこうしてある程度の時間を経てきたことにより改めて気付かされたり記憶自体が整理されてきたりする部分というのがある。僕自身は、発売中の『MASSIVE Vol.31』でも愛と狂気に満ちたあの2日間について総括的な記事を書いており、言いたいことの趣旨はその時点から基本的に変わっていないのだが、今回はその原稿に大幅に補足などの手を加え、改めてより具体的にまとめてみようと思う。
◆<LUNATIC FEST. 2018>出演者全画像
愛と狂気。それはこのフェスを象徴する言葉であり、言い換えればまさしく“LUV”と“LUNACY”ということになるかもしれない。そして実際、第一回の開催時から丸3年を経た6月23日と24日の両日、幕張メッセ国際展示場で開催された<LUNATIC FEST. 2018>の空間に渦巻いていたのも、そのふたつだったように思う。それは単純にLUNA SEAの古(いにしえ)の姿であるLUNACYが両日のオープニングを務め、この祭典の主宰を務める今現在のLUNA SEAが、昨年末発表の最新アルバム『LUV』の時間軸にあるからでもある。が、そうした言葉遊びのようなこととは関係なく、愛に満ちているからこその心地好さと、狂気を孕んでいるからこそのスリルと神秘性をたっぷりと堪能することができた2日間だった。
本稿において僕は、同フェスの場でいつ何が起きたかという事実関係の羅列をするつもりはない。むしろ音楽フェス百花繚乱ともいうべき現在にあって、とても稀有な存在だといえるこのフェスの意義といったものについて、その終了からある程度の時間を経た現在だからこその考えを形にしてみたいと思っている。ここではそのために、去る5月に発売された『MASSIVE Vol.30』に掲載されたRYUICHIとSUGIZOそれぞれのインタビュー記事のなかから、象徴的な発言をいくつか引用しながら話を進めていくことにしたい。参考までに、双方の取材時期は4月上旬。BARKSに連載されてきた5人のパーソナル・インタビューが行なわれたのと同時期のことである。まず、RYUICHIの発言を紹介したい。
「こうして(開催が)決まってからも、何事もなく当日を迎えられるといいな、というのが大きいんです。もちろんLUNA SEAにだって突発的なアクシデントに見舞われる可能性はある。でもまあ今回も、なんとなく……雨降って地固まる、じゃないですけど、嵐を呼ぶバンドとか呼ばれながらも、最近は天候面でも極端なものには見舞われてないし(笑)。それこそ飛行機が飛ばないぐらいの嵐になっちゃう可能性だってあるわけじゃないですか。でも、そこはなんとか最近、うまく乗り越えてますよね。運が強くなったのかな(笑)」──RYUICHI
嵐を呼ぶバンドが幸福を招くバンドへと変身を遂げたのかどうかはわからないが、この両日、幕張界隈に大きな天候の乱れはなかった。確かに23日の日中は雨が降っていたものの、一度会場内に足を踏み入れてしまえば、屋根のない場所を歩かねばならない時間はごくわずかなもの。その点について来場者が深刻な辛さを感じることはなかったはずだと思いたい。また、何らかの事情で出演者の誰かが会場に辿り着けなかった、という話も聞こえてはこなかった。とはいえ、6月18日の朝に大阪地方が大きな地震に見舞われたことの影響が、皆無だったと言い切ることはできない。その数や程度については想像のしようもないが、それが理由で会場に向かうことを断念したファンもきっと少なからずいたことだろう。開演に先立ってステージに立ったMC担当のBOOが、願いの叶わなかったそうした仲間たちを思いやろう、という言葉とともに募金協力を呼び掛けていたことも印象的だった。
また、言うまでもなく、今現在の日本は、西日本地方が見舞われた歴史上に例を見ないほどの集中豪雨を発端とする災害により、とてつもない痛手を負った状況にある。ここで僕が言いたいのは、<LUNATIC FEST. 2018>の開催時期が6月だったおかげで救われた、ということではない。むしろ何ひとつ他人事ではない、ということが言いたいのだ。その瞬間にどこで何が起きているのかによって、物事の意味合いやその感じ方は変わってくる。たとえば実際にフェスを楽しんでいる最中、その前日にニュースで知った、遠く離れた国で起きている災害や紛争に思いを寄せることは難しいと言わざるを得ないだろう。が、たとえばSUGIZOの弾くギターのひとつには“SAVE SYRIA(シリアを救え)”の文字が描かれている。その簡潔なメッセージが目に飛び込んできたときに、同じ地球のどこかでとんでもないことが起きているという現実を一瞬でも意識させられる、ということ。大袈裟に思われるかもしれないが、そうした気付きの積み重ねが結果的には世の中を変え得るのだと僕は信じたい。
