【インタビュー】ENDLESS、ラストライブ直前に語る「自分で汚したくなかった」
■CGは使いたくないんですよ
■この前も現地までオーロラを撮影に
──話はさかのぼりますが、メジャーデビュー後、2000年から7年間活動休止していますよね。この空白期間はどんな時期だったんでしょう?
SHIGE:この時は明確に活動を止めるって宣言したわけじゃないんですよ。「Frontier」(2000年発表)というシングルを出して発売記念ワンマンをやって、その後も活動するつもりだったんですが、楽曲が書けなくなってしまったんです。
──スランプに陥ったということですか?
SHIGE:簡単に言うとスランプなんでしょうけど、音楽活動をする上でやっぱり、“思っていたのと何か違うぞ”って思ったんですよね。もちろんレコード会社と契約するわけですから思い通りにならないこともありますし、スタッフも一生懸命やってくれていたんです。だけど、僕自身に細かいところまでこうしたいっていうこだわりが強かったので、どう活動していったらいいのか葛藤がすごくあって。音楽にアウトプットできなくなったのが大きな理由ですね。楽しみにしてくれている人、待っていてくれる人がいるのに曲が作れなくて。
──そこは相当苦しい期間だったんでしょうね。
SHIGE:苦しかったですね。でも、活動を再開する時のことをイメージしながら、自分がどうしたら納得できるのかをクリアしないと音楽が作れないと思ったので。休止期間に自分の音楽を作れる環境を整えようと思ったんです。要はレコーディングできる機材を揃えるために自分で資金を何とかしようと。
──自分で全てプロデュースしたい欲求が強いタイプなんですか?
SHIGE:単純に言うとそうなんですよ(笑)。どうすれば自分たちのやり方で活動できるかを考えて、必要なものを全て網羅するのに7年かかったということなんです。
──自宅で音源を作れる環境と技術を得て?
SHIGE:そうですね。それまでSONYのスタジオで制作していたので、同等のクオリティを保とうと思ったら、それなりの機材でないとできないなと。幸いレコーディングの現場を見てきたことでエンジニアのスキルもあったので。
──卓をいじっているのを見て学んだということですか?
SHIGE:ええ。エンジニアに「今のこれは何をやっているの?」って1つ1つ質問したりしながら勉強して。
──この期間にカメラマンとしても活動されていたとか?
SHIGE:カメラマンだけをやっていた訳ではなく、デザインも手がけたりとか、とにかくその後のENDLESSの活動に必要そうなスキルに関わることは何でもやっていました。カメラについて勉強したのもジャケットの写真を自分で撮りたかったからなんです。
──アートワークも手がけたいからデザインもカメラも学んだと?
SHIGE:そういうことです。単純に凝り性なんですよ。作品って残るものだから絶対後悔したくないんです。妥協したものを出すぐらいなら出さなきゃいいと思うタイプ。僕に限らず、みんなそうだと思うんですけどね。
──いや、その突き詰め方は尋常ではない。だって、音楽だけに留まってないじゃないですか。
SHIGE:そうですねー。ちょっと行き過ぎるところはあると思います。写真にしても自分の作品だからCGは使いたくないんですよ。この前もオーロラを撮影しに行ったんですけど、それは1月のライブで映像で流すと思います。今の時代は素材集があるから、それを流せばいいっていうのも知ってますよ(笑)。
──ライブで流すためだけに撮りに行ったんですか?
SHIGE:そうですね。フルアルバム『Monochrome Sky』(2009年発表)のジャケットは山の上から撮った雲海の写真なんですけど、そのために登山のスキルを身につけて(笑)、何日間か泊まり込みで撮影したりして、きっとそういうことが好きなんだと思います。
──『情熱大陸』に出られそうなエピソードですね。
SHIGE:ははは(笑)。でも作りたい作品のために情熱を注げるのは幸せなことですね。
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