【インタビュー】海蔵亮太、カラオケチャンピオンが「愛のカタチ」でメジャーデビュー
海蔵亮太の記念すべきメジャーデビューシングル「愛のカタチ」は、2008年にリリースされた中村つよしのカバー曲。この曲をデビュー作に選んだ理由から、収録曲「ウェディングソング」「On My Way」についても語ってもらった。
■KWCは人前で気軽に歌ってみようっていう感じ
■「あわよくば勝ち進めたらいいな」と特に緊張はしなかった
――たった今、生歌を聴かせてもらって感激しました。本当に見事な歌唱力で。
海蔵:ありがとうございます!
――後半はマイクなしで歌っていましたね。
海蔵:ちょっと途中でマイクのことを忘れちゃいました。「まあ、いいか!」って(笑)。
――マイクなしでも声量がすごかったです。先ほどの紹介にもあった通り、メジャーデビューが決定しましたが、今の率直なお気持ちを聞かせてください。
海蔵:色んな方とのご縁があって、今この場所にいると思うので。多くの方にまずは感謝を伝えたいという気持ちがあります。
――周囲の方の支えがあって今のご自分がある?
海蔵:それしかないですね。自分だけだったらデビューというスタートラインには絶対立てなかったと思うので。本当に色んな方のサポートがあって今があると思っています。
――プロフィールをお伺いしていこうと思うのですが、海蔵さんという苗字は珍しくて、アーティストとしては覚えられやすくていいですね。
海蔵:そうですね。そう言っていただくと親に感謝しなきゃなって思います(笑)。覚えやすいというか、引っかかりやすい名前かな、とは思っています。
――子どもの頃から歌うことが好きだったんですか?
海蔵:小さい頃から、家族みんなで毎週水曜日にカラオケに行っていました。上に兄弟が二人いるので両親と僕と五人で。それに、家でもお風呂の湯船に浸かって歌ったり、自転車に乗りながら歌ったり、暇さえあればしょっちゅう歌っていました。
――一番古い記憶だとどんな曲を歌っていたか覚えてます?
海蔵:たぶん小学校2年生くらいで、MISIAさんを歌っていましたね。だから、音楽の授業でやる合唱で一人だけMISIAさんみたいにビブラートをかけたり。先生に「海蔵君、ちょっとビブラートやめてくれる?」って言われたりしていました(笑)。そうやって歌で遊んでいましたね。
――小2でMISIAさんのビブラートを真似るってすごいですね(笑)。Twitterのプロフィール欄には、槇原敬之さんと広瀬香美さんからの影響も大きいと書かれていますね。
海蔵:小学校時代に、槇原敬之さんと広瀬香美さんの曲が冬の風物詩みたいな感じで、「JR東海」のCMで流れてたりしていて。兄弟が歳が離れていて僕が小学生の頃高校生だったので、その影響でずっと聴いていました。今でも聴いています。気付いたらお二人の存在が神になっていました、自分の中で。
――そんな海蔵さんが、人前で初めて歌ったのはいつ頃ですか。
海蔵:家族の前で歌うことはありましたけど、ちゃんと人前で歌い始めたのは、大学生の頃です。
――小さい頃に「歌手になりたい」という気持ちが芽生えていたわけでもないんですか?
海蔵:いや、まったく。小学校から高校までバスケットボールを部活でやっていたので。趣味程度で友だちとカラオケに行くとかはありましたけど、そのくらいでしたね。
――身長も高いですし、バスケ部でも活躍されたんじゃないですか?
海蔵:ありがとうございます。ちなみに、小中高とキャプテンでした。(大きな声で)キャプテンでした~!!
――ははははは(笑)。チームを率いていたんですね。
海蔵:でも僕の場合は、性格的に引っ張るというよりも、下からみんなを支えるという立ち回りをしていました。ずっとバスケにのめりこんでいたので、その頃は歌にはそれほど興味はなかったんです。僕の中では歌は生活の一部になっていたので、「よし、歌うぞ!」みたいな感じじゃなくて、気付いたら鼻歌を歌っている感じで。スポーツとかとは別に、朝起きて歯を磨いて歌って、みたいな生活のルーティンに入っていました。
――大学生のときに人前で歌ったというのは?
海蔵:中3の時に、バスケで足を怪我してしまって、高校でも上手くいかなくて。これは大学では絶対無理だなと思っていたので、バスケ以外の趣味を見つけようと思ったんです。それで大学入学時にアカペラサークルと出会ったんです。歌は好きでずっと歌っていたし、アカペラはバスケみたいに何人かで一つのものを作りあげていくものなので、それが性に合っていたんですね。そこでイベントなどに出て色んなステージで歌う機会ができました。
――アカペラグループではどんな曲を歌っていたんですか。
海蔵:色んなグループを掛け持ちしていたので、グループごとに色んなジャンルを歌っていました。アニソンや洋楽を歌ったり。その頃に、歌の技術を先輩に色々教わりましたね。それまでは、知識もなくて自分の感覚だけでやっていたんですけど、それも限界があるので。サークルが少しでも有名になるように頑張ろうっていう気持ちでやっていました。
――そこは、バスケチームで下からみんなを支える、という気持ちと一緒だったんですね。
海蔵:ああ、そうですね。一人じゃできないけど、みんなと力を合わせれば頑張れそうだなっていう気持ちがありました。
――その後、2016年に「カラオケ世界大会(KARAOKE WORLD CHAMPIONSHIPS)」に出場したのは、どんなきっかけがあったんですか?
