【連載】CIVILIAN コヤマヒデカズの“深夜の読書感想文” 第九回/カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』

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こんにちはこんばんは。コヤマです。
CIVILIANというバンドで歌とギターと作詞作曲をしています。

前回「2018年が始まった」と書いたと思ったら、もう3月も終わりです。僕は去年右膝を怪我して走れなくなってしまい、せっかく少しだけ楽しくなってきたジョギングがほとんどできなかったんですが、その右膝が今だいぶ治ってきまして、以前のように10kmはまだ無理ですが少しずつ走れるようになってきました。買ったランニングシューズが無駄にならずに済みそう。そもそも膝を壊した原因は医者にも驚かれたほどの体の固さ(柔軟性の無さ)で、柔軟性が無いので走った時に脚に伝わる衝撃を上手く逃がすことができず、そして職業柄ずっと右足に体重をかけてギターを弾いているので、先に右足から壊れてしまった、ということでした。

ロックミュージシャンが健康を考えるなんて世も末だなとも思いますが、実際体調が悪ければ納得いく歌は歌えませんし、創作活動に意欲的になることもできません。以前にラジオで「精神と肉体は連動している」とお話ししましたが、それを何度も感じたのが去年1年間でした。

作家たちの中で肉体派(?)といえば思い浮かぶのは三島由紀夫ですね。低身長で貧弱な体がコンプレックスだった三島由紀夫はボディビルにハマります。太宰治と対になって語られることもある三島由紀夫ですが、太宰治に対しては本人の著書の中で、
「太宰のもっていた性格的欠点は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。」
と言及しています。いかにも三島イズムというか、脳筋というか、半分くらいは同意できますがもう半分はうるせえほっとけって感じですね。「治りたがらない病人などに病人の資格はない」などと言われると耳が痛い人もいるのでは。僕は耳が痛かったからこそ走り始めたのですが、でも一方で「それを実行できてりゃ苦労しねえんだよ」とも思います。横になったまま起き上がる気力すらないような憂鬱を、太宰はそのまま作品に変え、三島は自身の中のその弱さを許せずに振り払おうと身体を鍛えた。でも、もちろん理由も経緯も全然違いますが、二人とも最後は自殺でした。

今回の本とは全く関係ない話になってしまった。では、九冊目の本の話をします。

(この感想文は内容のネタバレを多分に含みます。未読の方はご了承の上お読みください。)

  ◆  ◆  ◆


【第九回 カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』】

■知らないままでいることは幸福であるか否か

第九回はこの方。カズオ・イシグロさんの『わたしを離さないで(原題:Never Let Me Go)』です。見たくないものがじわじわと迫ってくるような、裏側に気味の悪い虫がいると分かっている壁を自分の手で少しずつ剥がしていくような、素晴らしい作品でした。

カズオ・イシグロさんといえば、2017年にノーベル文学賞を受賞して一躍時の人となった、日本生まれ・イギリス国籍の日系イギリス人です。日本語はほとんど喋れないそうで、TVのインタビューも英語でしたね。
ちなみにノーベル文学賞といえば「村上春樹はノーベル文学賞を獲れるのか」という話題が(それだけで本が出版されるほど)必ず上りますが、イシグロさんご本人が受賞後のインタビューで「ノーベル賞といえば村上春樹さんの名前が浮かび、申し訳ない気持ちになります」とおっしゃっていたそうです。ご本人はイギリス国籍ですが、ノーベル賞のサイトでは川端康成、大江健三郎と同じく日本の受賞者として紹介されているので、それを思ってのことなのかも知れません。

イシグロさんの詳しい生い立ちや作家としてのキャリアなどは、調べればすぐに出てきますのでここでは割愛しますが、『わたしを離さないで』は2005年に書かれたイシグロさんの6冊目の長編小説。上に書いたノーベル文学賞受賞の際、受賞理由として挙げられた「世界と繋がっているという我々の幻想に隠された深淵を偉大な感情力で明るみにした一連の小説」の代表作が本作『わたしを離さないで』だと言われています。アメリカ・イギリスで絶賛され、2010年にイギリスで映画化、日本ではキャラクターや設定を日本に変えて2014年に舞台化、2016年にドラマ化されました。
今回これを取り上げると決めておいて何ですが、正直どう書いたら良いか悩んでいます。今まで取り上げてきた小説の中で一番感想文を書くのが難しいかも知れません。というのも、ちょっと単語を出しただけで作品世界のことに不用意に触れてしまうというか、要するに慎重に言葉を選ばないとすぐネタバレになってしまうので、非常に難しい。読んだことのない人に読んだ時の感動をちゃんと取っておきつつ作品を解説するにはどうしたら良いだろうか。