話がやや横道にそれてしまった気もするが、6月23日、LUNACYの登場を待つフロアには、まだ午前中だというのに人がひしめいていて、どこか殺気立った緊迫感があったはずなのに、誰かを思いやるという気持ちの大切さを意識させられる切っ掛けがもたらされたことによって、それが良い意味で緩和されていたようにも思う。そして、ふたたびRUICHIの発言を引用したい。彼は、こうしたフェスを継続させていくことの重要性とそのために不可欠なものについて、以下のように語っていた。
「この<LUNATIC FEST.>に関しては、やっぱりある意味、ロック・ファンにとってのすごく大事なお祭りに育てていかないとね。10年、20年と続いていくイベントって少ないじゃないですか。そういう意味では、そこがいちばん大事なんだろうな、と。じゃあ、そのお祭りっていうのが、どうあるべきなのか。やっぱり、どうしても参加したくなるお祭りというのは“あそこに行くとホントになんかすべてがちゃんとしてるよね”というのがあると思うんです」──RYUICHI
ちゃんとしている、という状態についての感じ方は人それぞれであるはずだが、彼がここで言っているのが、まず何よりも来場者に不自由さを感じさせないホスピタリティの充実についてであることは言うまでもない。実際、あれほどの人数がひとつの場所に集まっているだけに、誰もが不愉快な思いを一度もせずに2日間を過ごすことのできる環境を整備するというのは、不可能に近いことのようにも思われる。しかも長時間のライヴ観覧については当然ながら体力勝負になってくる部分がある。ただ、フェス慣れしているという自負のある筆者にとっても決してラクな2日間ではなかったが、そこに不快感が伴うことは一切なかった。フードエリアの広々としたスペース確保や設営のあり方なども含め、すでに長年にわたり浸透しているこの国を代表するような大型フェスにも負けないものだった──いや、ある意味それ以上の快適さだったと言っておきたい。これは主宰者たるLUNA SEAによる配慮ばかりではなく、さまざまなフェスの現場の良いところを抽出しながらベストを尽くそうとした関係者たちの尽力によるところも大きいはずだ。
また、出演者たちに対するもてなしの心配りにも充分すぎるほどのものがあったようで、ある出演バンドのメンバーは自身のTwitterアカウントに「2日間、早朝から終わりまで動き続ける主催バンドのメンバー。感動、リスペクト。イベントをやるならばこうでありたい、と思った」などと書き込んでいた。当日の楽屋がどのような様子だったのかは、ずっとフロアからステージを観ていた僕には知る由もない。が、部屋にどんなものが揃っているかといった具体的なところ以上に重要なのは、このフェスを立案したLUNA SEA の面々が、出演者たちにどのような背中を見せたか、ということだと思う。そして、このようなツイートを目にすれば、彼らが後輩世代のバンドたちから、目指すべき存在と見られるようになった(もしくは、最初からそう見られていたがその念がいっそう強くなった)はずだということがうかがえる。
もうひとつ、RYUICHIの言葉を紹介しておきたい。ヴァラエティに富んだ出演ラインナップもこのフェスの大きな魅力のひとつだが、それについて彼は次のように語っていた。
「今回、ジャンルで区切ったら24色の色鉛筆みたいに全然色が違うように思えるアーティストにも来ていただくんですけど、多分、音楽に向き合ってる姿勢だったり、発言だったり、いろんなところでLUNA SEAの持ってるスピリチュアルなものと化学反応できる人たちというのが、このラインナップに名を連ねられている方々だと思うんです。そこを信じて作ってるイベントというか、そこにこのイベントの良さがあるはずなんですよね」──RYUICHI
さらに、同じことについてSUGIZOはこのように説明している。
「このアーティストが出たらみんなびっくりするだろうとか、意外性を求めてこの人たちに声を掛けようとか、そういった作為的なものは一切なくて。ホントに単純に自分がカッコいいと思えた人たち、シンパシーをおぼえた人たち、一緒にやったら感動的だろうなと思えた人たちが集まることになったというだけのことなんです」──SUGIZO
スピリチュアルな次元での化学反応と、不純な思いが混入していない、まじりけのないシンパシー。どちらも見きわめるのが難しいものだと思えるが、たとえば特定の音楽やアーティストに惹かれる理由が、雰囲気や匂いといった実体のないものだったり、世界観という説明不能なものだったりすることがあるのと同様に、また、それについて同じ何かを好きな者同士の間で“そうそう、わかるわかる”という会話が成り立つのと同じように、共通する何かを持ち合わせているアーティスト同士だからこそ無言のままでも伝わる、共鳴の以心伝心とでもいうべきものがきっとあるのだろう。
