【インタビュー】wyse、メジャーデビューアルバム完成「僕らが僕らであることを問われた作品」
09.「With…」
当時はね、男女の恋愛を描いた曲だと
そう解釈されることが多かった
人のライフスタイルの中で
それが一番の共通項であり、共感をしやすいことが
もしかしたら、影響するのかもしれないね
もちろん、僕は
このWith…が、そう解釈されることを否定したりはしません
当然、そういう風にも分岐することの出来るように
言葉を、文節を選び、作ったのも事実
僕のWith…があって
君のWith…がある
それが僕の理想
ただ当時、取材などで真意を聞かれて
僕はそこをオブラートに包んで話をするということが出来なかった
僕のWith…それは
僕の父親、母親、妹、ペット
そう、僕の家族を想って書いた曲です
- いつものように家を出て 一つ目の角を右に -
高校も行かず、音楽に夢中になり
話をすれば、周りの人達の心を傷付けることしか出来なかったあの頃
自分の素行の悪さのせいで
当時、僕の家族はバラバラでね…
でもね、今思えば
それはただ、いがみ合って、喧嘩を繰り返し
心が混ざらないのではなく
僕を想ってね、かばって
愛情の形が一つにまとまることが出来ず
それぞれが、ぶつかり合っていたんだろうね
でも、当時の僕がそんな風に
心を、想いを汲み取ることが出来るわけもなく…
そんな僕だったんだけど
どこまでぶつかり合ったとしても
親は、家族は、僕を見捨てることはなかったんだよね
そんなある日
wyseとして、事務所が決まり
大阪を離れることになった
僕は音楽の才能に恵まれた人間ではない
だけど、音楽をずっと、一生やっていきたい
そんな漠然とした無知ゆえの想いを繰り返すことが
いつも、すれ違いや衝突を生んだ
音楽で上京することが決まった時
冷静で、大きなリアクションは取らずとも
真剣に話を聞いてくれた父親
びっくりした顔で
おめでとう、そう言葉をくれた母親
ずっと、嫌なものばかりを見せ続けてしまったけれど
一緒になって喜んでくれた妹
孤立していた僕に、いつも寄り添ってくれたペット
何年ぶりだっただろう
家族が一つになれたような気がした
しかも今回は、問題の種であった僕が中心となることで
- 声が震えてるのは 悲しいからとかじゃなくて -
僕は、僕なりのメッセージを、想いを
音楽として形にし、届けたい、残したい
そう思ったのが、僕のWith…の始まり
だからね
どれだけ、曲を、歌詞を催促されても
大阪を離れるその直前まで
あえて書かずに、沢山の想いを必死で抑え込んで
最後、一気に溢れ出るように書いたのを今でも覚えています
当時、僕は19歳
今も変わらず、音楽を愛し、音楽を続けられていること
本当に、心から感謝しています
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