最初のほうで断っていますが、念の為もう一度言っておきます。この『わたしを離さないで』をネタバレなしで読みたいと思う方は、これから先の文章は小説を読み終わってから目を通してください。読んだ時の驚きが確実に半減します。タイトルだけを見て何となく恋愛小説か何かかなと思っていると面食らいます。(恋愛もこの作品の重要なテーマではありますが)
そして、決して痛快に終わるような作品でもありません。読んだ後も心にずしりと重たいものが残る作品で、「あーー面白かった!」と笑って終わりたい方は多分この本は合わないと思います。僕は大好きです。


舞台は90年代のイギリスです。主な主人公はキャシー、トミー、ルースの三人で、物語は初めから終わりまでキャシーの過去の回想や独白で進んでいきます。読んでいる我々はキャシーから見た作品世界を見ていくことになります。冒頭ではキャシーは「介護人」という仕事に就いていて、キャシーが過去にいた施設のこと、そこを出てからのこと、そして現在までを回想していきます。トミーは頭が回らず周りやルースからからかわれることもあるけれど、周りが思う以上に冷静で聡明な男の子。ルースは何でも自分が一番でないと気が済まない小悪魔的な女の子。

三人は幼い頃からヘールシャムという土地にある施設で育ち、外のことを何も知りません。完全に外界から隔離された施設の中で、「保護官」といわれる大人達から教育を受け、友達を作り、寮で生活をしていました。
この施設には奇妙な点がいくつもありました。健康診断が毎週あること。先生からも健康、特に内部の健康を保つことが大事だと教えられること。詩を作ったり絵を描くことをとても重要視されていたこと。出来の良い作品は「展示会」というものに出展する為に回収されること。その回収の為に「マダム」と言われる人物が施設を訪れること。そのマダムが、生徒達を ”蜘蛛嫌いの人が蜘蛛を見てしまった時のように” 恐れていること。そして生徒達が全員いずれすることになるという「提供」という言葉。キャシーたちの日常や友達との些細ないざこざを淡々と描いていて、それ自体はその年頃の子供達の社会そのものですが、その子供達の社会のもっと外側に得体の知れないものがある違和感を感じながら、物語は続いていきます。

キャシーの友達トミーは、絵が下手でした(本当は下手ではないのですがそれに気づくのは施設を卒業してからでした)。そのことで生徒達からからかわれ、その度に癇癪を起こして暴れ回っていたのですが、ルーシーという先生から「描きたくないのなら描かなくてもいい」と諭され、次第に癇癪は治っていきました。その時トミーは、ルーシー先生から奇妙なことを言われたのです。

"先生の言ったことでもう一つ、よくわからんことがある。
(中略)先生が言うには、おれたちはちゃんと教わってるようで、教わってないんだってさ"

それを聞いてキャシーは、自分がヘールシャムに関して感じていた「なんかおかしい」という点をいくつも思い返します。キャシーとトミーはヘールシャムに感じる違和感を明らかにするため、情報交換をするようになります。
ルーシー先生はその後、生徒全員にこの施設の目的、生徒達が将来どうなるのか、本当の事実を語るのですが、何故か生徒達はさほど驚くこともありません。キャシーとトミーはその後も話し合い、明かされた真実に対して自分達が疑問を持たないのも、深く考えようとしないのも、すべて保護官たちにそう刷り込まれているからなのではないかと思い至ります。ルーシー先生はほどなくして解雇されてしまいます。

やがて生徒達は施設を卒業し、それぞれ異なった場所へ新たに入っていきます。キャシー、トミー、ルースは「コテージ」と呼ばれる施設へ入りました。ここで生徒達は農作業をしながら、やがて来る「介護人」と「提供者」になる準備をするのです。この時点でトミーはルースと付き合っていました。
ヘールシャム出身のキャシー達は知りませんでしたが、その頃、生徒たちの間ではある噂が広まっていました。生徒同士でカップルになり、本当に愛し合っていることが証明されれば、「提供」を猶予してもらえる、というものです。小説を読めば序盤からもう薄々わかることですが、「提供」とはつまり臓器提供です。そして、ヘールシャム時代に「展示会」に集められた作品達が、その「愛し合っている」という感情を測るための判断材料になっているのでは、とトミーは推測します。

様々な諍いや事件や生活があり、コテージを卒業した三人は「介護人」と「提供者」になります。キャシーが介護人、トミーとルースが提供者。二度目の「提供」に耐えられず、ルースが命を落とします。その間際、ルースはトミーとキャシーに謝罪するのでした。本当は分かっていた。キャシーとトミーこそお似合いのカップルだったこと。二人がお互いを認め合っていること。それが分かっていてトミーをキャシーから奪い、邪魔をしたこと。そして、二人が結ばれてどうか「提供」を免れてほしいと最後に言い残し、ヘールシャムで会った「マダム」の住所が書かれたメモを渡します。二人でマダムに会って猶予をもらうのだ、と。
そしてついに二人はマダムに再び出会います。ヘールシャム、提供、展示会、猶予、自分達がこれが全てだと思っていた世界、その全ての悲しい真実を聞くことになります。