また、出演ラインナップの意外性という部分については、逆に、受け手側が何故それを感じてしまうのか、ということを考えてみたい。それを感じさせたのは、おそらくLUNA SEAやそのメンバーたちとの人脈的な繋がりがまったく見えなかったり、音楽的なジャンル感の部分で隔たりが大きかったりする場合ということになるだろう。たとえば3年前に初めてこのフェスが開催された際には、人脈的、系譜的にLUNA SEAにとって直接的先輩にあたるバンドたちが勢揃いしたうえで、彼らと同じ時代を生き抜いてきた世代や、後輩世代のバンドたちが出演者として名を連ねていた。それに対して今回の場合、ある意味例外的だったといえるYOSHIKIのソロ出演を除けば、明らかな先輩世代の出演者はLOUDNESSだけだったといえるし、しかも同バンドは音楽的にも人脈的にも彼らと直結しているとは見えにくい。が、それこそシンパシーやリスペクトといったものは、当然ながら異ジャンル間にもあるものだし、音楽性や活動領域の面での差異があるからこそ客観的に実感できる相手のすごさ、というのもあるはずなのだ。
今回の出演ラインナップが発表された時、前回のように直系的な先輩バンドの名前がずらりと並ぶことを期待した人たちが、ある種の落胆を感じたであろうことは想像に難くないし、人脈的/ジャンル感的にやや距離感のある出演アーティストに対して“なんであの人たちすら出ないのにその人たちが?”という疑問をおぼえる向きも少なからずあったに違いない。そこで僕がひとつ感じたのは、敬意や感謝の念というのは普段から口にしたり発信したりしておくべきなのだな、ということだ。
たとえば正直なところ、2日目にLUNACYの演奏終了直後に登場したTHE ORAL CIGARETTESがLUNA SEAと何かしらの縁のあるバンドだとは思っていなかった。が、その演奏中にスクリーンに大写しになった山中拓也(Vo)の表情が感慨深さゆえの涙に歪んだ泣き笑いになっていたことには驚かされたし、初日の最後を締め括るセッションの際、back numberの小島和也(B)が、まるで“夢が叶った!”と顔に書いてあるかのような喜びに満ちた表情をしていたのも印象的だった。LUNA SEAの影響下にあるミュージシャンたちがLUNA SEAと同じような系統の音楽を追求しているとは限らない、ということのわかりやすい好例だったように思う。そして、彼らのように音楽地図上でかならずしもLUNA SEAの近くにいるわけではないバンドがこの場に立つことになったのは、自らのLUNA SEAに対する愛情やリスペクトを公言し、発信してきたからこそであるはずなのだ。そうした想いを密かに抱いているだけでは、誰にも伝わらない。もちろん誰だって、それを伝えることを創作活動の目的としているわけではないはずだが、敢えて自分からそれを発信することにより、こうして夢が現実になったりすることがあるわけなのだ。
影響と愛着というのは、確かに同じものではない。たとえば欧米のミュージシャンの取材時に、音楽に夢中になった切っ掛けについて尋ねると、そのバンドの音楽性を問わず、KISSの名前にかなりの高確率で遭遇する。「ハロウィーンの時はジーン・シモンズの扮装をしたものさ」といった発言に出くわすこともよくある。すべてがデフォルメされて漫画的なわかりやすさのあるKISSは、後続世代の多くにとって音楽への入口、楽器を手に取る切っ掛けになっているのだ。ここ日本においては、LUNA SEAにも、それこそX JAPANにも同じようなところがある。ただ、同じ入口を通過してきた誰もが同じような音楽を志すようになるというわけではない。それこそKISSの場合、具体的な音楽性よりむしろイメージの部分、他とは違うやり方をする、という方法論の部分で影響を受けた人たちのなかには、本家とはまるで異なった音楽を追求している例も多い。LUNA SEAの影響を自認する人たちの場合もそれは同じだ。もちろんなかには、その音楽のなかに明らかに彼らから受け継いできた遺伝子をちりばめている人たちもいる。が、仮にその初期衝動の最初の現れが敬愛するバンドのコピー演奏という形だったとしても、いつしかその先輩と同様に、自分なりのオリジナリティとアイデンティティを求め、それを突き詰めていくようになるのがアーティスト/バンドというもの。しかもそうした人たちは、LUNA SEAに対する憧憬の念があるからこそ、彼らと同じことをやっていてはLUNA SEAには敵わないことを本能的に理解しているのだ。
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