海蔵:KWCのオーディションは、社会人になって2年目くらいに受けたんです。大学を卒業して社会人になってからは、歌はやっていなかったんですよ。それが、あるとき父親とお酒を飲んで話していたときに「おまえ、もう歌はやらないのか?」って言われて。そのときは、当時やっていた仕事も大好きだったし、まあ歌も趣味程度に続けて行こうかな、くらいに思っていたんです。ただ、その父親の言葉が自分の中でずっと引っかかっていて。今思うと、「仕事は好きだけど、歌もやりたいな」っていう自分がどこかにいて、だからこそ父親のなにげない一言が引っかかったんだと思うんです。ちょうどその頃に、「KWC」の日本代表を決めるオーディションの募集があって、受けてみようと思ったんです。
――2016年に初めて出場して、世界チャンピオンになったわけですが、これだけ大きな大会に出場して一人で歌うことへのプレッシャーはなかったですか?
海蔵:「大会で良い成績を残したい」っていう邪念みたいなものがあったら、たぶん緊張したと思うんですよ。でも、「これから歌も趣味程度に続けて行こうかな」って思っていた一番最初の頃だったので、僕としては人前で気軽に歌ってみようっていう感じで。「あわよくば勝ち進めたらいいな」くらいに思っていたので、特に緊張はしなかったです。
――初めての出場にして、カナダでの世界大会決勝に進出したわけですが、そこでも緊張はしなかった?
海蔵:今振り返ると、世界大会はすごく楽しくて、お祭りみたいな感じでした。色んな国の人たちの歌が聴けるし、日本では感じられない感覚がありました。日本とは違った文化で育った音楽を生で聴けたりすることが勉強になりましたし、緊張ではなくて楽しいっていう記憶しかないです。
――優勝した瞬間は?
海蔵:他の国の、2位、3位に選ばれた人たちは「イエー!」ってガッツポーズをしていたんですけど、僕はガッツポーズが出なくて「えっ!?いいんですか?」みたいな感じでポケッとしてたかも(笑)。あの大会を僕が一番楽しんでいたかもしれないですね。他の国の人も楽しんではいたんですけど、自分が歌う番になると、「国の代表だから絶対優勝したい」みたいなことを言ってる人もいたので。それはそれで、良い意味で自分にプレッシャーを与えていたと思うんですけど、僕はそれよりも「この楽しい大会が終わらないでほしい」っていう思いが強かったですね。
――2017年にはKWCデュエット部門に齋藤伶奈さんとのコンビで出場して再び世界チャンピオンとなりましたね。
海蔵:自分では、「こうやって歌いたい」と歌っている部分でも、相方がいるとなかなか上手くいかなかったりすることもあるので、そこは、自分が小中高とキャプテンをしてきた経験を活かして(笑)。相手を持ち上げて下から支えることに徹しようかなと。相手の女性の方(齋藤伶奈さん)の意見も尊重しつつ、「自分はこういう風に表現したいので」っていう風に、話し合いをしながら進めて行きました。楽しかったけど、またソロとは違うところで悩まされたりもしましたね。
――そうした経験の中で「シンガーとして生きて行こう」という気持ちが芽生えて行きましたか?
海蔵:いや、ソロで優勝したときには、歌手になろうとはまったく思っていなくて。デュエットのときも、ことさら優勝したからといって、「歌手になりたいんだ」って思ったことはなかったです。
――では、小さい頃から感じていた歌う楽しさを感じながら自然体でここまできたっていうニュアンスでしょうか。
海蔵:そうですね。もちろん、今は色んな方に支えられてこうしてデビューさせていただくことになりましたけど、でも自分がやりたいこと、歌いたいことというのはアマチュアの頃から変わっていないんです。そういう意味では、自分らしさを前面に出して少しでも多くの人に聴いてもらえたらいいなあっていう感じですね……なんかあんまり気合入ってない感じに聴こえちゃいますけど(笑)。
――そんなことないですよ(笑)。
海蔵:もちろん、がんばろうとは思っています!(笑)。
――海蔵さんにとって、KWCはどんなものですか?
海蔵:僕の中では人生の大きなターニングポイントだったことは間違いないですね。それと、カラオケっていう文化が、日本だけじゃなくて世界に認知されているというのが、頭ではわかっていたんですけど、実際にそれを肌で感じました。そのときに、今まで考えていたカラオケっていう概念が変わりました。それまではカラオケって娯楽の一つでしたけど、世界でものすごくカラオケが認知されていて、単なる娯楽というよりはエンターテイメントの一つなんだなっていうのことをすごく肌で感じました。このカラオケ世界大会も日本の方にもっと知ってもらって、「カラオケってすごいんだぞ!」って、日本人のみなさんが胸を張って言えるような大会になってほしいと思います。
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