ネット上でも「抑制の効いた文章」と評されていますが、言葉の書き方も上品で、話の展開もとても緻密に作られています。我々は読む時にキャシーの時点でこの世界を見ているので、「提供」を始めとした、キャシー達は知っているが我々は知らない言葉が序盤から登場し、物語は終始言い知れぬ恐怖感や違和感、絶望感や諦観が背後に潜んでいることを感じさせながら進行していきます。文章の冷静さやキャシー達の会話の普通さが余計にその違和感を浮き彫りにさせるようで、読んでいて思わず唸ってしまいました。イシグロさんご本人が「これまでに書いた中で最も日本的な小説」だとおっしゃっているらしく、なるほど、この忍び寄るようなホラーは確かに日本のホラー観に近いのかも知れないなと思います。

読んだ方の中には、キャシー達に「何故逃げようとしないんだ、何故戦わないんだ」という感想を抱く方もいるかも知れません。自分達の存在理由を知ってもなお、その役目を全うしようとするのは何故なんだ、と。
僕が読んでいて思い出したのは、2002年の北九州監禁殺人事件のことでした。容疑者の息子さんがインタビューに出ていました。テレビに同じくらいの歳の子供が小学校に通っている姿が映る。父親から「お前とは世界が違う」と言われる。生まれた時からそう教えられてきた人間にとって、それを破って戦うことは、生きてきた世界そのものを自ら壊すことと同義です。まして、キャシー達は子供です。例え戦ったところで、一体キャシー達だけでどうやって生きていけばいいのでしょう。ヘールシャムの出身者はまだ良いほうで、きっと他の施設、あるいはヘールシャムのような運動が起こる前は、きっとキャシー達のような存在はまさしく家畜同然だったはずです。結局、全うするしかないのです。それがもっと大きな世界から見て、家畜同然の生だったとしても。


ある日、家畜の牛や豚がオスメスつがいで飼い主のところまでやってきて、「僕達が愛し合っていることが証明できれば屠殺を猶予してもらえると聞きました、お願いです」と言いに来たらどう思うでしょう。そんなもの無いに決まっているのに。様々なことを考えずにはいられない、素晴らしい本でした。


いつも通り、ただの感想です。ぜひ読んでみて下さいね。それじゃあまた。


<CIVILIAN presents INCIDENT619>

【vol.11】2018年5月16日(水)渋谷CLUB QUATTRO
出演 : CIVILIAN / 中田裕二
チケット : 前売り¥3,500 当日¥4,000 (ドリンク代別)

【vol.12】2018年5月18日(金)名古屋ell.FITS ALL
出演 : CIVILIAN / さユり
チケット : 前売り¥3,500 当日¥4,000 (ドリンク代別)

【vol.13】2018年5月25日(金)大阪 Banana Hall
出演 : CIVILIAN / GARNiDELiA
チケット : 前売り¥3,500 当日¥4,000 (ドリンク代別)

詳細はオフィシャルサイトにて

CIVILIAN ニューアルバム『eve』

発売中
【初回生産限定盤| CD+DVD】SRCL‐9596~97/4,860円(税込)ライブDVD付
【通常盤 | CD only】SRCL‐9598/3,240円(税込)
<CD>
01.eve
02.一般生命論
03.残り物の羊
04.どうでもいい歌
05.愛 / 憎
06.ハロ / ハワユ
07.赫色 -akairo-
08.言わなきゃいけない事
09.生者ノ行進(Album Ver.)
10.あなたのこと
11.I’M HOME
12.顔
13.明日もし晴れたら
14.メシア(2017.9.5 at Aobadai Studio) *bonus track
<DVD>
「Hello,civilians.~2017東京編~」2017.5.25(Thu) @渋谷CLUB QUATTRO
Bake no kawa ~ アノニマス ~ 先生 ~ 自室内復讐論 ~ 初めまして ~ 爽やかな逃走 ~ 神経町A10街 ~ AK ~ Y ~ メシア ~ ハロ / ハワユ ~ カッターナイフと冷たい夜 ~ 3331 ~ 生者ノ行進 ~ ディストーテッド・アガペー ~ 顔 ~ 暁

CIVILIAN ライブ出演情報

<FM NORTH WAVE & WESS PRESENTS IMPACT! XIII supported by アルキタ>
2018年4月22日(日)
会場 : 札幌市内5会場サーキット ( Sound lab mole,KRAPS HALL , BESSIE HALL,SPIRITUAL LOUNGE, KLUB COUNTER ACTION)

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